金融におけるリスクカルチャーの醸成
金融機関の経営においては、これまで、徹底したリスク管理の高度化が行われてきたのですが、その結果として、金融機能は、必ずしも高度化したわけでもないようです。その理由は、表層的な数値管理の高度化が追求されるなか、金融機関の存在意義を賭けて行うリスクテイクの理念が見失われ、その能力の減退を招いたからではないのか。故に、今、リスクテイク能力の再強化のために、新しいりスク管理の枠組みが求められる、それがリスクカルチャーの醸成ではないのか。
リスク管理とは何か
金融に限らず、どの事業でも、リスク管理は重要なことです。しかし、リスク管理が何であるかについては、極めて曖昧なところがあります。そもそも、リスクとは何か、管理とは何か、この根本的なことも、少しも明確ではありません。
全ては、リスク管理を行うものの立場で、リスク管理の目的に即して、リスクを定義し、管理手法の詳細を定義することに帰着しますが、では、リスク管理の目的は何かといえば、それは、結局は、事業の目的にまで遡行することになります。
さて、事業目的に即して、リスク管理の目的を定め、リスクを定義し、管理手法を定義するとして、一方で、あまりにも事業目的に引き付けて、リスク管理を概念的に、理念的に、抽象的に規定すれば、自由すぎて、リスク管理の実効性に疑義がでるでしょうし、他方で、あまりにも精緻な技術的指標の管理を徹底すれば、枝葉末節にとらわれて、本来の目的を見失い、極端な場合には、事業目的に反した帰結さえ生んでしまうでしょう。
金融においては、この後者の弊害の懸念について、かねてより、問題提起されています。それは、厳格な規制のもとで、統制の高度化が強く要求され、また、規制は、その性格上、一律で客観的なものとして適用される必要があることから、結果として、膨大な数値指標の管理の体系として、リスク管理の徹底が行われてきたからです。
金融規制の矛盾
実際、金融規制のもとの金融機関のリスク管理は、金融機関の事業目的に反する帰結を生んでいる可能性があるのです。
そもそも、根本的な疑問として、金融規制の目的は何なのでしょうか。少なくとも、主たる目的の一つは、金融システムの安定です。では、金融システムの安定は、なぜ、必要なのでしょうか。おそらくは、金融の社会的機能の供給を安定化させることにより、経済の安定成長を実現するためです。しかし、ここには、規制技法として、規制当局にも予見できなかった問題が潜んでいました。
現行の規制は、金融機関に対して、予想損失に対する備えとして、最高度に緻密な膨大な数値基準への厳格なる準拠を命じていますが、こうした防衛的な対応は、確かに、一方で、金融システム安定化の効果があるにしても、他方で、金融機関の攻撃的なリスクテイク能力の向上を阻害し、故に、経済の安定成長に対して、必ずしも有効に機能するとは限らないということです。
この可能性は、少なくとも、日本の現実においては、顕在化しているのではないか、この懸念を強く表明され、世界に先駆けて、大胆な金融規制改革にのりだされたのは、いうまでもなく、金融庁の森信親長官です。
森長官の「動的な監督」
森長官は、ある講演で、従来の金融規制のあり方を「静的な規制」と呼び、それに対して、自らの新しい思想を「動的な監督」と呼んでおられます。
規制が命じるリスク管理のあり方として、「静的な規制」では、リスクが一定の確率で損失として顕在化することを前提にして、つまり、リスクを受動的に受け入れている前提で、損失の数学的予測額を見積もり、それに対して十分な耐性をもつものとして、自己資本の厚み等の防御壁構築を求めるのに対して、「動的な監督」は、金融機関がリスクを自覚的にとり、かつ、そのリスクは能動的に制御できるという前提で、金融機関との対話を通じて、経営態勢の次元で、リスクテイク能力の向上を求めるものといっていいでしょう。
要は、従来の規制には、しばしば、防御壁の構築が極めて高価なものとなってしまう、つまり、金融機関は自己資本充実の要求に応え得なくなってしまうことから、結果的に、自己資本に見合った受動的リスクテイクという経営行動を誘発しやすいという難点があったのです。
自己資本に見合ったリスクテイクといえば、従来の規制の思想からすれば、健全で良識に満ちた経営姿勢のように聞こえますが、事業経営の常識からすれば、本末転倒の事態です。なぜなら、顧客志向性のなかで、能動的にリスクテイクを行い、そのリスクテイクに見合う資本利潤を実現して、積極的に必要資本の調達を行うことこそ、経営の本質だからです。
この顧客志向性のもとのリスクテイクという事業の本質に着目し、改めて、金融機関に事業経営の常識を求めた点で、まさに、「金融の常識、世の非常識」といわれるなかで、世の常識で金融の非常識を衝いた点にこそ、森長官の卓越した見識が示されているようです。
リスクアペタイトフレームワーク
「動的な監督」のもとで、金融機関に求められるリスク管理は、どのようなものになるのか。森長官は、「動的な監督」というように、用語の選択において、独自の感性を示されるので、なんとも、いい難いのですが、金融界の普通の用語では、リスクアペタイトフレームワークに基づくリスク管理ということになるのだと思われます。
