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終末期医療…今こそ、社会や家族で考えるべきことでは?(上)

鈴木崇弘政策研究アーティスト、PHP総研特任フェロー
「ケアプラザさがみはら」の外観 写真:「ケアプラザさがみはら」提供

 かつては、人は家で生まれ、家で生涯を終えるのが当たり前だった。以前は、家庭には何世代もが同居し、自分以外のメンバーの誕生や成長、そして死を日常的に体験できた。また、生活空間も、そのような人間の営みを受け入れ、許容し、感じられる広さや雰囲気があった。

 ところが、核家族化や都市化の進展などのさまざまな要因や理由から、出産や死亡は病院で対応されることが多いのが現状である。もちろんそれにより、乳児死亡率の低下や長寿化もあり、医療機関や医療従事者の貢献は社会的に計り知れないものがある。

 しかし、それにより、私たちは人の生涯におけるさまざまな経験や知見等を得る機会を失っているようにも感じる。そのようなこともあり、「終活(注:「人生の終わりのための活動」の略。人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるための様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する言葉(出典:終活カウンセラー協会))」という言葉に、近年社会的にも注目が高まっている。

 人生を終えるということは、単に当事者だけが考えればいいことではなく、当事者およびその家族を中心にした方々の間の共通の理解やそれに基づく判断や姿勢・行動が重要であると感じるところ。特に、日本は、すでに超少子高齢化社会であり、またこれからを考えると日本社会全体の安心感や納得感さらに豊かさを感じられるようにしていくためにも、この問題は避けられないし、考え理解していくべき問題であるといえるだろう。

 そこで、ご自身の経験も踏まえて、この問題について長年考え、洞察を深め、すでにその一部を実践されてきている大塚小百合さんにお話を伺った。大塚さんは、その設立にも関わり、現在その運営にも関わる社会福祉法人蓬莱会特別養護老人ホーム「ケアプラザさがみはら」の施設長をされている。

大塚さんのこれまでおよび現在のキャリアについて

鈴木(以下、S):まずはじめに、大塚さんのこれまでおよび現在のキャリアについて教えてください。

大塚小百合さん(以下、大塚さん):現在、徳島および関東(東京、神奈川)を拠点とする社会福祉法人蓬莱会の常務理事、及び特別養護老人ホームケアプラザさがみはらの施設長を務めております。

 私は、徳島で高校まで過ごし、大学は兵庫県にある関西学院大学に進学しました。大学4年次に父親の病気がきっかけで家業である介護施設経営の仕事を手伝いたいと考え始めました。そのために、卒業後、市役所福祉職、社会福祉協議会、救急病院のMSW(メディカル・ソーシャル・ワーカー:入院患者の相談援助職、患者の退院支援や制度活用などの相談等を行う)などの仕事を経験しました。働きながら社会福祉士、精神保健福祉士などの専門国家資格を取得し、その後、当法人の関東進出の先駆けとなった当施設の立ち上げ等に携わり、新規事業準備室室長を経て、現在に至ります。

 当施設の開設後間もなく、それまで福祉法人蓬莱会の経営の中心を担っていた母を癌で亡くしました。そのために、当時私は32歳でしたが、徳島にあるその法人本部から離れた神奈川県のこの相模原で、一人だけで、運営側の立場として事業の中心となって推し進めなければならない立場におかれることになったのです。

 本日に至るまでいろいろな事がありましたが、現在は運営も安定し、多くの意欲ある職員や地域の方々に支えられ、今年で開設10年の節目を迎えることができました。

「ケアプラザさがみはら」について

S:それは大変でしたね。ご苦労も多かったのではないでしょうか。それでは、大塚さんが中心になられて運営されている「ケアプラザさがみはら」について教えてください。

大塚さん:当施設は全室個室のユニット型、特別養護老人ホーム(140床、うち10床ショートステイ)の施設になります。

 65歳以上の要介護度3~5の方が主な入居対象であり、自宅で生活するのが難しくなった中度~重度の介護度を持つ高齢者の方が住まわれ、生活に必要なケアを受けながら暮らされています。

