NBAからドラフトされた女性選手
熱戦が続くNBAプレイオフ。今季のファーストラウンドは、東西共にレギュラーシーズンで上位だったチームが勝ち上がり、まだ下剋上が見られない。5位だったユタ・ジャズも4位のダラス・マーベリックスに敗れた。
今では俄かに信じ難いが、かつてNBAで女性がドラフトされたことがある。ジャズがルシア・ハリスを1977年に全体137位で指名したのだ。
ハリスは前年に開催されたモントリオール五輪に出場。銀メダルを獲得したアメリカ女子代表チームの中心選手であった。身長191センチのセンターで、五輪女子バスケットボール競技において最初に得点した人でもある。
1955年2月10日、ミシシッピ州で誕生したハリスは、小作人の娘だった。類稀なバスケットIQと身体能力で頭角を現し、デルタ州立大学時代は3度全米王者となっている。
ハリスは言った。
「誰もがそうだけど、私もシュートすることが大好きだったのよ」
ハリス生誕から半年後の8月28日、14歳の黒人少年が白人男性たちによる凄惨なリンチに遭い、命を落とした。被害者少年が白人女性に口笛を吹いたというのが、殺害の理由だった。
ルシア・ハリスはその事件現場からおよそ16キロほどの場所で産声を上げた。
デルタ州立大学にハリスが入学したのは、同校が黒人の受け入れを認めてから僅か7年後のことである。
女子バスケットボール界のスーパースターとなったハリスをドラフトしたのは、ユタ・ジャズの前身、ニューオーリンズ・ジャズ。
ジャズ発祥の地ニューオーリンズをフランチャイズとするチームだからこその「ニューオーリンズ・ジャズ」であったが、経営の問題で1979年にソルトレイクシティーに本拠地が移行し、現在に至る。
女性初のNBA選手が誕生するか否かに注目が集まったが、ハリスはジャズの申し出を断った。
当時を振り返り、彼女は語った。
「話題作りのように思えたし、NBAでやっていくには十分な技量が無いと感じたわ」
また、彼女は名声や富、あるいは権力のためではなく、純粋にプレーを愛した人として知られる。コートを離れてからは、4人の子供の母親として家族のために懸命に生きた。
そんなハリスが永眠したのは、今年の1月18日である。享年66。
今季は、ハリスが亡くなって初めてのプレイオフだ。彼女は「話題作り」と受け取ったかもしれないが、女性アスリートに正式にオファーを出したジャズは、進歩的なチームと呼べるかもしれない。NBAで女性がドラフトされたのは、彼女のみ。おそらく今後も現れないであろう。
亡きハリスがプラスアルファの効果を生むか、と期待したが、ジャズは2勝4敗で姿を消した。ただ、現役選手のプレーを見詰めながら、歴史を感じさせるプレイオフ・ファーストラウンドだった。