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話題沸騰の『ダブル』はマンガ編集経験ゼロの担当者とのタッグで生まれた

飯田一史ライター

 2020年発表の第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞した野田彩子による役者マンガ『ダブル』。

『ダブル』の主役は30歳の役者である宝田多家良と鴨島友仁。小さな劇団に所属して7年。友仁は自身が「世界一の役者になる」と信じる多家良のために尽くしてきたが、たまたま多家良の演技を目にしたある事務所のマネージャー冷田から声をかけられ、初めてTVドラマで重要な役どころとして出演の機会を得る。ところが多家良は友仁と作り上げた演技プランとは異なる演出を監督に求められ、現場から逃走してしまう――。

 多家良は友仁を必要とし、しかし「世界一の役者になる」にはおそらくいつか離れなければならない。

 そんな「男ふたり」の関係を描いた『ダブル』の誕生秘話について、著者の野田彩子と本作がマンガ編集者として初担当作品になる「ふらっとヒーローズ」編集部・稲泉広平氏に訊いた。

■「マンガ編集経験なしの担当者」×「名前が決まる前の新媒体」を連載先に選んだ理由

――野田さんは「野田彩子」名義ではこれまで小学館の月刊マンガ誌「IKKI」「ヒバナ」、マンガアプリ「マンガワン」で連載してきましたが、今回『ダブル』を株式会社ヒーローズが運営するウェブマンガメディア「ふらっとヒーローズ」で連載することになったきっかけは?

野田  私は2011年にデビューしたあと、2013年に稲泉さんが在籍していた別の媒体で声をかけていただいていたんですね。そこからしばらく連載に向けて打ち合わせをしていたのですが、稲泉さんが別の部署に異動することになり、引き継いでもらったもののあまり進まず……。稲泉さんがヒーローズに転職したあと2018年に再度声をかけてもらったのを機に「男ふたりの役者ものをやりたい」と企画を出し、そこから進んでいきました。

「新井煮干し子」名義でBLも描いているのですが、「野田彩子」名義で男ふたりを軸にした作品を何かできないかと、いろいろな編集者に相談していて、それが具体的になったのが「ふらっとヒーローズ」でした。

――稲泉さんは『ダブル』がマンガ編集者として初の仕事だと聞いていますが、なぜ野田さんにオファーを?

稲泉  前職時代、まず新井煮干し子名義の『ふしぎなともだち』を読み、そのあと「IKKI」連載の野田彩子名義のデビュー作『わたしの宇宙』を読んだんです。BLは『ふしぎなともだち』がほとんど初体験で「こんなに面白いのか」と驚き、『わたしの宇宙』はどう形容したらいいかわからないものの「すごい」のはわかる。そういう興奮した状態で声をかけさせてもらいました。

――ちなみに野田さんは一般誌に持ちこんだ先がなぜ「IKKI」だったんですか?

野田  そのとき読んでいたマンガ雑誌が「IKKI」だけだったんです。松本次郎さんの『フリージア』や松本大洋の『ナンバーファイブ 吾』、林田球さんの『ドロヘドロ』、五十嵐大介さんの『海獣の子供』はじめ、好きなマンガをやっていたので。

稲泉  僕が2回目に声をかけたときにはすでにヤクザと女子大生の恋愛を描いた『潜熱』が話題になったあとだったので、「たくさん声がかかってるんだろうな。会ってもらえるかな?」と思っていたくらいでした。でも当時まだ「ふらっとヒーローズ」という名前が決まる前の新媒体からのオファーだったにもかかわらず「いいですよ」と連載を快諾してくださって。

野田  編集者の方から声をかけていただいたらなるべくご挨拶だけでもと思っているので。そのなかで『ダブル』に関してはうまく話が進んだんですよね。私の中で「同じところで描き続けるよりはもう少し違う場所で試してみたい」と思っていたのと、『潜熱』が3巻で終わることが決まっていたタイミングだったので、ちょうどよかったんです。

――担当がマンガ編集経験がない人で不安はなかったですか?

野田  最初に会ったときは私もデビュー間もなかったので「ああ、そうなんですね」くらいにしか思っていなかったのですが、5年あいだが空いたあとも「まだ1作もやっていない」と言われてびっくりはしました(笑)。

稲泉  その間、電子書籍の担当や書籍のプロモーション、ウェブサイトの運営などをしていたので……。でも声をかけてきた人間がマンガの編集経験がなくて、媒体が立ち上がってもいないのに「連載、やります」と言ってくれる作家は普通いないですよね。

野田  「ダメならよそに持っていけばいいか」くらいに思っていたので……幸い『潜熱』はたくさんの方に読んでいただきましたけど、それまでは売れていなかったですから「これがもし売れなくてもいつも通りだ」くらいの感覚だったのもあります。

 ネームを描いて担当さんに見せてフィードバックをもらって直して……というやりとりをしているうちに、合わない人はわかるんです。稲泉さんとはやりとりをしていて「大丈夫そうだな」と思えたので。

