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英国のクリスマス(6) クリスマスがやってきた 

小林恭子ジャーナリスト
カラフルなクリスマス・クラッカー

中世(5世紀―15世紀)の英国では、クリスマス・シーズンといえばご馳走を食べ、陽気に騒ぐ時期であった。1年の中でも寒く暗い日々が続く冬のハイライトであった。

BBCの宗教特集のサイトによれば、当時は特定の宗教の祭事ではなかったようだが、人々の生活に絶大な影響力を持っていたキリスト教の教会がキリスト教の祭事としての意味合いをつけていった。例えば、収穫を祝う歌をキリスト教の聖歌としたり、ヒイラギはキリストが十字架にかけられる前に王冠として使われたものとして定着させたという。

エリザベス1世の時代(在位1558年―1603年)、新約聖書を信仰の中心にするべきと考えた清教徒たちは、厳格な道徳観に基づいた生活を提唱。次第にクリスマスを祝う行事を問題視するようになり、1644年、イングランド地方ではさまざまな祝事が事実上禁止された。

クリスマスを祝う行為が国民的行事として大きく花開くのがビクトリア朝(1837年ー1901年)だ。

ブームに一役買ったのが、以前に紹介したチャールズ・ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」(1843年)。これをヒントに、裕福な「中流階級」(資産家、産業資本家、商人層など)は家族が集う、特別な時期としてクリスマスを盛大に祝うようになった。

しかし、最も影響力があったのはビクトリア女王と王室だったといわれている。

クリスマス・ツリーの伝統はドイツからやってきた。ビクトリア女王の夫で、ドイツ生まれのアルバート公が英国に導入したのが1834年。この時のツリーはノルウェーの女王が贈呈したもので、ロンドンのトラファルガー広場に飾られていた。

1848年、新聞「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」が、さまざまな飾りがついたクリスマス・ツリーを囲む王室の姿を描いたスケッチを掲載した。まもなく、英国の多くの家庭が、ろうそくやお菓子、フルーツ、手製の飾りや小さなプレゼントがついたツリーを室内に置くようになった。

1843年に起業家ヘンリー・コールが友人・知人に送ったことで始まったのが、クリスマス・カードを送る習慣だ。クリスマス・カードの制作は高額で、子供たちは自作のカードを作るようになった。カラー印刷の技術が発展したことでカードの価格が下がり、低額の郵便切手も新たに発行されると、クリスマス・カードの送受がブームとなった。1880年だけでも1150万枚が発行された。

これをクリスマスの商業化の第一歩と見る人もいる。

製菓業を営むトム・スミスは、視察先のパリで、砂糖をまぶしたアーモンドがねじった紙に包まれて販売されていることを目撃し、「クリスマス・クラッカー」の販売を思いついた。

筒状にした紙を何度かねじった形をしているのがクリスマス・クラッカー。スミスは中にお菓子を入れた。数人と一緒にクラッカーの筒を互いに持ち、引っ張り合うと、「パーン」という音がして紙が破ける。出てくるのはお菓子である。

次第に中身はお菓子からおもちゃ、ジョークが書かれた紙などに変わってゆく。1843年から販売されたクリスマス・クラッカーは現在の英国のクリスマスには欠かせないアイテムだ。

例えば、現在では、クリスマス・クラッカーはクリスマス・ディナーの食卓に置いてあり、隣に座っている人などと一緒に引っ張るようになっている。中にはおもちゃやジョークの紙と一緒に、紙でできた王冠型の帽子が入っており、これをかぶってディナーを食するようになっている。

家の内外を飾るのもビクトリア朝時代から盛んになったという。

クリスマス・プレゼントも必須になった。フルーツ、ナッツ、お菓子など、当初はツリーに飾っていたが、中身が大きく重くなるにつれて、ツリーの下に置かれるようになった。

クリスマス・ディナーのメインとなるロースト・ターキー(七面鳥)やクリスマス・キャロルを歌うことなどもビクトリア朝時代に盛んになった。

―クリスマス・プディング

最後に、クリスマス時に食べる、甘いものについて書いておきたい。

七面鳥のローストがメインとしてあって、締めとして、「クリスマス・プディング」があるのが定番だ。

このクリスマス・プディングは、簡潔に言えば、ドライフルーツ、ナッツ、香辛料、ラム酒、ミンスミトートと呼ばれる牛脂などが入った、ダークな色のケーキだ。

フルーツケーキの場合は焼いて出来上がるが、クリスマス・プディングは蒸して作る。家庭で作る場合もあるが、できあいのものをスーパーなどで買う人が圧倒的だ。

何をかけて食べるのかは、作った人や家庭によって随分と変わるが、クリーム・ソース、カスタード・ソース、ブランデー・バター、ラム・バター、ブランデー・クリームなど。濃厚で、とても甘いデザートになる。

日本でイメージする、クリスマス・ケーキ、つまり、中身がスポンジ・ケーキで、これに生クリームやイチゴなどが乗っているものは、クリスマス時のケーキとしてはみかけない。

英国で「クリスマス・ケーキ」と名がつくものは、ダークな色のフルーツケーキをマジパンなどで包み、これに白いアイシングを重くかぶせたものだ。

ほかには、木の形をしたケーキ「ビュッシュ・ド・ノエル」(もともと、フランス)、スコットランド地方のフルーツケーキでアーモンドが上に乗っている「ダンディー・ケーキ」、ドイツの菓子パン風ケーキ「シュトレン」、イタリアの菓子パン「パネットローネ」も人気が高い。

―家族と一緒に

ビクトリア朝時代からの伝統で、今でも根強く残るのが、クリスマスは家族が中心に回ること。ディナーの準備、テーブルを囲んでの食事、家の内外の飾り付けをしたり、ゲームを楽しんだり、プレゼントを交換し合うーこれがすべて、家族がキーワードとなる。

英国の現在のクリスマスはキリスト教徒のみばかりではなく、さまざまな宗教の信者あるいは無宗教の人が参加する、季節のイベントだ。

多くの人が聖歌のコンサートに出かけ、クリスマスツリーを飾り、オフィスではクリスマスパーティーを楽しむ。

24日の夜には、教会で行われる「真夜中のミサ」に出かけたり、クリスマス当日には、家族、親戚、友人らとクリスマス・ディナー(昼または午後の早い時間にとる場合が多い)を楽しみ、プレゼントを交換し合う。

ディナーの後は散歩に出かけたり、ゲームを楽しんだりする。エリザベス女王の「クリスマス・メッセージ」の放送を視聴することも欠かせない。

その後はゆったりとテレビを見たり、さらに食べ、飲み、話すうちに、夜が更けてゆくー。(「英国のクリスマス」、終わり)

参考サイト:ビクトリア朝のクリスマス

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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