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新OPBF東洋太平洋ライト級チャンプ

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
Photo 山口裕朗

 宇津木秀はまったく手を緩めず、鈴木雅弘に細かいパンチを見舞い続けた。ロープを背負った東洋太平洋OPBFライト級チャンピオンがよろけたところで、レフェリーが試合をストップ。

 第5ラウンド2分54秒、同4位だった宇津木はTKO勝ちで新チャンピオンとなった。

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 両者がプロで初めて対戦したのは、2022年2月8日の日本ライト級タイトル空位決定戦だった。アマチュア時代に3度対戦し、勝ち越しているとはいえ、鈴木は既に1階級上の日本王座に就いていた。宇津木にとっては初のタイトル戦であり、ようやく掴んだチャンスだった。

 その試合で9回KO勝ちを飾った宇津木は、7月18日の前日計量を終えた後、当時の写真が飾られている馴染みの鰻屋で勝負メシを食べた。デビュー以来、計量後はいつもそうしている。父と、祖母と共に馴染みの鰻屋の暖簾を潜るのだ。店主と奥さんは、いつものように「頑張って!」と宇津木を送り出した。

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 日本タイトル初防衛戦の前、宇津木は緊張のあまり勝負メシを戻しかけたことがある。急に「もし負けたら、何もかも失うのだ…」と不安にかられたのだ。

 3度目の防衛戦に失敗して同タイトルを奪われたが、チューンナップ戦を挟んで、東洋太平洋挑戦の日を迎えていた。チャレンジャーとなって、自身2本目のベルトを狙う今回は、特に気負いが無かった。父からは「足を使ってディフェンスしろよ。いつも通りのボクシングをやれ」と助言され、その言葉を胸に後楽園ホールに向かう。

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 宇津木は初回から、鈴木と打ち合った。

 「鈴木は東洋太平洋タイトルを獲った試合でも1発で倒しているので、パンチがあることは分かっていました。でも、圧が予想以上だったんです。『これをどう止めるか』と考え過ぎた結果、打ち合ってしまいました。正直、驚いたんですよ。『ここで引いたら、相手を勢い付かせてしまう』と感じて…警戒しながら、ディフェンスと攻撃を分けていたのが1、2回です。

 怖いパンチもありましたが、『この相手には負けないな』という気持ちもあったんです。とはいえ、1ラウンドが終わってコーナーに戻ると、小林尚睦トレーナーに『お前、何、テンパってるんだ!』『もっと集中しろ!!』って怒られました。気を抜いている自分はいなかったんですが、対応策が見出せなかったんですよね」

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 宇津木が、小林トレーナーの「リードをついて、細かく」という指示を守れたのは3ラウンドに入ってからだった。

「しっかり切り替えられました。ジャブを3~4発当て、ペースを掴めた実感がありました。

 僕はどんな選手に対しても、打ち勝てるってタイプじゃないんです。そこまでのパンチ力は無いですから。戦い方で、コツコツと相手にダメージを積み重ねるボクシングです。ただ、コーナーについてくれた京口紘人さんは『それでいい』『それでいい』と、言ってくれました。『あとは、大振りにならないように、6割の力でテンポよく、手を出していけ!』というアドバイスでした」

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 勝利した宇津木は、「とにかくホッとしました」と、7月19日を振り返った。

 14勝(12KO)1敗となった宇津木の戦いぶりを、渡辺均・ワタナベジム会長は評価する。

 「世界タイトルまでやらせてやりたいと感じさせる、いい試合でした。ライト級はなかなか厳しい階級ですが、チャンスを作ってやりますよ。本人が海外キャンプを望んでいるので、色々と経験して、さらに大きくなってほしいですね」

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 この夏、宇津木は海を渡り、猛者が集う本場でのトレーニングを計画している。OPBF東洋太平洋ライト級王者は、己の限界に挑むーーー。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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