【深掘り「鎌倉殿の13人」】比企の乱後、北条義時の妻・比奈は再婚していた
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の32回目では、北条義時と比奈が離婚してしまった。その後、比奈は再婚したので、詳しく掘り下げてみよう。
■比奈と義時
堀田真由さんが演じる比奈(「姫の前」とも)は、比企朝宗の娘として誕生した。父の朝宗は、遠宗と比企尼(頼朝の乳母)の子であるという。残念なことに、比奈の生年は不詳である。
比奈は成長すると、頼朝に仕えることになった。比奈は大変美しく、たちまち頼朝は虜になった。「当時権威無双の女房なり」(『吾妻鏡』)といわれたほどなので、比奈は頼朝の威勢をバックに権勢を振るったのだろう。
比奈は美しかったので、北条義時はすぐに夢中になったと考えられる。義時は比奈と結婚すべく、約1年にわたってラブレターを送り続けた。しかし、比奈の義時に対する態度は、つれないものだったという。
状況を見かねた頼朝は、義時を呼び出すと「離婚は絶対にしません」という起請文を書かせ、比奈に送った。これにより、2人は結婚したというが、史実か否か疑わしい点がなくもない。
建久3年(1192)9月25日、義時は晴れて比奈を妻として迎えた。義時は比企氏と姻戚関係を結ぶことで、幕府内における立場をより強化しようと考えたに違いない。
■比奈と義時の離婚
建仁3年(1203)に比企の乱が勃発すると、事態が激変した。比企能員ら比企一族は事実上滅亡し、比奈の立場も危うくなった。ドラマのなかでは、比奈が義時に離婚を申し出ていたが、記録のうえでは特に記載がない。
比企の乱後、比奈の行方は『吾妻鏡』などの記録にあらわれない。ところが、のちに比奈は源具親と再婚し、2人の子供(輔通、輔時)を授かったことが判明する。
具親は後鳥羽上皇の院政のもとで活躍した公家で、歌人としても知られている。新三十六歌仙の1人だった。具親と比奈が結ばれた経緯は不明である。
■まとめ
比奈が亡くなったのは、承元元年(1207)3月のことである。ドラマのとおり、比企一族が滅亡したので、義時は比奈と離婚せざるを得なかったのだろう。とはいえ、放り出すのではなく、再婚先もきちんと準備していたのではないだろうか。