生みの親が語る「M-1」が他の賞レースとは違う理由。そして、親だからこそ感じる不安
12月24日に決勝戦が行われる「M-1グランプリ」。数多のお笑い賞レースの中でもオンリーワンの存在感を誇りますが、2001年に島田紳助さんとともにこの大会を作り上げたのが元吉本興業の谷良一さん(67)です。「M-1」が他の賞レースと違う点。生みの親だからこそ感じる今の「M-1」に対する思いとは。
漫才ブームの余波
「M-1」が始まって20年以上経ってるんですもんね。手前味噌みたいになってしまうのかもしれませんけど、この20年で漫才を取り巻く環境が変わった。それは強く、強く、感じています。
というのもね、なぜ「M-1」が生まれのか。当時はとにかく漫才が廃れていたんです。感覚的に言うと、商品としての漫才の需要は今の100分の1くらいだったと思います。もちろん、漫才師はたくさんいましたし、そのレベルが低いわけでもない。でも、世間の注目が向いてなかった。それを痛感する日々でした。
なんばグランド花月にお客さんがお見えになっても、ほとんどの人の目当ては吉本新喜劇です。漫才師も何組か出るんですけど「あ、今でもこんなんしてはる人もいるんやなぁ」くらいで、それが売りにはならない。お笑いが盛んな関西でも、漫才を見せるネタ番組はポツリポツリとしかなかったですしね。
1980年頃から急速に漫才の人気が高まった“漫才(MANZAI)ブーム”。これが凄まじくて「ザ・ぼんち」「B&B」などスターを作り上げました。ただ、あまりにも凄まじかったので、急激に消費されてしまった。
新しいネタを作ることもできず、定着前に収束してしまった。実質2~3年ほどで漫才ブームは終わりました。急に膨らんで、急にしぼんだ漫才ブーム。その流れが90年代にも残っていて、なかなか漫才が盛り上がることがなかった。
逆にいうと、その空気があったからこそ「これではダメだ」ということになり、生まれたのが「M-1」だったんです。
1000万円の意味
日本中を巻き込んだ漫才ブームでもピークは2~3年。なので「M-1」も盛り上がったとしても、良くて3年。5年は難しい。正直、それがリアルな感覚ではありました。ただ、もう20年以上が経ち、毎年多くの方が見てくださり、さらに漫才師に大きな需要が生まれました。
何が他の賞レースとは違うのか。よく尋ねられることでもあります。ただ、これはシンプルというか「0を1にした」。その事実と熱だと思っています。今までになかったものを作った。何とか漫才を盛り上げたいから生み出した。その熱量なんだろうなと。
そして、プロデューサーとしての島田紳助さんのセンスだと思います。これも、単純なようですが、賞金を1000万円にした。ここが本当に大きかった。
紳助さんは人間の欲や本質を見抜く人でもあります。当時の若手の賞レースでは賞金100万円でもすごい。10万円とかでも普通でした。その中の1000万円。この額が若手芸人に与えたインパクトは甚大でした。
さらに、当時の感覚からすると、漫才“みたいな”芸で優勝したら1000万円ももらえる。この事実が世間に与えるインパクト。それが漫才の値打ちを底上げする。
1000万円の意味というのは表面的に見えるけど、実はもっと中身にも浸透していくものである。それをやっていくうちに思い知らされました。
あと、大会のコンセプトの「その日、一番面白かったコンビが勝ち」ということも大きかったと思います。
「どうせ吉本がやってるんやから、他の事務所は出てもムダや」。最初は大会のトーンも分からないので、そういう空気もあったとは思いますが、大会が進むうちに芸人がどんどん真剣になっていく。
「え、あのコンビも落ちてるの?あそこなんて、何があっても受からせるコンビやのに」
「ガチンコやん。だったら、負けるわけにはいかない」
その感覚が緊張感になり、お祭り的な賞レースではなく、ガチンコの格闘技のようなそれまでになかった大会になっていった。これも確実にあったと思います。
吉本の若手の劇場はどうしても若い女性ファンが中心です。となると、面白さもそうですが、ルックスの良さやアイドル的な人気があるほうが上に行きやすい。
でも「M-1」は面白かったら勝てる。スターになれる。そのシステムが「笑い飯」や「千鳥」、「麒麟」や「南海キャンディーズ」といった面々を生み出したと思っています。
「ブラックマヨネーズ」もその最たるものだろうなと。ネタは面白い。ただ、90%以上が女性ファンの劇場では、なかなか結果が出ない。でも、違うルールのリングに上がったら、一気に勝つ。今思い出しても2005年の優勝ネタはすごいと思いますし、そういう人を生み出せたのが「M-1」の価値だと思っています。
“親”だからこその不安
すごい場になってくれました。本当にありがたいことだと思います。そして、もう現場を離れた人間が言うことではないんですけど、個人的に思うことが一つあって。それが出場資格の話です。
当初、出場資格は「コンビ結成10年以下」でした。それが今は「15年以下」になっています。2010年の大会を終えて、休止期間があって再開したのが2015年。この間出られなかった人たちの救済措置として2015年から出場資格が15年以下になりました。
2015年は休止期間をカバーする意味で、ひとまず15年以下にした意味も分かるんですけど、それを今も続けていると、大会そのものの色が変わってくる。
あくまでも「M-1」は若手漫才師のナンバーワンを決める大会である。まだ技術は粗削りだけど、センスが凄まじい。発想力が抜きんでている。そういう人を見つけるのが「M-1」という場だったはずなんですけど、キャリアを15年まで延ばすと、そこに技術も入ってくるんです。
15年もやっていると、さすがに技術で面白くもできる。大学を出てお笑いの世界に入ったとすると、もう40歳前です。中堅に近いくらいの年代になってきます。そんなコンビと、センスはあるけど粗削りな3年目のコンビなんかを比べると、笑いの総量で勝負するからこそ、15年やっている人間が勝ちやすい。
これはね、本当に難しいところなんです。大会としては、出てくる人みんなが面白いほうがハイレベルな戦いになるし、見ていただく皆さんにも楽しんでいただける。ただ、あくまでも若手ナンバーワンを競う大会でもあるので、そうなると15年まで認めるのはどうなんだろうとも思います。
いや、本当に、こんなことはね、もう一人前になりすぎている“息子”に言うことじゃないんです。でも、やっぱり漫才への、「M-1」への熱があるんでしょうね。そんなことを思う自分がいるのも事実ではあります。
この20年で商品としての漫才の需要が高まった。これはただただうれしいことですし、誇らしいことです。これがなんとか続いてほしい。親が口を出してロクなことはないんですけど(笑)、純粋にそれを願うばかりです。
(撮影・中西正男)
■谷良一(たに・りょういち)
1956年生まれ。滋賀県出身。京都大学文学部卒業後、81年に吉本興業入社。「横山やすし・西川きよし」、笑福亭仁鶴、間寛平らのマネージャー、「なんばグランド花月」支配人などを経て、2001年に若手漫才師日本一を決めるコンテスト「M-1グランプリ」を創設。10年まで同イベントのプロデューサーを務める。よしもとファンダンゴ社長、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務、よしもとデベロップメンツ社長を経て、16年に吉本興業ホールディングス取締役。20年に退任。大阪文学学校で小説修業、あやめ池美術研究所で絵の修業を始めるかたわら、奈良市の公益社団法人ソーシャル・サイエンス・ラボで奈良の観光客誘致に携わる。今年11月15日に「M-1はじめました。」を上梓した。