「もう生き残れる者などいない」飢えに苦しむ北朝鮮国民の肉声
北朝鮮経済を実質的に牽引してきたのは、市場だ。社会主義を標榜し、食べ物から日用品までが配給されていた北朝鮮においても、市場は古くから存在した。1958年に生まれた農民市場は、穀物以外の余剰農産物を販売する小規模なもので、計画経済や国の配給システムを補完する程度のものだった。
それが、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」に際して配給システムが崩壊すると、徐々に規模が拡大。もはや市場抜きでは経済が回らない状況となった。
統制のきかない市場を嫌った金正日総書記は2009年、貨幣改革(デノミネーション)を行い、旧紙幣から新紙幣への交換額を制限し、市場に蓄積された富をチャラにしようと試みた。その結果、北朝鮮経済は大混乱に陥った。その教訓からか金正恩総書記は、市場に手を付けようとしなかった。
ところがこの数年で政策は一変。かつてのような計画経済を復活させ、市場の機能をあくまでも計画経済を補完する役割に留めるようなシステムに戻そうとしているようだ。そのあおりで、穀物の販売が禁止され、コロナを理由に営業時間も大幅に短縮させられた。同時にごく一部ではあるが、配給システムが復活している。
だが、依然として市場は、北朝鮮国民が商売をして現金収入を手にし、また食べ物や生活必需品を入手するための、生活に欠かせない場所だ。韓国デイリーNK編集部は中国と北朝鮮国内の協力者の助けにより、首都・平壌の市場で靴を売るリさん、食料品を販売するチョンさん、北部・両江道(リャンガンド)の恵山(ヘサン)の市場でコメを売るキムさんの3人にインタビューし、そんな市場と国民の暮らしの現状を探った。
ー コロナ前と今で生活はどう変わった?
リさん:コロナ後には言い表せないほどの深刻な食糧難に見舞われている。コロナ前には、新義州(シニジュ)や恵山を通じて輸入される中国製の靴を売り、その収入で家族を養い、さらに商売の元手を増やすことができた。だが、今はそんな状況にはない。
中国製品は平壌から姿を消してかなり経つ。(北朝鮮の)国産製品が少し入荷するが、値段が高く買い付けができない。市場に毎日出て得られるのはコメ1キロ分の収入が関の山というのに、80ドル(約1万400円)も90ドル(約1万1700円)もする靴を誰が買うのか。
最近は本当に商売が苦しい。日が暮れて市場からの帰り道、明日は何を食べて生き抜けばいいのかという心配で涙が出る。自分だけではなく、周りの商人は皆同じだ。
チョンさん:コロナ前には、マンションの裏路地のあちこちに商売をする人々がいた。取り締まりはあったが、それほどひどくはなかった。ところがコロナ禍で取り締まりが本当にひどくなり、とても商売などできない。
今更、市場で商売しようにも数千ドルを払って売台(ワゴン)を買うのも難しいし、商売上がったりで苦しむ商人を見ると、下手に売台を買ってもっと状況がひどくなればどうなるのだろうと心配になり、何もできずにいる。
だからといって配給をもらえるでもなく、もどかしく苦しい。地方の人々は、平壌は良い暮らしをしていると思っているだろうが、そうではない。新しい年には少しマシになるのではないかと期待したが、(朝鮮労働党中央委員会第8期第6回総会拡大)会議を見て、そんな期待も捨て去った。今年はどうやって生きていこうかと考えるだけで夜も眠れなくなる。
キムさん:本当に息がつまる。コメを買いに来る客の中に現金を持っている人はひとりもいない。皆がツケ払いだ。そもそも(ツケで購入する)収入がなく、数百グラム単位で買う人もいる。コメを売っても現金が入ってこず、商売もパッとしないから、もう1年以上白飯を食べられていない。
空腹に耐えるのは一日二日のことでなく、何年も続いているから、通りを歩く人は皆、ガリガリに痩せていて、骨と皮だけのような人もいる。
(参考記事:北朝鮮「骨と皮だけの女性兵士」が走った禁断の行為)
ー 最大の悩みは?
リさん:一から十まで悩みだらけだ。子どもが大きくなれば大学に入れなければならないというのに、商売の元手も使い果たした。今年も国境が開かれず、商売が回らなければ、家族をどうやって食べさせたらいいのか。配給がもらえたら大丈夫なのだが、忘れた頃にたまにくれるだけなので信用できず、ため息ばかりついている。
チョンさん:子どもが2人いるが、以前は夫のおかげで配給ももらえて子どもの世話もできた。2年前に夫が亡くなってからは、食べることより、子どもの学校から要求される金品を供出できず、子どもに合わせる顔がない。今の時代、親らしいことはカネがあってこそできるのに、どうすればいいのか先が見えない。
キムさん:国境が開かれず何ら対策が示されないままだったら、もう生き残れる者はいないだろう。大人ですら空腹に耐えかねているのに、子どもたちは言うまでもない。
苦しい中で育ったせいか、子どもたちは皆早く大人になるようだ。空腹でもお腹がすいたと言わないので、親として胸が痛み涙があふれるばかりだ。それなのに、市場が2〜3時間しか営業しないので、年初からどうやって暮せばいいのか心配が先に立つ。
ー 新年に願うことは?
リさん:今年は国境が再び開いてコロナ前のレベルに戻ったらいい。中でも、市場の営業時間を長くしてほしい。自分の手で商売して何の問題もなく笑って暮らせるようになればいい。
チョンさん:テレビ報道とは異なり、平壌でも食糧難で苦しい生活をしている人が多いということを知ってほしい。生きていけるように市場の営業時間を長くして、親らしいことができるようにしてくれれば、それ以上望むことはない。
キムさん:今年は空約束ではなく国境を本当に開いて、市場の営業時間を長くしてくれればいい。家族が空腹を感じることなく生きられる1年になってほしい。