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「早さと遅さ、両方の行動をアーティストが取れるようになっていけば」田中功起インタビュー

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
9月14日、名古屋市の愛知県美術館で(撮影:Jong YuGyong)

「あいちトリエンナーレ2019」

日本の出展作家で最初に展示を変更

「表現の不自由展・その後」中止に抗議

現在、愛知県名古屋市と豊田市で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」への攻撃、それを受けた展示の中止をめぐって、抗議と連帯の意思表示として海外のアーティストたちが次々と展示の中止や変更をするなか、9月3日から、日本のアーティストとして最初に展示の変更を行った田中功起さんは9月14日の土曜日、平日は入場できなくなっている出展作「抽象・家族」の展示室を希望者に開き、訪れた人々と意見を交わす「(展示の)再設定アセンブリ」を実施した。田中さんの作品制作に協力してきた友人でもある筆者(韓東賢=ハン・トンヒョン)は当日、冒頭で行われた「短いインタビュー」の聞き手を務めた。以下はその内容をもとに構成したものである。

■攻撃の背景にあるのは歴史否定と差別

ハン:今日、映像のなかで田中さん自身が作り手としての責任について話している部分を改めて見て、こんなことを言ってるんだったら、そりゃボイコットするよなって強く思いました。他人の人生を借りて自分の言いたいことを言っていると話していたけど、だったらその「落とし前」をつけなきゃなと。正確にはボイコットではなく「展示の再設定」ですが。

田中:まずは経緯を簡単に振り返ると、7月31日にあいちトリエンナーレがプレオープンし、8月3日に「表現の不自由展・その後」の閉鎖が決定されました。その間、主なターゲットとして、キム・ソギョンさんとキム・ウンソンさんによる「平和の少女像」に対する攻撃がネットを中心に、事務局に対する脅迫も含めてわき起こった。それをあおるようなかたちで、名古屋の河村市長や、河村市長を動かした大阪の松井市長の発言があった。

前回、ハンさんにアドバイザーを務めてもらった「Vulnerable Histories (A Road movie)」(ミグロ現代美術館、2018年。映像部分は「可傷的な歴史(ロードムービー)」として映画化)は、関東大震災の朝鮮人虐殺の歴史と現在のヘイトスピーチの問題をつなげて考える内容でしたが、確か2009年頃から日本での排外主義がどんどん目に見える状況になっていった。僕は当時アメリカに住んでましたが、日本の状況がメディアを通してむしろよく見えていたし、たまに日本に帰ってきたときヘイトデモに遭遇したこともあって、ずっと気がかりでした。

ハン:在特会ができたのが2007年で、初めて路上に出てきたのが2009年。2010年あたりから、毎週のように全国各地でヘイトデモが行われるようになっていました。

田中:ハンさんが参加した水戸での僕のプロジェクトの撮影が2015年でした(展示は2016年2~5月、水戸芸術館「共にいることの可能性、その試み」)。ハンさんは在日コリアンとしてのアイデンティティをしっかりとそのグループのなかで見せていましたが、それが最初の出会いでしたね。そこからハンさんの話を聞いていくなかで、僕にとって在日コリアンをめぐる問題はより身近なものになっていき、ちょうどそのころアメリカから京都に引っ越してきて、京都にいることで日本社会がより見えてきたというか。今回、「表現の不自由展」が閉鎖された背景として、ヘイトが蔓延している日本の社会状況がある。

だから、「表現の自由」と「検閲」ももちろん重要な課題だけど、そこにフォーカスされすぎることで歴史否定と差別の問題が脇に追いやられているような感じがあって。でも8月12日にタニア・ブルゲラたちによって書かれたオープンレターには、展示の一時閉鎖の理由として「表現の自由」を守るということも書かれていたけど、「少女像」をめぐる、ヘイトや性差別、歴史修正についても明確に書かれていた。圧倒的な正しさに、これは僕も賛同して一緒のタイミングで閉鎖したいと思いました。