――作家と編集者の相性はすごく大事なところですよね。

野田  たとえ条件のいいところに声をかけてもらっても、ヒット作をつくってきた編集者でも、合わなかったらいっしょに仕事できないですから。マンガ家は外の世界との数少ない接点が担当さんになることが多いので、担当さんが合わない人だとやりとりが苦痛になってイヤになることも少なくないと思います。稲泉さんはネームに赤字をもらって直していったときに自分のテンポ感と違うことがないし、性格がいいのでやりやすいです。

稲泉  最近はネームをもらっても「最高です!」しか言っていないですけどね(笑)。

野田  まあ、いまは賞をもらって色々な方に褒めていただいているところなので、ノーチェックでのびのびやらせといた方がいいと思われているんじゃないかと(笑)。

――編集者にはいろんなタイプの人がいますが、稲泉さんはあまり直しの依頼はない?

野田  いや、一話は難産しましたね。私も「気合いを入れて作らなきゃ」と思ったんですが、何度かやり直して結局「最初のでいこう」と戻ったときにはどうしようかと思いましたが。

稲泉  正確に言うと、一番最初にあまり落ち込むポイントがなくて起伏が少ないなと感じるネームが来たので、友仁が演出家とぶつかるシーンと、多家良の芝居が完成するところを足してもらったんですね。その多家良の見せ場をどこに持ってくるかで何パターンか作ってもらったなかで一番最初のものにした、ということです。

野田  そうだ、芝居マンガの一話なのに最初のネームでは芝居シーンがなかったんだ(笑)。

『ダブル』第一巻は、ふたりの男性による熱き役者マンガ、といった雰囲気のカバーイラスト。
『ダブル』第一巻は、ふたりの男性による熱き役者マンガ、といった雰囲気のカバーイラスト。

■ウェブ連載になってから最初の4ページでフックを作るようになった

――『ダブル』がウェブ連載であることによる反響や勝手の違いはありましたか?

野田  紙の雑誌だった「IKKI」「ヒバナ」連載時もアプリの「マンガワン」で連載したときも、当時は感想を見ない方がいいかなと思って見てこなかったんです。でも『ダブル』でウェブ連載になってからは更新前後の時間から待機してくれている人がいて、即リアクションがある。読者の反応が目に見える状態になったのが最初は怖かったんですが、今は励みになっています。それから毎回更新するたびにTwitterに冒頭4ページの画像付きで告知の投稿をしているので、「ツカミの4ページでフックを作らなきゃ」と学びました。

稲泉  その4ページで今回(2020年3月更新分)も話題になっていました。

野田  『ダブル』はスクショを貼って感想をつぶやくことを推奨していて、その広がりを見ても「ウェブ連載めちゃめちゃいいな」と。こう言ったらなんですが、これまでは人目をあまり気にして描いていなかったので、この変化はよかったのかなと思っています。

■最初はもっとゆるい「のんびり役者ライフ」的な話だった!?

――『ダブル』は「男ふたりの役者もの」をやりたいというところから始まっているとのことでしたが、先々まで構想はありましたか?

野田  「中心になるキャラが劇団に所属している男ふたりで、距離感が近い」ということは決まっていたものの、最初はもうちょっとゆるい話をイメージしていました。

稲泉  最初にもらったラフの時点から多家良と友仁、多家良のマネージャー冷田の3人のキャラクターデザインや設定は固まっていました。

――多家良、友仁、冷田の話が出たのでお聞きしたいんですが、野田/新井作品だと名前が役割や性格をそのまま体現していることが多いですよね。多家良は「宝」のような天才的な役者、友仁はその友人、冷田はクールな雰囲気、と。これは何か理由はありますか?

野田  キャラクターの名前は基本的には徳島県の地名から取っています。名字を地名から持ってきて、それを子どもの名付けサイトに入れるといい画数の名前が出てくるので参考にしたり(笑)。それにプラスして、主人公クラスでは役柄に近い名前をそのまま付けた方がすわりがいいな、と。「宝田多家良」は名字も名前も両方徳島の地名からです。友仁は最初そのまま名前を「友人」にしていたんですが、会話シーンで混乱するのでさすがに変えました。

――なるほど。ちなみに多家良も友仁も30歳ですが、この年齢にした理由は?

