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「なぜ?」を考える授業 リュックサックを持っていった人はどんな人?

小林恭子ジャーナリスト
狩野みき先生(慶應義塾大学日吉キャンパスでの授業の一コマ)(撮影筆者)

 「自分の頭で考える」。

 なんだか当たり前のようなことにも思えるが、大量の情報に常時アクセスできるようになった今、「一体、これは何だったのだろう。自分はどう考えるのだろう」と立ち止まって考えることの重要性は増している。

 ChatGPTを使って答えを聞いてしまえば早いし、翻訳もGoogleや便利なソフトを使えばさっとできてしまう。自分で考える行為自体がだんだんと省略される時代になっている。それでいいのか?便利さと引き換えに、私たちは何かを失ってしまうのではないか?改めて、「考えること」の復権が問われているのかもしれない。

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 さて、「考えること」を長年教えてきた人がいる。

 慶應義塾大学の複数のキャンパスで教鞭をとり、子どもから大人まで「自分で考える力」を広めるイニシアティブ「THINK-AID」を主宰する狩野みきさんだ。

 THINK-AIDのウェブサイトによると、狩野さんが考える力を教えるきっかけになったのは米国人の友人との会話だった。夕飯に何を食べたいかと聞かれて答えたところ、「なぜ」と逆に聞かれてしまった。そこで「あること」に気付いたと言う。

 「英語のネイティブ・スピーカーは自分の意見・主張を言う場合に、必ずと言っていいほど、理由を言う」。しかし、英語を英語らしく話すためだけに、なぜ?で始まる「自分で考える力」を捉えるのは勿体ない。「なぜ?」がもたらすメリットは「その人の考えをより深め、よりわかりやすいものにし、その人に自信を与えてくれる」からだ。そこで、日本の子供たちにこそ、考える力を身につけてほしいと思うようになったのだと言う。

 「一人ひとりが自信を持って主体的に生きていってほしい」。狩野さんは筆者へのメールの中で長年考えることや伝えることを教える理由として挙げている。

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 筆者はだいぶ前から、狩野さんのことを知っていた。というのも、2002年まで筆者は読売新聞の英字新聞「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)で翻訳者・記者として働いており、狩野さんは同僚の一人だった。

 新聞社勤務時代も、狩野さんは大学でも英語を教えていた。

 筆者は英国に来てからフリーのジャーナリストとして活動を開始したが、狩野さんは新聞社を離れて、教えることに専念する。同時に『世界のエリートが学んできた「自分で考える力」の授業』(日本実業社)を含む、「考える力」を主眼にした著作を出版し、数々のベストセラーを生み出してきた。

 狩野さんの教師としての年月は30年近くにも達している。

 筆者は狩野さんがどんなふうに考える力を教えているのか、その現場を見学させていただくことにした。私たち一人ひとりにとって、生きていくためのヒントになることが見つかるはずだ、という思いがあった。

 以下、「狩野先生」と表記することにする。

「意見力」の授業

 6月末のある日、慶應義塾大学日吉キャンパスで狩野先生と待ち合わせ、法学部の学生を対象として教える教室に向かった。この日の3限は法学部の英語の授業だが、副題は「意見力」。

 授業はまず学生の出欠を取ることから始まった。狩野先生が名前を呼ぶと、学生は英語で答えていく。授業は主として英語で行われたが、時には日本語も交えて進んでいった。

 7月中旬の春季最後の授業までに各グループが3分以内で英語でプレゼンを行うことを目指す。

 与えられたテーマは「How would you explain effectively the Japanese way of thinking/approaching, so the people in the west would adequately understand the wealth/benefit of it?」(日本の考え方、アプローチの仕方について、どうやって的確に説明するか。西欧の人が日本の考え方・アプローチの豊富さ・恩恵を十分に理解できるようにするにはどうするか=訳は筆者による)。