でも僕は後に「一時閉鎖」を展示の「再設定」と言い替え、実行までに10日間ほどかかってしまった。今回のプロジェクトにかかわっている人数も多かったし、彼ら・彼女たちに理解してもらうための時間もかかった。あとキュレーターや事務局に対する反発で閉めるというわけでもないので、その辺での迷いもあって。ただ「不自由展」の閉鎖から時間が経つにつれて、芸術監督の津田さんや愛知県の大村知事の態度が「セキュリティ」を口実にした「不自由展」再開の先延ばしにも見えてきた。つまり、そもそもはリスク管理の不備による閉鎖だったものが、だんだんと自己検閲的な態度になってきているように感じてきて。僕の「再設定」に関するステイトメントにはそのようなことを書きました。

田中功起さん(撮影:Ko Younghwa)
田中功起さん(撮影:Ko Younghwa)

■制作でかかわった人々の顔が浮かぶ

このプロジェクトでは、ひとつの重要な要素として外国人差別の問題がある。出演者はいわゆる「ハーフ」で、「日本人」と「外国人」という単純な区分には収まらない。それでも、日常的な差別を受けてきた。プロジェクトでは必ずしもそこにだけフォーカスしているわけではないけど、それでも、「不自由展」をめぐって起きた一連の状況と、それは地続きの問題でもある。なかでも僕の心を強く動かしたのは安田直人さんという在日コリアンと日本人の「ハーフ」の出演者です。彼が僕にメールをくれて、「不自由展」への攻撃はこの「抽象・家族」への攻撃でもあるのではないか、この状況は「抽象・家族」自体が排除されたような気持ちになると。それを読んで、僕はなぜすぐに行動に移せないんだろうという恥ずかしい気持ちになった。撮影班で助手を務めてくれた鄭梨愛(チョン・リエ)さんのことも頭に浮かんだし、「Vulnerable Histories (A Road movie)」で主演した鄭優希(チョン・ウヒ)さんももちろん思い出した。でも僕の独断で閉鎖を決めたら、それは「不自由展」が閉鎖された経緯をなぞるような、トップダウンで決めてしまうことになる。それは避けたかったんですね。そこで、出演者やアドバイザーの人たち、キュレーターの相馬千秋さんとも連絡を取って、説明をして意見交換をした。

そういうなかで、観客の見る権利を奪うことになるのではないかという意見もあったけど、とくにハンさんや安田さん、ウヒさん、リエさん、もちろん他の出演者も含めて、僕にとっては今後も付き合いが続いていく顔が見える存在なわけです。観客を取るか、あいちトリエンナーレの事務局を取るか、津田さんを取るか、それとも僕の作品にかかわってくれた友人たちを取るかといったら、僕は友人たちを取りますよ。とはいえ、自分の気持ちやその変化を伝えられる場があった方がいいだろうし、また少しでも観客の人たちに本質的な問題を考えてもらう機会を持てたらいいと思ったので、今日のアセンブリがあるわけです。

ハン:「不自由展」への攻撃とヘイトスピーチといった差別の問題がどう関係しているのかというのは、もしかしたらわかりにくいかもしれません。でもつながっています。「少女像」への攻撃は、女性差別も絡んでいるけど、要は植民地支配の歴史の否定です。在日コリアンって、その歴史があったからここにいる人たちなわけだから、それを否定されちゃうと、私の存在根拠が失われる。だから別に自分自身が攻撃されたわけではないけど、存在の否定、実存の危機に直結する。もうひとつは実際に攻撃する側もつながっていて、かつての植民地支配を否定する人たちと、現在の外国人に出て行けという人たちは、基本的に同じ人たちで。実際に同じ人が、両方の主張をしていたり、同じ団体やグループの中に、両方の主張があったりして、根は一緒というかつながっている。それがとくにここ10年くらいの日本の状況です。

