【河内長野市】秋祭り長野神社の「タイマツタテ」は10月11日に実施!過去の写真と直前の状況をレポート
大阪府の緊急事態宣言は10月で解除になりましたが、河内長野の秋祭りの多くは、今年、非公開の神事だけが執り行われるところが多いようです。西代神社の西代神楽や住吉神社の馬駆神事も、直接神社に確認したところすべて今年は中止とのこと。
神社で行われる秋祭りは、一般的なイベントや店の営業と違い、開催前の数か月前から準備を行うので、緊急事態宣言が解除されたからといってすぐには開催はできません。
しかし、長野神社にお問い合わせしたところ、タイマツタテについては実施されるとのこと。なんともうれしいニュースです。
それでは「タイマツタテ」とはどんな神事なのでしょうか。今回長野神社さまに過去の写真がないかお問い合わせしたところ、河内長野市文化財保護課さまに過去のタイマツタテの画像があるとお伺いし、特別に掲載の許可をいただきました。
タイマツタテの前に、長野神社と所在地の長野町の関係をおさらいしましょう。ここは河内長野市でも最も古くからの町の中心、つまり河内長野の原点というのが分かります。それは河内長野駅の近くという意味ではありません。
市の歴史をさかのぼって行くとそのことが見えてきます。
江戸時代までさかのぼれば、現在の河内長野市長野町、つまりこの長野神社周辺だけが長野村でした。1889(明治22)年に町村制が施行されると、長野村は、古野村、西代村、原村、野作村、上原村といった隣接する別の村を合併。
1910(明治43)年に名称が長野町に変わりました。さらに1940(昭和15)年に千代田(市新野)村と天野村が長野町に含まれるようになり、南河内郡長野町となりました。
その後、1954(昭和29)年に、高向村・三日市村・加賀田村・天見村・川上村を合併して河内長野市になりました。
このように、長い歴史の中で、町の中心である長野神社の創建は不詳ですが、1543(天文12)年ごろにはこの場所に本殿が建てられたという記録が残っています。
当初は牛頭天王(ゴズテンノウ)宮という名前だったそうですが、1868(慶応4)年に長野神社という名前になりました。
祀られている祭神は、牛頭天王と習合した素盞嗚命(スサノオノミコト)が本社に、それに長野戎として事代主命(コトシロヌシノミコト)が、境内恵比寿社、さらに天神社には菅原道真が祀られています。
そのほか、境内末社の一宮にて熊野宮・多賀宮・八幡宮・春日宮・高良宮の五社が祀られています。
さて長野神社のタイマツタテですが、河内長野市指定文化財で別名「松明祭(たいまつまつり)」。例年長野神社が10月11日に行う秋祭りの大祭に合わせて実施される神迎えの神事です。
同様の神事は大阪府内の別の場所にもあり、池田のがんがら火祭り(愛宕火)、あるいは豊中の上新田天神社トンド祭りと同趣の神事。紀州地方で行われているタイマツタテ神事とも脈絡があるとされます。
長野神社のタイマツタテの歴史は、なんと300年以上も続いているんだとか。記録上で確認できるは、1701(元禄14)年のものがあります。
さて、このタイマツタテは秋祭りが始まる1週間前から準備が行われ、具体的には年番の氏子さんが集まり、胴回りが4.5メートル、高さが5メートルもの大たいまつを作るとのこと。
かつては神社の北西300メートル付近のところで作られてから、長野町内を練り歩いたのちに神社に運ばれたとか。現在は神社境内で作られ、そのまま大祭当日まで置かれています。
大祭当日10月11日午前中に火入れが行われると、瞬く間に燃え上がる松明。それが午後15時くらいまで続くそうです。
さて、10月4日に、祭の準備が始まっている長野神社に行ってみました。取材時には過去の画像にあるような松明はまだありません。
10月4日の時点では、画像のような松明の台のようなものが組み立てられています。そして宮司さんがいる境内の授与所には、次のようなお札が用意されていました。
こちらの木札に願をかけて、10月11日に松明とともに火にくべられます。宮司さんによると、予定では当日の10時から神事が執り行われ、火がつけられるのが10時30分くらいからとのこと。願掛けは、当日でも早いうちであれば受け付けてくださるそうです。
なかなか秋祭りが行われない中で、河内長野の中心で行われる伝統神事のタイマツタテ。様々な願い事がありますが、できれば祭りの開催を阻害するコロナ禍の終焉を願いたいところです。
長野神社
住所:大阪府河内長野市長野町8-19
営業時間:24時間自由入場可能
定休日:無休
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩3分