「二項対立」的思考から出るためには

 前回までの授業を振り返った後、狩野先生はものの考え方が変わりつつあることを指摘する。

 これまでは、

①Define a problem (問題を見つける・決定する)から
②Abstract (抽象化・構造を見抜く)に進み
③Figure out (解く)
④Interpret(解釈する)に至る

 上記の流れの中で、①と②は教科書や教師が決め、学生はいきなり③と④をやらされてきたのではないか、と問う。しかし、これから大事になってくるのは、①と②ではないか。

 狩野先生の見立てによると、世界は今、「二項対立」から「サーキュラー」の考え方にシフトしている。「二項対立」とは、「対立する二つの概念によって、世界を単純化して捉える」(コトバンク)ことを指すが、私たちに馴染みがある西欧での考え方がこれに相当する。しかし、このような考え方では日本を含む東洋の考え方を理解できないのではないかと先生は考えている。これからは、物事を「円状(サーキュラー)」に、つまりさまざまな側面から捉えていく考え方が大切ではないか、と。

 そこでまず、二項対立から抜け出すために、自分たちの生活や考え方の中で二項対立になっている例を挙げてみるよう、学生に呼びかけた。

 グループごとに英語で二項対立の例を挙げてもらう。学生たちは、どんな事例に自分は驚いたかも記す。

 狩野先生が次に出してきたのは、「た」と書かれた人物と「じ」と書かれた人物のイラストだ。間に何かものが置かれている。

 「たろうさんが持ってきたリュックサックをじろうさんが持っていきました。じろうさんは悪い人、良い人?」先生が問いかける。

 これを二項対立の概念を意識しながら、答えるのだ。

 何人かの学生が答えを述べ、そのうちの一人が「悪い人」と言った。リュックサックを持っていったのだから、悪い人に違いない。

 狩野先生に筆者も参加しても良いと言われたので、早速、手を挙げてみた。そして、「じろうさんはたろうさんのリュックサックを持っていったけれども、その行為だけでみると、悪い人に見える。でも、どういう状況でそうなったか、ほかにどんな要素があったのかわからないから、一概には言えない」。

 狩野先生は「ジャーナリストらしい視点ですね」。

 先生がまた別のイラストを見せる。実は、たろうさんが持っていたリュックサックと同じようなリュックサックを持っていたじろうさんが、間違えてじろうさんのリュックサックを持っていったことが分かってくる。

 一連のエクササイズは二項対立という形での単純化では物事を十分に捉えることができないことを理解するためのものだった。

 狩野先生は最後に、次の週に何を扱うかを話した。

 米新聞「ニューヨークタイムズ」が毎日配信しているポッドキャスト番組「ザ・デイリー」で紹介された、アフガニスタンに住む女性の話を取り上げるという。番組は2021年10月13日配信分で、イスラム原理主義勢力タリバンが政権を掌握して2ヶ月ほどが経った頃の話だ。

米ニューヨークタイムズのポッドキャスト「The Daily」(ウェブサイトからキャプチャー)
米ニューヨークタイムズのポッドキャスト「The Daily」(ウェブサイトからキャプチャー)

 女性「N」さんはタリバンからの攻撃を避けるために、意に沿わない男性との結婚を家族から強要されている。家族を愛する女性は悩む。もし結婚しないと、自分の家族がタリバンに痛めつけられる。結婚を拒んだことで、Nさんは家族から暴力を振るわれてしまう。逃げ場がないNさんはどうしたのか。家族との関係性を大事にするのか、それとも自分の気持ちをより優先するか。

 東京に住む学生にとって、アフガニスタンに住む女性の複雑な状況は一見遠い話に聞こえるかもしれない。しかし、学生たちと同じ年頃の女性が家族との関係、結婚、そして自分自身の生き方を迷いに迷う、非常に苦しい場所にいることを想像し、「Nさんに辛くあたっているお父さんの立場を考える」課題である。

 狩野先生によると、「自分の普段の思考から脱却することで自分たちの(二項対立的な)考え方を客観視し、世の中にはもっと違う捉え方がある—ということを体感してもらう」ことが狙いだ。