■人の複雑さを見せ、線引きを崩したい

田中:「Vulnerable Histories (A Road movie)」は、スイス、チューリッヒにあるミグロ現代美術館での個展向けに作られたもので、ウヒさんという在日コリアンの女性とクリスチャンという日系アメリカ人とスイス人の「ハーフ」の2人が東京で出会い、関東大震災後の朝鮮人虐殺の現場となった荒川の土手に行って真相調査をしているNGOの人に話を聞くとか、近年、ヘイトスピーチ・デモが盛んに行われた在日コリアン集住地域の川崎・桜本に行ったりして、現在と過去の問題をつなげながら、2人が会話していくというものでした。また今回の、4人の「ハーフ」の主人公たちが疑似家族として生活する「抽象・家族」にしても、みな「日本人」か「外国人」かっていう不毛な二分法で判断される。日本社会はどうしても単一民族幻想というか、みんな同じみたいな意識が強いと思うんですが、当然ながらひとりひとりの個人はそれぞれまったく違う。人の複雑さというものを、今回は「ハーフ」の人たちの視点を通して、より複雑に、そして明確に示せたらいいなと。

そもそもヘイトの問題というのは、そこに内外の線引きがあって、外を排除しようとするもの。でもその線引きって実は簡単にできないはず。その線引きをどう攪乱させることができるのか。僕の方法は、現代美術という小さな領域でのことではあるけど、そのボーダーの線を引く強さを崩してくことができればと。

ハン:でも今回、結局作品を見せられないことになっちゃったわけじゃないですか。そもそも事態はそれどころじゃなかったということが露呈したというか。今回のあいちトリエンナーレは、最近の現代アートのトレンドでもあるけれども、社会的なテーマの作品がすごく多くて、でも実際の社会からの攻撃によって起きている事態を思うと、すごくしらじらしい気持ちになるというか。今日ほかの展示を見ていて、これはもし私でもボイコットするよな、と正直感じました。確かに抗議の意味もあるけど、こんな状況のなかで社会的なテーマの作品を見せるのがむしろ恥ずかしいというか。そういう無力感のようなもの、ありませんか?

田中:無力感というよりは、さまざまな行動、さまざまな活動には、たぶんそれぞれのスピードがあると思う。展示を閉めるということに関して言えば、タニア・ブルゲラを含めたとくに南米を中心としたアーティストたちは、さまざまなかたちの検閲をいままで受けてきていて、その蓄積とそれに反発するための行動の経験がすでにある。だから早かった。

ハン:韓国もそうですよね。かつて軍事政権のもとで思想や表現が弾圧されていた時代があるし、民主化後も保守政権は自分たちにとって都合の悪い報道や芸術に圧力をかけ続けた。だから今回、早急にボイコットを決めた韓国のイム・ミヌクとパク・チャンキョンは、「少女像」への攻撃が日韓関係とかかわる問題だからそうしたわけじゃなくて、検閲が身近にあった人たちだから、そうせざるをえなかったんだろうなと思っています。

■日本という文脈における「検閲」のかたち

田中:検閲は、いわゆる公権力によるわかりやすい検閲も国によってはあるけど、それだけではなくて、今回はいわば「市民」からの脅迫と、それを後ろ支えした政治家による煽動という、二重の圧力によって「不自由展」が閉鎖されたわけで。タニアも、それぞれのローカルの文脈の中で行われる別々の「検閲」のあり方には自覚的で、僕たちとのやりとりをしているうちにだんだん現状を理解してくれた。そもそも彼女にとっては、今回の出来事も広義の「検閲」なんですよね。もちろんそれを下支えしている歴史否定とヘイトの感情もよくわかっていた。ローカルの文脈を理解しつつ、世界中で起きていることでもある。

