詩人・御徒町凧が語る、コロナ禍の森山直太朗と「さくら」 “最悪な春”に生まれた希望 <前編>
2003年の発売以来春、卒業式には欠かせない“国民的ソング”になった「さくら」。「さくら(二〇二〇合唱)/最悪な春」は5年半ぶりにCDシングルとして発売
森山直太朗の「さくら」といえば、2003年に発売されて以来、春、桜の季節、そして卒業式には欠かせないスタンダードナンバーとして、老若男女、多くの人から愛されている“国民的ソング”だ。この曲が昨年「さくら(二〇二〇合唱)」として再レコーディングされ、「カロリーメイト」の新CM『見えないないもの』篇で起用され、再び多くの人々を感動させた。
今年、“歌のない卒業式に、歌を”という思いの元、森山直太朗×カロリーメイト『「さくら」を贈るプロジェクト』の卒業ドキュメンタリーが大きな注目を集めた。このプロジェクトは、新型コロナウイルス感染拡大防止のために、卒業式に歌が歌えない学校も多い中、大切な友達やお世話になった先生へ、思い出と感謝を届ける動画プロジェクトで、その一環として、福岡県立戸畑高等学校の予餞会(在校生が卒業生を送る会)で森山が“オンライン”サプライズで登場し、卒業生に向けてギターの生演奏で「さくら」を届けた。「さくら」が、そして森山の歌と思いが、多くの人の思いと重なり、“沈黙の春”を彩った。さらにこの「さくら(二〇二〇合唱)/最悪な春」は森山にとって、約5年半ぶりとなるCDシングルとして3月17日にリリースされ、好調だ。
「さくら」はなぜこんなにも愛されるのか。そして再び「さくら(二〇二〇合唱)」として、この時代に再レコーディングしようと思ったのか。「さくら」を始め、森山の作品の共作者であり、プロデューサー、そして盟友として長年行動を共にしている詩人・御徒町凧に、「さくら」をめぐるストーリーを聞かせてもらった。本人とはまた違う視点から「さくら」という楽曲が持つエネルギー、そしてそれを歌う森山直太朗という唯一無二のシンガー・ソングライターの真の姿を、前・後編で浮かび上がらせたい。
「コロナを経て、コロナとどう向き合うか」
「さくら(二〇二〇合唱)」の始まりは、大塚製薬「カロリーメイト」のCM制作サイドからのリクエストだった。
「去年の秋頃、大塚製薬の『カロリーメイト』のCM制作サイドから話をいただきました。その打ち合わせで、監督さんからCMのコンテ動画に2003年の「さくら(独唱)」のカップリングの「さくら(合唱)」を当てている映像を見せてもらったんです。楽曲がイメージに合うということで、制作過程の仮音源として当てていたらしいんですけど、もうこの曲以外考えられなくなったということでした。過去の曲が今の誰かの役に立つなんて単純に嬉しかったんですけど、CMのテーマとして流れているのは、コロナを経て、コロナとどう向き合うかということだったので、話し合いの結果、2003年の「合唱」ではなく、合唱団もミュージシャンも全員がコロナというものに直面しているその実感で、ゼロから音源も作ろうとなりました。それで昨年『さくら(二〇二〇合唱)』をレコーディングすることになったんです」。
「直太朗は毎回“最新の『さくら』”を歌い続けている」
実は「さくら」は、前年2019年にドラマ『同期のサクラ』(日本テレビ系)の主題歌として起用され、世武裕子のアレンジでセルフカバーし「さくら(二〇一九)」として発表された。2年連続でセルフカバーすることになり、二人の中に戸惑いや葛藤はなかったのだろうか。
「当然ありました。あの時も今回と似たような背景があって、ドラマのプロデューサーから『是非『さくら』を使わせていただきたい、ついてはセルカバーなんて無理ですよね…」というリクエストが来ました。『さくら』って、当然自分たちの中でも特別な意味がある曲だったし、直太朗はライヴアーティストなので、この曲に限らず、楽曲がレイドバックしたり、ナツメロ化していくのを嫌っていて、それは曲の解釈は時間が経てば自分の中で変わっていくものなので、その日に歌うものが常に“新曲”であり続けるという、理想の現れでもあります。そこは僕もライヴの演出面でいつも求めていることでもありました。なのでドラマ主題歌の話に関しては、毎回今日の『さくら』が一番新しいと思ってやり続けていますという直太朗の考え方と、制作サイドのイメージとが合致して、世武裕子さんにアレンジしていただき、力強くもアカデミックな感じの『さくら(2019)』ができあがりました』。