野田  この企画を持ち込んだ時点で自分が30歳だったんですね。それで、役者を続けるかどうかを迷うタイミングって30なんじゃないかと。20代のあいだは芽が出なくても続けられる。でも30になると38歳の自分、40になったときの自分に思いを馳せたりする。そこで堅実な人、自信がない人ならやめていると思うし、自信があってもなくても現実見ない人は続けちゃうだろうな、と。

――たしかに30前後はこの先のキャリアをどうするか、考える時期ですね。

野田  あとは、30くらいの男の人ってかわいいですから。20代は私にとっては取り扱うのが難しいんです。若くてかっこいい時期ですから、私が描きたい話の雰囲気とはまた違うのかなと。

――1巻を読んだときに友仁は多家良のことを「世界一の役者になる」と言っているわりに自分から積極的に売り込んだふしはあまりなくて、7年も小さな劇団に留め置いた理由ってなんだろうと思っていたんですね。それが2巻のあるシーンで「ああ、友仁は多家良のことを誰かに見つけてほしい気持ちと見つけてほしくない、遠くに行ってほしくない気持ちが同居していたのかな。そうこうしているうちに30になっちゃったのかな」と思ったのですが。

野田  というよりタイミングなのかなと。1話で冷田さんが多家良が出る舞台を観て声をかけ、事務所の所属にならなければこういう話になっていなかった。どれだけがんばっていても、チャンスは来ないときには来ない。急なタイミングで来る。でも目に見える大きな機会が来なくても、「楽しいな」と思って何かに没頭しているとあっという間に7年くらい経つ。私も2011年にデビューしてから商業でマンガを描き続けてはいたけれども漠然とした日々をすごしていたのが、『ダブル』が始まってから環境が一気に動いた感があって。実感を込めて言うんですけど、パッと人生を動かすことは難しいですよね。

――なるほど。それなら元々は、30歳だけれども先のことをあまり考えていなそうな多家良とその友人・友仁の「売れない役者ののんびり生活」みたいな感じの構想だったというのも腑に落ちます。

稲泉  稽古シーンも最初はそんなになかったですよね?

野田  そうですね。「売れない役者はこんな生活をしている」という話を最初はやりたかったんです。ただ稲泉さんが劇団「ロロ」の方々と親しかったり、演劇方面に明るい人だったので、それならもうちょっと専門的なところも扱えるし、ストーリー的に厚いものにできるのでは、と。舞台・演劇経験のある編集者って多いですよね? 

稲泉  多いですね。

野田  関係あるのかわかりませんが、『ダブル』をやる前から私の絵柄、作風が演劇が好きな人が読んでくださることが多かったんです。

 でも私はそれまで若手俳優を起用した舞台しか観ていなかったので、描いたときにボロが出るのがこわくて……取材やヒアリングをさせていただいてなんとかやっています。

稲泉  「演劇」とひとくちに言っても、やっていることも観ている人も全然違う派閥がいろいろありますからね。

野田  たしかに私は若手俳優が好きで舞台観劇に入ったので、観ている舞台が稲泉さんとは全然違い、持っている情報も違ったんですよね。

稲泉  今のところその違いはプラスに働いていると思います。

『ダブル』第二巻は一巻めとは打って変わって不穏な雰囲気の漂うふたりを描いたカバーに。
『ダブル』第二巻は一巻めとは打って変わって不穏な雰囲気の漂うふたりを描いたカバーに。

■結末までのプロットはできている

――取材する前と後で役者の世界に対するイメージが変わったり、作品で描きたいことに影響があったりしましたか?

野田  もともと終わりまでのおおまかな道筋は決まっているのですが、役者さんや劇団の方に聞いたり、裏側も観せていただいたりすることで、リアリティの部分、空気感がつかめてきて「それならこういう話を入れ込めるかもしれない」という細かい変化はあります。

 あとは「取材をした」というアリバイがあれば多少嘘をついても「あ、わざと実際と違うことを描いているんだな」とわかってもらえるので安心感が違いますね。

――なるほど(笑)。

野田  最新話(2020年3月更新分)で友仁が舞台に出る多家良への差し入れにコンビニおにぎりを持って行くというシーンを描いたら、舞台関係者から「リアリティある」と反応してもらえたんですけど、実はそこは「差し入れする側もすごいお金があるわけではないだろうし」と思って想像で描いた部分だったんですよね(笑)。

稲泉  全然ありますね。あとは栄養ドリンクとか。

――少し話を戻しますが、じゃあ『ダブル』は最後どうなるかはおおよそ決まっていて、そこに向けて描き進めているんですね。

野田  これまでの作品もおおまかにお話全体のオチは決めて、途中途中は都度都度考えてきていて。特に前作『潜熱』はマンガアプリの「マンガワン」で隔週掲載だったので、二週に一回〆切が来る。そうすると先の展開をかっちり決めておかないと、話づくりに時間をかけていると絵にかける時間がなくなる。そのときスケジューリングの仕方が鍛えられました。

――今2巻ですが、全体の何合目くらいまで来た感じですか?

野田  どうでしょう? おおよそ決まってはいるのですが、それを言うと「このへんに落ち着く話かな?」と予想されてしまうので……「予定通りに進んでいます」とだけ言っておきます。

――では、いつどう終わるのかわからないドキドキした状態で今後も読み続けたいと思います。本日はありがとうございました。

ふらっとヒーローズ『ダブル』第一幕

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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