ハン:今回、日本というローカルな文脈における「検閲」のかたちが可視化されたということですね。

田中:行動にはそれぞれのスピードがあると言いました。アートそのもののスピードは遅いけど、展示をボイコットするという行動については、素早くできますよね。僕はもともとタニア・ブルゲラをアーティストとして尊敬していたんですが、その彼女と何日かを一緒に過ごすなかで、彼女はスピーディに状況を理解し、行動に移していると思った。でも、そんな彼女でさえも自分自身では行動が遅いと感じていたんです。毎朝ホテルで目を覚まして鏡を見るたびに、自分は政治的アーティストだと思うけど、この状況に対してすぐにレスポンスできないことが恥ずかしいと。8月10日、イム・ミヌクとパク・チャンキョンの閉鎖されたスペースを一緒に見て歩いたとき、彼女はそんなふうに話してくれました。経験あるアーティストでありアクティビストでもある彼女の言動に触れて、完全にやられてしまったけど、僕はもっと遅れてしまった。でもそれが今の自分の限界であり、リアリティですね。

今は変わってきてますが、「不自由展」が閉鎖された8月3日以後の最初の時点では、あいちトリエンナーレ自体が崩壊するのを僕は止めたいと思っていた。作品を見せることによって、ゆっくりとこの状況に作用するということもあると思っていた。でもすぐにそうも言っていられない状況になってしまった。たとえばもう愛知だけの問題ではないですよね。黒岩神奈川県知事の発言、来年のヨコハマ・トリエンナーレに対するけん制なのか何も考えていないのかわからないけど、「表現の不自由展、その後」のような趣旨の展覧会が県内であった場合、公金を使った開催を「私は絶対に認めない」と言った。検閲のつもりはないと後に会見しているけど、彼が同時に行った歴史否定的な発言は撤回していない。これはそもそもまずいというか、やばい状況。政治家たちが公に歴史否定をしても許される社会になりつつある。アートの作用はどうしても遅い。でも、早さと遅さ、両方の行動をアーティストが取れるようになっていくのも必要だと思います。

現在、「抽象・家族」の展示室の扉は半分閉じられた状態で、中へ入ることはできない(撮影:筆者)
現在、「抽象・家族」の展示室の扉は半分閉じられた状態で、中へ入ることはできない(撮影:筆者)

■様々な行動、間違っていたら教えてほしい

ハン:再開への展望については?

田中:「不自由展」が再開されたとしても、最後の数日間だけでいいのかという意見もある。僕もそう思う。最後の数日しか再開されないのだとしたら、展示を閉鎖し続けるアーティストもいると思う。だからすべての展示が再開するかどうかはわからない。

できれば早急に「不自由展」を再開してほしい。僕も多くの人に作品を見てもらいたいけど、参加アーティストたち、事務局スタッフ、キュレーターたちも含めて、あいちトリエンナーレ内を見渡しても、本当にそれを望んでいるかよくわからないし、今後、さらにどんなことが起きるのか、どうなっていくのかも、全然わからない。でも、アートの力も信じたいんですよね。希望の値がトータルで100ぐらいあるとして、それがガクンと0.1ぐらいになったり、かと思ったら120ぐらいになったりみたいなのを、繰り返す毎日。

ハン:そうなんですね……。

田中:……です。それが最後に振り切れて1,000ぐらいになって、終わりよければすべてよしになるのか、ここで起きたことが今後の、未来の日本の文化状況を根本的に変えてしまう可能性もある。自主規制が検閲並みに厳しくなっていくかもしれない。多様な展示や作品制作が難しくなっていくのか、それは今の時点ではわからないけど、少なくとも僕はまだ日本に住んでいるので、できれば日本でも発表する機会を持っていきたいし、このようなかたちで自分の展示を閉じるようなことが、今後は起きないといいなと思う。ボイコットなんてしないですむならばそれがいい。

でも次からは、自分が関わっているプロジェクトに関わる人たちには、事前勉強会としてアーティストによるさまざまな抵抗や行動の可能性、ボイコットなどの可能性も理解しておいてもらうといいのかも。あるいはもうほんとうに嫌になったら、日本では発表しないって言ってしまってもいいのかなとも。でもむしろ嫌がらせのように留まり続けるのもいいのかも。いずれにしても、相当にやばいですよね。でも、僕も全然よくわかっていない人間なので、間違った行動や理解されないような動きをしてしまうこともあるかもしれないけど、そのときはみなさん、そしてハンさん、教えてください。あなたの行動は間違っていますよって。