森山の公式YouTubeチャンネルには「歴代さくら聴き比べ」として3つの「さくら」が並び、聴き比べることができる。アレンジはもちろん、歌い方、そして伝わってくるものが違う。「さくら(独唱)」はやはり瑞々しさと溌剌としたエネルギーを感じさせてくれる。森山もキャリアを積み、聴き手も年を重ね、感じるもの、感じ方が違ってくるのは当たり前だが、この曲の言葉とメロディが持つ美しさ、温もり、力強さは、永遠に変わらないものということが再確認できる。森山と御徒町とが言葉を紡ぎ、森山がメロディを生みだし完成した「さくら(合唱)」がどのような状況で生まれたのか、そして御徒町の中で今この曲をどのように捉えているのか、改めて聞かせてもらった。
「「さくら(独唱)」は、最初は卒業式でみんながリアリティな感情で向きあえて、歌える曲を作ろうというのが、制作の推進力になった」
「『さくら(独唱)』を今聴くと、あのエバーグリーンな感覚はもう手に入らないのかなって思う時もあります。瑞々しいとおっしゃってくれましたが、あの時は何の確信もなく、だから直太朗も僕も『よし名曲ができた』なんてこれっぽちも思っていなかったですし、全く余裕もない中、ただただ一生懸命に作って、歌ったという感じです。直太朗の中で、ざっくりと“桜”というテーマで、あのメロディで、曲と歌詞のイメージがあって、アウトラインはできていました。僕はその時「桜がテーマか…」と思って、卒業式で歌えるような曲にしようと直太朗に提案しました。今思うとすごい未来予想ですよね(笑)。それは僕自身が卒業式で歌う歌にリアリティがないことに、ずっと違和感を感じていたからです。「蛍の光」だって原曲はスコットランド民謡でよくわからないし、なんで卒業式でそんな感情移入できない歌を歌わせられるんだろうと思っていました。卒業式でみんながリアルな感情で向き合えて、歌える曲を作ってみようというところから始まって、それが曲の推進力になっていたような気がします。ただ、テーマのひとつになっていたことは間違いないですが、卒業に特化した曲を作ろうとしたわけではなく、最初に直太朗が歌いたいと思っていたことを反映させるのと同時に、もう少し味わい深いものにしようと<今なら言えるだろうか 偽りのない言葉 輝ける君の未来を願う 本当の言葉>という部分なんかは、提案した記憶があります」。
“共作”するということが目指すところ
「直太朗自身は、なぜ僕との共作にこだわっているのかというと、自分ひとりで作った時に、若干歌に寄りすぎてしまうという自覚があると思います。彼はマイルドで、本当に優しい性格で、本人もよく言っていますが、歌詞にあまりこだわりが強くなくて、“響き”を重要視しているタイプです。逆に僕はそこに対して疑問を持っていて『歌声なんてすぐ飽きるって』言ってしまって、言い合いになったこともあります(笑)。今はその考えも変わってきましたけど、当時20代の頃はそう思っていました。どんなに歌のうまい人も、一回歌がうまいと思われた後は、それはデフォルトになるから、聴き手がその人の音楽や世界に引き込まれるというのは、やっぱり歌ものである以上、その言葉の並びや、世界観が大切になると思う、ということを言いました。だから逆にその思想的なところで認知され、受け入れられれば、それでずっとやっていけると思う、でも歌のうまさだけだったら、多分すぐ飽きられると思うよと。その時直太朗は『いやそんなことはない。歌声には奥深さがあるんだ』と言っていました。僕は『そうかなあ』なんて言いつつ、だから『さくら』もお互いの中で、ちょうど“真ん中”くらいの落としどころ、存在の作品になっているんだと思います。やっぱり歌の奥深さというのは当時よりもすごく感じるし、ということを彼とは常々話しながら、時代によって関わり方とか進路も違いますが、いまだに一緒にやっている感じです」。
「『さくら』は大前提として“みんなの歌”。誰のものでもなく、それを体現する一番近くにいるのが森山直太朗」
「『さくら』は大前提として、みんなの曲という感覚で、直太朗もそう思っているはずです。それは、曲を一緒に作っていることもあって、その曲が自分だけの持ちもののような感覚は、他のアーティストに比べて少ない気がします。だから『さくら』は、特に誰のものでもない『さくら』という曲があって、それを体現する一番近くにいるのが自分、という感覚が直太朗にはあると思う。そのスタンスが、今回の『さくら(二〇二〇合唱)』というものを引き寄せたし、我々もこの曲を世の中にもっと聴いて欲しいと思っていた時に、まさに福岡の戸畑高校の先生が、CMを見て手紙を書いてくれました。あの手紙をもらって、コロナ禍でのこのストレスジレンマで、同じように歯がゆい、悔しい思いをしている人がたくさんいると感じました。“歌のない卒業式に、歌を”というテーマがそこにあったので、じゃあせめてこの歌のない卒業式に、何か自分達なりにできることがないか大塚製薬とも一緒に知恵を絞りました。それでジェネレーター動画という企画を立ち上げ、サイトに動画をアップロードするだけで「さくら(二〇二〇合唱)」を使用し、動く卒業アルバムのようなものが作れるようにしました(受け付けは終了)」。<後編>