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安倍首相も生活賃金の導入を 英国は5年後に時給1665円 デフレ脱出の切り札に

木村正人在英国際ジャーナリスト
米ファストフードの最低賃金引き上げを求めるデモ。英国では法定生活賃金が導入された(写真:ロイター/アフロ)

神の財務相

キャメロン英保守党政権の懐刀、オズボーン財務相は来年4月から25歳以上の労働者を対象に1時間当たり7.2ポンド(1ポンド=185円で時給1332円)の法定生活賃金を全国一律に導入、2020年までに9ポンド(1665円)に引き上げると表明した。

筆者作成
筆者作成

生活賃金とは、労働者と家族の生活を保障する水準の賃金のことだ。上のグラフにあるロンドンの生活賃金は大ロンドン庁が算定。英国の生活賃金はラフブラ大学社会政策調査センターが計算し、キャンペーン団体「生活賃金財団」が設定したものだ。9ポンドの法定生活賃金(水色のライン)はロンドンのそれを少し下回るが、英国の生活賃金を大きく上回っている。

先の総選挙で勝利したキャメロン首相は自由民主党との連立を解消し、保守党単独の政権を樹立。8日、連立時代に組んだ15年度予算を見直し、保守党としての予算を発表した。

オズボーン財務相の経済・財政運営の手腕はもはや「神の領域」に入っている。気の早い話だが、英国の次期首相はおそらくオズボーン財務相で決まりだと筆者はみる。ハンバーガーをほおばりながら財政再建に取り組み、英中央銀行・イングランド銀行の総裁に、金融安定理事会(FSB)議長でカナダ銀行総裁のマーク・カーニー氏を抜擢。

しかし、なかなか英国経済は成長を取り戻せず、サッチャー首相の葬儀ではひとり涙をこぼした。自らの苦衷を、労働者の恨みを買いながらも構造改革を断行したサッチャー首相に重ねたのだろう。経済成長が軌道に乗るや、オズボーン財務相は法定最低賃金の引き上げにとどまらず、法定生活賃金まで導入するという。

賃金を減らすため非正規雇用を増やして労働生産性を低下させ、「安かろう、悪かろう」経済の悪循環から抜け出せなくなってしまった日本を反面教師に、オズボーン財務相は最大野党・労働党でさえなかなか言い出せなかった法定生活賃金の導入に踏み切った。

英国の法定最低賃金と新たに導入される法定生活賃金(1時間当たり、ポンド)
英国の法定最低賃金と新たに導入される法定生活賃金(1時間当たり、ポンド)

先の総選挙で労働党は20年までに8ポンドの最低賃金を実現するとマニフェスト(政権公約)でうたった。逆に失業率を押し上げる恐れがあるとして生活賃金にまでは踏み込めなかった。それがどうだ。オズボーン財務相は25歳以上の労働者を対象に9ポンドの生活賃金を導入するというのだから、おったまげた。

日本型デフレの元凶は非正規雇用

著書『デフレーション―日本の慢性病を解明する』で長引くデフレの原因を「イノベーションの欠如」と指摘し、その元凶は正規雇用から非正規雇用への移行による名目賃金の下落だと論じた吉川洋・東京大学大学院教授の分析を参考にしたのではないかとまで思わせる。それにしても英国にはスゴイ政治家がいるものだ。

21歳以上の最低賃金は今年10月から6.7ポンド。失業率が14.4%と高止まりしている16~24歳の雇用を促す狙いも法定生活賃金の導入には込められている。オズボーン財務相は福祉手当の上限を1世帯当たり2万6千ポンドからロンドンや英南東部では2万3千ポンド、その他の地域では2万ポンドにまで引き下げる。

その代わり法定最低賃金を引き上げるとともに法定生活賃金を導入して、「働く者は報われる」という分かりやすいメッセージを打ち出した。28%から段階的に20%に引き下げた法人税を20年までにさらに18%に引き下げるという。外国資本を英国内に呼びこむためだ。

全国一律の法定生活賃金9ポンド(1665円)は東京の最低賃金888円と比べて倍近く高い。経済協力開発機構(OECD)の13年データをもとに各国の最低賃金を比べてみた。日本の最低賃金は世界的に見て、かなり低い。

筆者作成
筆者作成

英国は08年の世界金融危機で即座に公的資金を注入して銀行資本を増強。財政出動で景気後退に歯止めをかけ、イングランド銀行が量的緩和を発動、キャメロン政権は誕生するとすぐに財政再建に取り組んだ。

さらに法定最低賃金を引き上げて、内需拡大につなげていく。英国の失業率は11年末の8.4%から5.7%に低下。国内総生産(GDP)の成長率は14年が3%、15年の成長率見通しは2.4%だ。英国の経済・財政政策は歯車ががっちり噛み合っている。

01年に始まった生活賃金の導入運動

生活賃金の導入運動は01年、賃金が低すぎて1日に2回働くダブルワークを強いられたロンドンに住む両親が「家族と過ごす時間を」と訴えたことから始まった。雇用主の8割以上は生活賃金を導入すれば労働の質は向上すると考えており、実際に労働者の長期欠勤は25%程度低下。生活賃金財団によると、1200社以上がすでに自主的に生活賃金を導入している。

英国立経済社会研究所によると、実質賃金は08年から13年の間に8%も低下、若者の実質賃金は14%も下落した。時給2.73ポンドの最低賃金で働かされている実習生が数十万人にのぼっていることなどが背景にある。09年以降、英国では実習生が49万1300人から85万1500人へ72%も増えた。英民間企業・技術革新・技能省によると、このうち35万人は若者だ。

世界金融危機後、雇用主や企業が苦境を乗り切るため正規雇用を減らして、代わりに実習生を使用してきた。必要なときだけ、待機中の労働者を呼び出して使用できる「ゼロ・アワー契約」という抜け道もある。英国でも正規雇用は削られ、実習生や「ゼロ・アワー契約」の労働者がどんどん増えた。

実質賃金の低下は雇用主や企業にとって一時的には良くても、中・長期的には消費を低迷させ、日本型長期デフレの要因になりかねない。安倍政権が本気でデフレと決別したいのなら、オズボーン財務相のように法定生活賃金を導入するか、非正規と正規雇用の差別構造を撤廃すべきなのだ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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