 当施設では「心残りゼロケア」と名付けた看取りケアに力を入れています。

 特別養護老人ホーム(特養)は、「終の住処(ついのすみか)」と呼ばれており、希望をすれば最期まで過ごし、お看取りさせていただくこともできる施設です。病院ではなく、暮らしの場での最期の過ごし方を医師、看護師、介護士等の専門職と連携しサポートしています。

「ケアプラザさがみはら」の一室の様子 写真:「ケアプラザさがみはら」提供
「ケアプラザさがみはら」の一室の様子 写真:「ケアプラザさがみはら」提供

「終末期医療」や「看取り」について

S:ご説明ありがとうございます。そのようなご経験から、「終末期医療」や「看取り」について、大塚さんご自身はどのようにお考えなのかを教えてください。

大塚さん:終末期医療の在り方や看取りについて深く考える様になったのは母親を亡くしてからです。

 幼いころから老人ホームが庭のような環境で育ってきた私は、当然自身の親もこのように高齢者となり、老衰や介護を経て天寿を全うし、最期を看取るものだと思っていました。しかしながら、母親の癌は病状が急速に悪化し、最期をどう過ごしたいのかという死生観についても十分に話し合う機会も時間もありませんでした。そのために、私は、回復の見込みがない状態では病院で治療を最後まで続けるのが当たり前だと思い込み、母は病院で最期を迎えることになったのです。

 私は今、当時のことをとても後悔しています。終末期、食事を摂れなくなり入院させた結果、母は毎日の点滴による全身のむくみでブヨブヨに体が膨らみ別人のような姿に変わってしまいました。死に向かう準備を始めた身体は、水分や栄養を使う必要がなくなるため、むくみや痰、腹水となって苦しみの原因になるのです。全身に色々な管を繋がれ、看護師さんが頻繁に鼻から管を入れて痰を吸引してくださるのですが、母はその際意識がない状況でも首を横に振り顔をしかめて苦痛を訴えていました。しかし、吸引しなければ窒息してしまう…。今でもそのつらそうな様子をたびたび思い出します。

 私は、施設での仕事を通じて終末期のケアの在り方を学ぶ中で、施設での看取りはとても穏やかで、悲しいけれど美しいものだと感じるようになりました。食事が徐々に摂れなくなっていく老衰の終末期、管に繋がれることもなく、気心の知れた職員や面会に来られたご家族とゆったりとした時間を一緒に過ごし、好きな音楽を聴き、好きな食べ物を一口でも最後まで召し上がっています。そのような時間の流れと眠りの中で、いつの間にか呼吸が止まっている。そのような亡くなり方をされます。ご遺体はむくむこともなく生前のきれいなお姿のままです。

 私たちは皆、いつかは死を迎えます。これは免れることができないことです。このことに関して、専門用語ではACP(アドバンス・ケア・プランニング、Advance Care Planning)という言葉があります。それは、「どのように死を迎えるか」ということを健康な時に早くから考えておくこと、そしてその内容について身近な人たちと共有して取り組んでおくことです。このような回復の見込みがない老衰の終末期において、病院での治療ありきの死、暮らしの場での自然な死、どちらが正しい、間違っているということではなく、その先に何が起こりうるのか、その選択がその人の生き様に沿ったものなのか、命を1分1秒でも長らえることが大切なのか、それとも生きる時間をいかに充実させて過ごすことが大切なのか、本人、家族が話し合い、皆が納得して選択することが大切であり、必要であると思っています。

「ケアプラザさがみはら」の入居者の日常の様子 写真:「ケアプラザさがみはら」提供
「ケアプラザさがみはら」の入居者の日常の様子 写真:「ケアプラザさがみはら」提供

「ケアプラザさがみはら」での現在の取り組みについて

S:お話を伺うと、ご指摘されていることは非常に大切なことだと感じました。そのような大塚さんのお考えに基づいて、どのような活動をされているのか。特に「ケアプラザさがみはら」で実際にされている取り組み等について教えてください。内部の職員や施設利用者およびその家族などにも対応されていると伺っています。その点も教えてください。

