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がん終末期 独居高齢者の終の棲家は?

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
病院でも、自宅でもなく、介護施設の「自分の部屋」で最期まで暮らす道も(写真:イメージマート)

がん終末期 独居高齢者の行く先

 2022年の夏。米国在住の筆者が、東京で大腸がん治療を受けつつ一人暮らしをしている高齢の母の様子をみに一時帰国をしたら、認知障害まで出ていることに気がついた。抗がん剤の効果も限定的で、母は私が帰国してほどなく体調を崩して入院。3週間後に退院できる状態になったものの、抗がん剤治療は終了となり終末期に入った。認知症で日時の感覚を失い、家事も金銭管理も難しくなった86歳の母の終末期をどう支えればよいのか? 一人っ子の私は大パニックに陥った。

その時の状況はこちら(前半)と、こちら(後半)から

 母のエンディング・ノートはほとんど白紙だった。が、50歳から大腸がんと共に生きてきた母は、終末期医療の希望欄だけには「ホスピスに入れてほしい」と記していた。米国では何らかの疾病で余命が6カ月程度と医師が判断した時には、在宅や施設でもホスピス・ケアが公的医療保険の適用となるので、今では病院よりも在宅あるいは老人施設などで最期を迎える人の方が多いようだ。

参考:カーター元大統領が選んだ米国の在宅ホスピスって?(片瀬ケイ)

利用が限られる日本のホスピス病床

 日本にもホスピス緩和ケア病棟をもつ病院が全国で460カ所あるそうだが、例えば東京23区内では19施設しかなく、どこも病床数は少ない(注1)。このため希望者は事前登録をし、必要度が高くなった人が最後の1カ月程度入れるというのが現状のようだ。また日本の保険診療上は、利用対象者も「主として苦痛の緩和を必要とする悪性腫瘍の患者又は後天性免疫不全症候群(エイズ)の患者」に限られている。

 母の場合はがん終末期といっても、とりあえずがんの痛みはなく、医師から余命を告げられたわけでもないので、ホスピス病棟に入れる状況にはない。母も含め入院患者のほとんどは自宅に戻りたがるし、コロナ禍の病院では家族との面会もままならずに最期を迎えた高齢者も多いため、最近では日本でも「在宅で最期を迎える」ことに注目が集まっている。実際、訪問看護や介護、在宅医療など自宅で受けられるサービスや、自宅で使える緩和ケアの薬剤が増え、以前と比べて環境は整いつつある。

ホスピス型の介護施設という選択肢

 在宅医療、介護の力を借りつつ、私が同居介護をすべきではないのかという思いに駆られた。しかし、入院前に母と一緒に過ごした数週間を思い出すと、それが現実的ではないこともわかっていた。

 母が大音量で一日中つけっぱなしにするテレビやラジオの音は、狭いアパートのどこにいても耳に入ってくる。昼夜を問わず40分毎にトイレに行こうとする母の介助をし、その合間に家事。夜もよく眠れず、外出もままならず、私自身も時間感覚を失っていく。米国の生活と家族をおいて日本に戻り、ひとりで母を見守るだけの生活を送る覚悟はなかった。

 最終的には、同じ区内にある有料のホスピス型介護施設に母を入居させた。全室個室で、24時間常駐する看護師、介護士が食事や入浴、健康管理などの生活介助をしてくれる。ここでは主に一般の介護施設に入れないがん末期、人工呼吸器使用、パーキンソン病などの神経性疾患で医療ケアが必要な人を受け入れている。

 医療保険を使って入居者が自分で契約した外部の訪問診療医と訪問看護で、穏やかに生活するための医療ケアが受けられる。訪問医の指示のもとで医療用麻薬を含む緩和ケアも可能で、看取りまで対応してくれる。病院や病院内のホスピス・緩和ケア病棟と比べ、家族も面会や差し入れなどの自由度も高い。食事が運ばれてくる時間は決まっているが、居室での過ごし方は入居者の自由だ。

プロの力が発揮される施設療養

 とはいえ最初は見知らぬ施設に連れてこられて混乱する母の姿に、私は罪悪感をおぼえずにはいられなかった。その一方で、入居後は施設のメリットを感じる場面がたびたびあった。

 例えば母が不安状態になった時には、介護士が背中をなでながらやさしく話しかけて、上手に落ち着かせてくれた。介護経験のない私だったら、母と一緒にパニックになっていただろう。医療面でも母は自分の体調を十分に医師に説明できる状態にないが、施設では看護師が日々の体温や血圧、食事量、排せつ状況、日常の様子、皮膚の状態(床ずれ予防に重要)などを観察、記録しているので、二週間毎に来る訪問医も母の体調を把握しやすい。

 新型コロナ流行時に母が喉の痛みを訴えた時も、訪問医がすぐに来て診断、薬の処方をしてくれた。母は軽症のまま施設内隔離で5日ほどで回復。すでに米国に戻っていた私には、医療や介護のプロが母の側にいてくれることへの安心感は大きかった。

 生活環境もバリアフリーで、広く手すりが沢山ある廊下やトイレ、浴室のある施設と、段差や家具などの障害物があちらこちらにある狭い母のアパートとでは大違いだ。実際、高齢者の転倒事故の約半数は自宅で起きるという。つい最近も同じアパートに住む元気な高齢のご近所さんが家の中で転んで足を剥離骨折し、全治3カ月だと聞いた。

 母を施設に入居させて半年。3月に再び一時帰国した私が目にした母は、以前より明らかに元気になっていた。抗がん剤の影響がなくなり、バランスの良い食事とマイペースな療養で体力が戻ったのだろう。自分でベッドから起きて着替え、歩行器を押しながら、介護士と一緒に散歩を楽しんでいた。

 また一日に何度も看護師や介護士と言葉を交わし、他人に囲まれて生活する緊張感で、認知機能や意欲も以前より改善したように思う。散歩で手折って来た野草や施設で撮ってもらった写真で、自分なりに部屋を飾っていた。母を自宅で生活させてあげられなかったことに負い目を感じ続けていた私だったが、心が少し軽くなった。

最期まで自分らしく暮らすとは

 ひとくちに「在宅で最期まで」といっても、家族の介護力や要介護者の状態、価値観に応じてさまざまな形があるのだと思う。家族に支えられて文字通り最期まで自宅で過ごせる人もいれば、最期は病院または病院のホスピス病床に移るという場合もあるだろう。また母のように、自宅ではないが施設内の自分のスペースで暮らすのも、「在宅」のひとつの形だろうと思う。

 インターネットのおかげもあって、施設にいる母と私の距離は以前より近くなった。母が自宅にいた時は固定電話が唯一の通信手段で、顔を合わせるのも数年に一度だった。今は施設の母の部屋にWi-Fiとタブレットを設置したので、米国からでも毎日のようにビデオ通話ができるし、母に頼まれたビールやおやつの差し入れを日本のネットスーパーに注文することもできる。

 しかし以前はダンスや陶芸、水泳など多趣味で仲間と一緒に過ごすのが好きだった母。今はどれもできる環境にはない。今の生活が母にとって「最期まで自分らしく暮らす」ことだろうかと、切ない気持ちになることもある。先日、施設の近くで一緒に桜を見ながら「ねえ、何かやりたいことってある?」と母にたずねたら、「ないね。いろいろ遊んだから、もういいよ」との返事。それが本心なのか、私の気持ちを楽にするために言ってくれたのかは、わからない。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

参考リンク

注1 特定非営利活動法人 日本ホスピス緩和ケア協会

ホスピス緩和ケア病棟一覧表

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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