労働党党首選「英国の再国有化」唱えるコービン氏が圧勝 こうして左派は自滅する
「時代遅れの社会主義者」
5月の総選挙で歴史的な大敗を喫した英最大野党・労働党の党首選が行われ、12日、大方の予想通り左派のジェレミー・コービン氏(66)が選ばれた。
有権者は、党員29万2千人、労働組合など党関連の組織メンバー14万8千人、3 ポンド(558円)を支払って登録したサポーターが11万2千人。コービン氏は1回目の開票で断トツの59.5%の票を集め、当選を決めた。コービン氏は「国民は不正義と不平等、必要のない貧困にうんざりしている」「私たちは不平等である必要はない。社会は公正でなければならない」と勝利宣言した。
エド・ミリバンド前党首が労働党支持者の裾野を広げようと導入した登録サポーター制が混乱を招いたという恨みを残した。コービン氏が党首になれば労働党は次の総選挙で勝つ見込みがなくなるため、保守党支持者が大量に登録したとの謀略説も流れた。極左勢力が流れ込んだとも言われた。
反移民、反グローバル化、反エリート主義、反緊縮の空気が欧州に広がる中、コービン氏は「銀行や鉄道、エネルギーの再国有化」「国民のための量的緩和」を訴え、社会主義ユートピアへのユーフォリア(熱狂的陶酔感)を生み出した。
「時代遅れの社会主義者」と揶揄(やゆ)されるコービン氏の政策は簡単に言えば、時計の針をブレア、ブラウン両首相前の労働党(オールド・レイバー)に戻そうということだ。
しかし社会主義への回帰は何ももたらさない。マルクス・レーニン主義は1989年のベルリンの壁崩壊とともに死滅したからだ。コービン党首の誕生で、1900年に設立された労働党の終わりが始まった。
グローバル化の進展で激化した国際競争は勝者と敗者を二分した。英国が勝ち組なら、ギリシャは完全に負け組だ。しかし、その英国の中でもグローバル化の波に完全に取り残された低所得者層がいる。
ユーロ圏のギリシャで急進左派連合(SYRIZA)が政権を獲得した。スペインでは一時は支持率でトップに立っていた新党ポデモスの人気に陰りが見え始めている。ギリシャ経済は反EU感情を煽ったSYRIZAのチプラス首相に振り回され、破綻寸前まで追い込まれた。それに対し、構造改革に取り組んだスペイン経済は順調に回復しているからだ。
チプラス首相やコービン党首が唱える社会主義ユートピアは「クラスルーム・ポリティックス(クラス委員の選挙)」では熱狂的に受け入れられるかもしれない。しかしアジアなど新興国が台頭する国際市場で競争力を回復しなければ、これまでのような豊かな生活を維持するのは不可能だ。
ギリシャや英国の国民が中国の人民より豊かでなければならないという必然性は今や何一つない。
コービン氏が労働党の党首選で唱えた政策のキーワードは「再国有化」だ。BBC放送など英メディアの報道から押さえておこう。
経済政策
緊縮策の終結が最優先課題。富裕層に対する課税強化。社会保障を必要とする人たちの支援。脱税や租税回避の取り締まりで1200億ポンド(約22兆3200億円)を捻出、企業に対する優遇税制を撤廃し、法人税を引き上げる。
こうした政策でNHS(国営医療制度)の財源を倍増できる。企業トップの報酬に対し、最高賃金の上限を設けることを検討する。大手銀ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドを再国有化する。英中銀・イングランド銀行は「国民投資銀行」が発行する債券を購入し、「国民のための量的緩和」を実施する。
この資金で住宅、エネルギー、交通手段、デジタル・プロジェクトに関する公共政策を実施して、熟練を要する仕事と実習生の枠を拡大。金融セクター中心から、高成長を期待でき持続可能な分野への構造転換を図る。歳出削減では財政赤字をなくせない。均衡財政を達成する期限は設けない。
外交・安全保障政策
軍事的ではなく政治的な解決に基づく、これまでとは劇的に異なる国際政策を実施する。中東の平和を確かなものにするため、すべてのプレーヤーと交渉する。北大西洋条約機構(NATO)から離脱する。イラクやシリアでの過激派組織「イスラム国」空爆に反対する。国内総生産(GDP)の2%の国防予算を縮小する。核抑止力システム「トライデント」を撤廃する。
欧州連合(EU)政策
