「量的緩和」は本当に経済再生に役立つのか?
新興国企業の借金2150兆円、10年で4.5倍に
10月2日に発表された米国雇用統計の結果が、ネガティブサプライズだったために、米国の利上げは当面、先送りになった。非農業部門雇用者数が20万3000人増の市場予想が外れて、なぜ14万2000人増に減少したのか。米国経済の回復に大きな疑問符が付いた形だ。
失業率は5.1%と変わらずだったのだが、共和党の大統領選に出馬しているドナルド・トランプ氏は、以前から「失業率5%はありえない、現在の感覚では24%台、42%という数字も見たことがある」と主張している。
米国は、リーマンショック直後から始めた非伝統的量的緩和をQE1~3まで実施して、やっと景気を回復させることに成功したかに見える。そして、現在は0.25%(もしくは0.125%)の引上げに取り掛かっているわけだが、ここにきてこんなわずかな金利引上げもできないほど米国経済は弱いのか、といった指摘が相次いでいる。
さらに、9月29日にIMF(国際通貨基金)が発表した「国際金融安定性報告書」の中で、主要な新興国の企業が抱える借金の総額が18兆ドル(2150兆円、2014年)になったと発表した。この10年間で4.5倍になったことになる。8年前に起きたリーマンショック以後、米国や日本、EU(欧州共同体)といった先進国が、率先して非伝統的、もしくは異次元の「量的緩和」をしてきたわけだが、その副作用が初めて表面化したものと考えていいのではないか。
米国は量的緩和を徐々に縮小させて2014年10月に終了させたが、日銀やECB(欧州中央銀行)は現在も継続中だ。ここで疑問になるのが、FRBや日銀、ECBが大量に放出した緩和マネーはどこに行ってしまったのか、ということだ。大量の緩和マネーが約7年間にもわたって世界中に流れ続けた。まさに「過剰流動性」の世界だ。
経済危機や金融危機に対して、紙幣をバンバン印刷して、市中にばらまけば経済は自律反発して行く--という考え方が現在の先進国では当たり前になっている。FRBのバーナンキ元議長が先頭になって実施した経済政策だが、誰もダメージを受けない夢のような金融政策と言っていい。実際に、米国はある程度の経済成長を回復し、不良債権などもあっという間に処理できているように見える。
ただ、米国が他の先進諸国などと比べていち早く経済を回復できたのは、その破綻処理の方法やスピードといった社会構造が「失敗を認めてくれる社会」だからという見方もある。さらに、移民が多く社会全体が「多様化」していて、イノベーションを生みやすい風土があるからだ。社会全体が構造改革をためらわない風土が根付いており、経済危機にも強かった、と言っていいだろう。
「過剰流動性」は「過剰債務」を生むだけ!?
問題は、その大量にばらまかれた緩和マネーの行方である。中央銀行が一般の銀行などにマネーを際限なく提供し始めたら、企業も個人も借金をして設備投資をしたり、住宅を建設したりする。みんなが同じことをすれば、世の中はバブルになる。投資していた不動産などの価格も上昇して、みんながハッピーだ。
しかし、実際には中央銀行からばらまかれたマネーは、金融のグローバル化によって、ヘッジファンドとかプライベート・エクイティなどによって、新興国の企業などに投資されて、投資という名の借金(債務)に代わる。政府も国債をどんどん発行できるから、公共事業とか公務員の給料なども支払い放題だ。
本来なら、経済危機の原因を追求して責任者を明確にして、失敗の原因を明確にする必要がある。その上で、構造改革を実施して初めて不況からの脱出を待つのが理想だ。ところが、政府が金をばらまき続けてしまうと、そうした過去の過ちはうやむやにされていく。日本の90年代のバブル崩壊も似たような経緯を辿った。
IMFが9月29日に発表した「新興国企業の借金2150兆円」は、まさに、過剰流動性が生んだものであり、今後、米国が金利を引き上げてくれば、先進国の緩和マネーは一斉に米国に還流する可能性が高い。新興国は経済成長の原動力を失うことになるかもしれないわけだ。
その結果、新興国企業には莫大な借金だけが残ることになる。インフラや工場として形が残ればいいのだが、しばしば完成前に資金だけ引き上げられてしまうケースも少なくない。そもそも先進国が自らのバブルに浮かれて経済危機を招き、その解決策のために中央銀行が際限もなくマネーをばらまくのは「先進国のエゴだ」という考え方も根強い。
過剰流動性が過剰債務を産めば、その結果として信用収縮が起こり、市場流動性が枯渇する。IMFも、市場流動性の収縮に警告を発しているが、米国の金利引き上げに伴って、過去には数多くの経済危機や金融危機を招いている。実際に、原油価格など資源価格の暴落が起こっているが、バブルが崩壊するのは中国だけではなく、緩和マネーに浮かれた世界中なのかもしれない。