リスクアペタイトフレームワークでは、リスク管理の原点において、金融機関の固有の事業目的と戦略を遂行するために、自覚的にとるべきリスクが定義されます。つまり、事業としての本源的なリスクテイクの対象が特定されるのです。例えば、森長官の講演では、この金融機関の本源的リスクテイクの目的を、「顧客との共通価値の創造」としていて、そこに、顧客の視点での能動的リスクテイクのあり方が明確に示されています。
この本源的リスクテイクからは、様々なリスクが派生しますが、重要なことは、本源的リスクテイクにおけるリスクと、派生リスクとの間には、明確に階層の差、次元の差があることです。従来のリスク管理の欠点は、この階層の差を自覚的にとらえていなかったことから、本源的リスクテイクのリスクまで、相対化されてしまったことです。
三つの重要な改善点
従来のリスク管理は、客観性と精緻さを追求するあまり、数値による一元化、一元化されたリスクの総量制御、精緻な数値化の前提としての過去の統計的事実への偏重といった特色をもっていました。その結果、リスクの質の差の捨象、数量化できないリスクの見落とし、将来の動態を織り込むフォワードルッキングな視点の欠如など、欠点もあったわけです。
それに対して、リスクアペタイトフレームワークでは、少なくとも、重要な三つの改善が志向されています。第一に、本源的リスクテイクにおけるリスクは、経営そのものの対象として、明確に、一段上に位置付けられること、第二に、画一的な数量化を排して、リスクの質の差や数量化できないリスクにも、着目すべきとされていること、第三に、過去の延長としての静的未来ではなく、未来固有の動態を、とり込んでいることです。
なかでも決定的な点は、リスクアペタイトフレームワークにおいては、本源的リスクテイクが頂点に確固たる地位を占めることで、従来ありがちだった弊害、即ち、リスク管理が本源的リスクテイクに逆作用することは、少なくなるだろうということです。
ただし、従来の画一的数値管理の適用は、極めて客観的で、故に、ガバナンスに大きく依存せずに、確実な履行を実現できるという利点があったのですが、リスクアペタイトフレームワークでは、質的なリスクのとり込みや、フォワードルッキングな視点の導入など、人間の経験、知識、判断力等に依存する高度なガバナンスを想定するほかありません。ここに、大きな新しい課題が生まれてくるのです。
リスクカルチャーの醸成
このガバナンスの構築を、リスクカルチャーの醸成といいます。では、リスクカルチャーの醸成とは何か。
社会規範において、例えば、悪いことの悪さを数量化することも、悪いことを列挙してリスト化することも意味をなしません。にもかかわらず、悪いことは、客観性をもって、社会規範として、構成員に共有されています。
もちろん、人間は、重畳的に多数の社会に属しており、上は、人類普遍の規範から、下は、家族内だけの規範まで、それぞれの社会で、それぞれにおける規範を、共有しています。しかも、人間は、いつ、どこにいようとも、そこで、どの規範が適用になるかを、正確に認識しています。
同様に、おいしさ、美しさ、礼儀正しさ、良さなどの様々な価値について、共有が成立する様々な範囲があります。それが文化、カルチャーです。価値の共有なくして、カルチャーは成立しないのですし、また、一つのカルチャーのなかでは、定義の記述や量的基準のような客観的指標なくして、共有されるべき価値は客観的に明瞭なのです。
ならば、リスクについても、カルチャーを成立させることは、可能なのか、リスクについて、良し悪し、おししい・まずい、美しい・醜いといった価値判断を、一つの金融機関という組織のなかで、カルチャーとして成立させ、定義の記述や量的基準なくしても、客観的なものとして、機能させ得るのか、そして、多種多様なリスクの混淆から、良く、おいしく、美しく秩序立てられたリスクの体系を、組織員の自然な協働により、構築できるのか。
この困難な課題への挑戦こそ、リスクカルチャーの醸成といわれるものであり、それがリスクアペタイトフレームワークの中核を形成するのです。
リスクを語る共通言語
まずは、リスクを語るための共通言語が必要です。言語こそ、カルチャーの象徴です。美しいという言葉で、同じ美しさを共有するからこそ、カルチャーであるわけです。しかし、言語ほど、制定という概念に馴染まないものもないでしょう。言語は、自然に成立し、自然に共有されるからこそ、言語であり、だからこそ、カルチャーの象徴であるからです。
組織内において、リスクを語る共通言語は不可欠です。しかし、その共通言語を人工的に制定することは、リスクの定義を記述し、量的基準を策定するのと、同じことになり、リスクカルチャーの醸成になりません。故に、共通言語が自然に生まれるような組織風土の構築こそ、先決問題であるといわざるを得ないのです。
では、どうすれば、共通言語が自然に生まれるような組織風土を構築できるのか。そのような愚劣な問いを発する金融機関の経営者は、直ちに、退任すべきです。なぜなら、経営者の職責は、第一に、自己の本源的リスクテイクの対象を明確に特定すること、第二に、組織風土改革を通じて、リスクカルチャーを醸成すること、この二つ以外にないからです。
この二つを実行できる経営者は、今の日本の金融界には、数えるほどしかいませんから、次世代に期待するほかありません。もっとも、金融庁の森信親長官は、金融庁の本源的機能を明確化し、その執行を確かなものならしめるべく、金融庁の徹底した組織風土改革を推進されているという意味で、その稀有な一人に数えていいのかもしれません。