大塚さん:冒頭でもお話ししましたように、ケアプラザさがみはらでは、看取りケアのことを「心残りゼロケア」と呼んでいます。その「心残りゼロケア」の過程として、施設にご入居していただいた時から、最期を見据えたご本人やご家族との関わりをスタートします。

 施設で看取りケアを実践していく中で、以前は「死」というものをご家族やご本人に想像させてしまうと傷つけてしまうのではないかと触れることを避け、食事が摂れなくなり終末期に差し掛かったタイミングで看取りのお話を始めさせていただいていました。

 しかし、現実には日々の様子を見てきたケアスタッフの「心積もり」と離れて暮らすご家族の「心積もり」には乖離があります。そのために、終末期に差し掛かったタイミングで話を始めるのでは、ご本人の意向をご家族が推し量ってスタッフと相談しながら最期を決めていくにはあまりにも時間が足りないのです。そのために、決断できぬままに成り行き任せに病院で最期を迎えられたケースや、急変時に救急搬送され、混乱の中で選択した延命治療を尽くした挙句にお亡くなりになるというようなケースがありました。

 このようなことから、職員間でも本当にこれで良かったのだろうかと悩ましく感じていました。また、当施設ではご本人の夢をお伺いし、叶える「夢事業」といった取り組みを行っているのですが、いざ食事が摂れなくなってきてから希望をかなえて差し上げたいと思ってもリスクが高く、諦めた取り組みなどがいくつもありました。

 当施設に入居される方は介護度が中重度の方で、基礎疾患も皆様持たれていて、年齢も90代が中心、「いつ何時急変が起きてもおかしくない」と考え、「死」という大切な問題を取り扱うからこそ、終末期に差し掛かってからではなく入居時よりできるだけ長い時間をかけて、ご本人、ご家族、ケアスタッフが適切かつ的確に話し合って「心積もり」をしていくことが必要だと考えるようになったのです。そして、お看取り時には、皆が「心残りゼロ」でその方らしい人生を生ききったと実感できるような後悔のないケアを目指すようになったのです。

 そこで、現在では「心残りゼロケア」の入居時からの関わりについてのフローチャートを作成し、スタッフ間で共有、ご本人およびご家族に知っていただきたい老衰の経過や延命治療のリスクなどの知識、考えてほしいことなどを冊子にまとめています。ご本人がお元気なうちから、それらについて説明するほか、年3~4回のご家族向け看取り説明会を実施して、ご本人、ご家族、ケアスタッフが足並みを揃えて「死」の在り方に段階的に向き合う機会を作っています。

 また、亡くなられたら終わりではなく、お看取り後のご家族へのグリーフケア(喪失・悲嘆に対するケア)の一環として、故人を皆で施設からお見送りする「お別れ会」の実施や1周忌に故人との思い出を綴ったお手紙を送るなどの取り組みも行っています。

 これらの取り組みを積極的に行った結果、3年を経て、特養の全国平均の2倍の割合で、病院ではなく当施設でのお看取りを選んでいただけるようになりました。

            …次号に続く…

大塚 小百合(おおつか さゆり)さんのプロフィール:

大塚小百合さん 写真:本人提供
大塚小百合さん 写真:本人提供

・現職:社会福祉法人蓬莱会「特別養護老人ホームケアプラザさがみはら」施設長

    相模原市高齢者福祉施設協議会 副会長

相模原市在宅医療・介護連携推進会議 副会長

・資格:社会福祉士、精神保健福祉士、介護支援専門員

<略歴>

 関西学院大学文学部卒業。関西学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻・博士前期課程修了(社会学修士)。関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科修了(経営管理学修士(MBA))。

 大学卒業後、市役所福祉職、社会福祉協議会、急性期病院のMSW、社会福祉法人蓬莱会新規事業準備室長としての勤務を経て現職に至る。

政策研究アーティスト、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。新医療領域実装研究会理事等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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