ハン:いやいやそんな。でも正直言うと、「不自由展」が中止に追い込まれ、海外のアーティストたちがボイコットし始めたとき、このまま田中さんが何もしなかったら縁を切るしかないか、と思っていました。アップデート、すごく大事だと思います。これは私自身もですが。

田中:ほんとそうですね。縁切られなくてよかったー。さまざまなフィードバックがあれば、自分もさらに考えられると思うんで。

9/14のアセンブリの始まりでのハンさんとの短い対話からしばらくたって、9/26に文化庁によるあいちトリエンナーレへの補助金交付が中止されるというニュースがあった。「異例」のラスボスの登場によって状況は大きく変わっているけど、そのことについてはここではとくに触れないことにした。それは機会があればまたどこかで。そのころ状況はどのように変化しているだろうか。(9/29、田中追記)

〈資料〉「再設定アセンブリ」の際に配布されたペーパー

再設定アセンブリ/田中功起 9/14 愛知芸術文化センター10F

■タイムテーブル

14:00- 16:00 見る時間 (整理券を持っているひとは出入り自由)

16:00- 16:40 はじめに、と、短いインタビュー(聞き手:ハン・トンヒョン(社会学者))

16:40- 17:20 対話と分離 いくつかの小さな島に分かれて話す

17:20- 18:00 交換と共有 話したことを共有する

■閉鎖と集会について

観客のみなさんは、あいちトリエンナーレ内の「表現の不自由展・その後」というセクションが8月3日に閉鎖された経緯を知っていますか。

7月31日の内覧会からほんの数日の間、SNSなどを通じたさまざまな歴史否定、差別発言がわき起こり、さらに政治家たちによる歴史否定を追認し、人びとの差別感情を煽る言葉たちがまき散らされました。加えて、あいちトリエンナーレ事務局へのFAXなどによる脅迫もあり、安全性を考慮した結果、展示空間は閉鎖され、いまもまだその空間は閉ざされています。主な対象になったのは、キム・ソギョン、キム・ウンソンによる『平和の少女像』です。この作品は1930年以降から太平洋戦争まで存在した、旧日本軍による「慰安婦」制度、その性差別への告発がベースとなって作られています。それは日本だけではなく、彼女たちを放置した韓国政府に対する批判も含んでいます。

歴史を否定する人びとによって閉ざされた空間は、人びとによる「検閲」という捻れた問題(それを煽ったのは政治家ですが)をみなさんに見せていると思います。しかし、その根底には、この10年ぐらいの間に表面化した差別やヘイトの問題があります。アートを享受するみなさんは、そもそもリベラルな意識を持っているかもしれません。どうしてこのような状況に日本社会はなってしまったのでしょうか。ぼくは自問します。ぼくも含む、多くの人びとの怠惰が、現状への追認が、この社会を作ってきてしまったのかもしれません。いま直面しているのは、私たちの問題であり、ここで行われるさまざまな選択と行動は、未来の誰かに深い影響を与えるでしょう。

ぼくは抗議のためにこの空間を閉鎖しています。閉ざされた「不自由展」の空間と、展示を閉鎖せざるをえなかったミヌクとチャンキョンの態度を、同じような行為をすることで自分のものとして分有するためにぼくはこの空間を閉鎖してます。そして、深く傷ついている友人たちと、その傷の分有のために、ぼくはこの空間を閉じています。

それでも、共に考えることを選ぶひとたちのために、この空間を一時的に開け、使いたいと思っています。

今回のぼくのプロジェクトは、フィクショナルな単一民族としての「日本人」像を解体し、出演者たちが曝されてきた差別について、観客が耳を傾ける行為を促す、そういう一面もあります。

まずは見てもらい、そのあとに話しましょう。

(9/13/2019)

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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