EU残留を支持するが、雇用を拡大してより良き「欧州」を目指す。しかし、その一方でギリシャに対する扱いがひどすぎるとしてEUから離脱する可能性に言及したことも。環大西洋貿易投資協定(TTIP)に断固として反対する。
教育政策
NHSをモデルにして国営教育サービス(NES)を発足させる。労働党のブレア、ブラウン両政権、保守党のキャメロン政権で進められた民間活力導入型アカデミーやフリー・スクールを元通り、地方教育局の支配下に戻す。
「パブリック・スクール」と呼ばれる有名私立校への優遇措置を廃止する。100億ポンド(約1兆8600億円)の財源を割いて授業料を再び無償化する。全国的に同じ水準の子育て支援策を実施する。
医療政策
NHSに取り入れられている民間資金構想(PFI)を廃止する。
住宅政策
低所得者のためロンドン中心部などで賃貸料規制を導入する。2025年までに、公共賃貸住宅の入居者は割引価格で住宅を購入できる枠組みを徹底し、民間賃貸住宅にも適用する。
交通・エネルギー政策
英国の鉄道や電力・ガス会社を再国有化する。ロンドンとイングランド北部を結ぶ高速鉄道HS2は「北部の町をロンドンの寄宿舎にするだけ」と反対。シェールガスの採掘は環境を破壊するとして延期措置を設ける。
王室
コービン氏は共和制支持者だが、「王室の撤廃には関心がない」と発言している。
エリート臭のないコービン党首
コービン氏の主張は荒唐無稽だが、学ぶべき点がいくつかある。まず、老学者のようなコービン氏からはエリート臭がまったくしない。できるだけ噛み砕いた言葉で話し、有権者と政治の距離を縮めた。国家の論理より国民の視点を重視した。
英国政治研究家の菊川智文氏=ロンドン在住=は「イギリス政治のニュースレター」(9月号)でこう分析する。
「他の 3 候補はいずれもオックスフォード大学(イベット・クーパー)かケンブリッジ大学(リズ・ケンダルとアンディ・バーナム)出身で、クーパーとバーナムは、労働党政権時代には大臣など政府の役職を経験し、2010 年に初当選したケンダルも影の内閣の役職を務めている」
「しかし、大学を出ておらず、66 歳で、他の候補者より 20 歳ほど年齢が上のコービンは、1983 年から下院議員を務めているという強みはあるものの、労働党政権下で政府の職にも就いていない。しかし、コービンの議論は、他の候補者より優勢で、そのため、多くの支持を集めていることが明らかになってきた。そして一般の有権者も、コービンに気が付き始めている」
最初は本命だったバーナム影の保健相を見ていても腹話術の人形が口をパクパク動かしているようで、コービン氏の演説には遠く及ばなかった。コービン氏と比べると、バーナム、クーパー、ケンダル3氏はまるで保守党の候補者のようだった。
所得の再配分と経済成長の両立を
次に大事なのはコービン氏が所得の再配分を伴う経済成長を強調したことだ。所得の再配分は、課税と社会保障の制度がその役割を果たしている。が、グローバル化が進んだ今、過度の課税強化は、雇用を生み出す優良企業や優秀な人材を国外に押しやってしまう。
社会保障を拡充するにしても、どの先進国も膨大な政府債務を抱えており、限界がある。残された手段は最低賃金の引き上げだ。世界金融危機のあと、企業はフルタイムの従業員を減らし、パートタイムや実習生を増やしたため、英国では実質賃金が低下した。
このため、オズボーン財務相は来年4月から25歳以上の労働者を対象に1時間当たり7.2ポンド(1339円)の法定生活賃金を全国一律に導入、2020年までに9ポンド(1674円)に引き上げると表明した。保守党は「働く人の党」を前面に打ち出し、労働党のお株を奪う。労働党は違いを出すために、さらに左に舵を切らざるを得ない。
英国経済は力強く回復している。働く者が報われる好循環が生まれ始めている。ユーロという単一通貨の桎梏につながれ、出口なき歳出削減と賃下げを強いられるギリシャとは事情は大きく異る。そのギリシャでもSYRIZAのチプラス首相は現実路線に軌道修正している。
英国で社会主義が息を吹き返すことはない。コービン党首の誕生で労働党が次の総選挙で勝つ可能性は皆無になった。党内ではすでに下院議員が造反の動きを見せており、労働党は内部崩壊に向かうリスクすらはらんでいる。
(おわり)