クリティカルな思考を持つ

 次の授業は法学部1-2年生、主に帰国子女が対象となり、すべて英語での授業だった。授業の副題は「critical thinking (to be happier)(クリティカル・シンキング:幸せになるために=訳は筆者)」。

 この日の授業の要点の1つが、偽情報に惑わされないためにはどうするか 。

 狩野先生は「自分が信じていることに反論する」課題を紹介する。学生に「自分がそう信じること」を挙げさせた。その具体例が実に生活に根ざしたものだった。

 「カレーは冷凍できない」、「カレーパンを夏に買ってはいけない」、「狩野先生は授業内の活動に参加しなくても良い点をくれる」。学生たちは、グループごとにそれぞれについて「同意しない理由」を挙げる。各グループが意見を出し合い、グループの代表者がこれを発表する。

 教室内の誰もが頭を搾り合い、意見を出し、なぜ?を考えた。

 狩野先生によると、これまでの授業で「認知バイアス」を扱っており、こうしたバイアスから抜け出すやり方として、自分が信じていることを言語化し、「信じていること」に自分で理由を付けて反論する作業をやってもらったという。

立ち止まって、考えること

 黒板に「エコー・チェンバー」と書いた先生は、学生にこの言葉を聞いたことがあるかと問いかけ、その意味を考えさせた。ちなみに、エコー・チェンバーとは価値観の似た者同士が交流し共感し合うことにより、自分の意見が増幅・強化される、主としてソーシャルメディア上の言論空間を指す。

学生を前にする狩野先生(撮影筆者)
学生を前にする狩野先生(撮影筆者)

 スライドが登場する。「ある情報にドキドキしたり、リツイートしたいと思ったりした時」、「必要なのは立ち止まって考えること」(上記は授業内では英語だったが、ここでは筆者による日本語訳を使っている、以下同)。丸い顔のイラストに「ハッ」という言葉がついていた。

 ではなぜ偽の情報に騙されてしまうのだろう?

 先生によると、「人には意味をとろうとする気持ちがあるから」。

 「人間の脳は事実やデータだけではなく、物語を志向する」。だから、そこに自分たちなりの意味をくっつけてしまう。「偏見に陥ってしまう」。

 例えば米国の大学で勉強する人がいて、自分に高評価がつかない時、「私がアジア人だからか。これは人種差別だ」と思う人がいる。高評価を得られない事実に対して、理由を見つけようとするからだ。

 この授業でも、前の授業同様に狩野先生は学生一人一人に目を配る。一緒になって考え、学生の発言に耳を傾ける。

 授業の途中で、学生が狩野先生の問いに何らかの答えを出す時があった。思考中の学生たちに向かって、先生はこう言った。「大人を喜ばせるようなことは言わないように」。

 学生ばかりか筆者の心にも、この言葉がピシャリと響いてきた。

 筆者が社会に出てからもう数十年が経つ。会社で働いていたこともある。「上司だから」という理由で、言いたいことや言うべきことを言わないこともあった。年齢が下の人には「自分が年上で、偉いから」ではなく、「自分より若い人なのだから」と遠慮して話すこともあった。つまり、上司や後輩に対し、フラットな関係を持てなかった。

 狩野先生は学生一人一人に「平等な人間同士」として話しかける。学生は「先生を喜ばせるために・先生に気に入ってもらうために、思ってもいないことを言う必要はない」、つまり、「自分で」「本当に思ったこと」を話すべきなのだ。教師は本気で学生に接し、学生も本気で答える授業の現場を見た気がした。

 先生は今日も小さな子供たちから大学生、大人を相手に「考える」授業を実践している。

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 狩野先生はTEDで英語のトークをしている。ご関心がある方はこちらから

狩野先生(慶応義塾大学日吉キャンパスにて)(筆者撮影)
狩野先生(慶応義塾大学日吉キャンパスにて)(筆者撮影)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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