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富山TBのドラフト候補「松松コンビ」150キロのスリークォーター・松原快は元阪神・藤田太陽の愛弟子

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
アイドルばりのイケメン(撮影:筆者)

 今秋のドラフト会議に向けて、NPBの各球団はスカウト会議で候補選手をピックアップし始めている。もちろん独立リーグもその対象で、今年創設された日本海オセアンリーグ(以下NOL)でも選手たちはアピールの日々を送っている。

 中でも注目されているのが富山GRNサンダーバーズの左右の150キロ投手「松松コンビ」の松向輝まつむこう ひかる)と松原快まつばら かい)だ。ともに社会人出身で、NPBを目指して独立リーグに移った。

 前回の松向輝投手に続いて、今回は右のスリークォーター、松原快投手を紹介しよう。

■千葉ロッテマリーンズ・ファームとの選抜試合でワクワク

 「ドラフト1位が2人もいたんで、燃えましたね~(笑)」。

 6月4日に行われた千葉ロッテマリーンズ・ファームとの一戦に、NOL選抜メンバーとして参戦したときのことだ。

 まず3番・藤原恭大選手と対峙して「やっぱり大スター」と興奮した。そして4番・茶谷健太選手、5番・平沢大河選手との対戦に胸を高鳴らせた。

 「ちょうどいいところに当たったなと思った。3番、4番、5番と」と、五回に3番手で登板し、まずは藤原選手を空振り三振に斬り、茶谷選手は遊ゴロに打ち取った。平沢選手には二塁打を許したが、山本大斗選手から3球で三振を奪って無失点で終え、アピールに成功した。

 「いつもは緊張しちゃうけど、NPBとの対戦のときは緊張を超えてワクワクのほうが勝っちゃう(笑)」。

 大舞台を楽しむ余裕を見せる。

松原快投手(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
松原快投手(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

■藤田太陽コーチからのアドバイス

 サイドハンドよりやや上の、スリークォーターから150キロを計測する。加えてスライダー、カット、シンカーを操る。

 かつてのオーバースローから腕を下げたのは、古巣・ロキテクノ富山の現監督で、当時の投手兼任ヘッドコーチだった藤田太陽氏(阪神タイガース埼玉西武ライオンズ東京ヤクルトスワローズ)の一言からだった。

 「ちょっとサイドで投げてみて」。

 3球ほど投げたが、「太陽さんは『へぇ~』みたいな感じだった」と、いい反応であるようには見えなかった。ところがそのとき、松原投手には新たな感覚が芽生えていた。

 「僕の中ですごい手応えがあって…!『あれ?なんだこれ?』って。自分に合ってるかもって」。

 高校を出て3年目を迎えた2020年の春だった。ちょうどコロナウイルスの感染拡大が深刻化している時期で、全日本クラブ選手権などの大会も軒並み中止に追い込まれていた。もちろん練習試合すらできない。チームとしても強化期間に充てるしかなく、練習の毎日だった。

 「僕らのチームは本格派のオーバースローばっかりだった。みんな145キロを超えるような。それなら、ちょっと横にしたほうが投げさせてもらえるんじゃないかっていう、ずる賢い考えもあって…(笑)」。

 その考えは間違っていない。そして実際、下げてみると制球力が上がり、さらに球速までアップした。

 藤田コーチは見抜いていたのだ。松原投手の股関節の使い方、骨盤の回転が横だということに。これまでの指導者には、腕を下げるように助言されたことは一度もなかった。

 「(横回転だということに)誰も気づいてなかった。自分自身も。だから太陽さんの『ちょっとサイドで投げてみて』の一言がなかったら、たぶんしてないかも」。

 藤田コーチも、ちょうどいいタイミングを計っていたのだろう。ここというときに発したのだ。

■伸び悩んで新天地へ

 腕を下げた当初は今よりも低い位置の、まさにサイドだった。自身の感覚はよかったが、いいときと悪いときの差が激しく、なかなか継続して結果が出せなかった。

 また社業との両立も、思った以上に厳しかった。仕事は製造業で、朝9時から夕方5時まで、さらに残業を1時間することもあり、その後、夜7時から10時まで練習をしていた。

 「仕事のことを考えながら野球の練習に行って、野球でも課題が出てきて頭がこんがらがっちゃった」。

 切り替えが器用にできなかったのだ。

 どんどん新戦力が出てくる一方、自身はコントロールの修正もままならない。

 「伸び悩んでいた。だから、ここからもう一度挑戦してみようと思った。高卒でロキテクノに入らせてもらって4年間、大学を出たつもりで。どうしてもNPBに行きたいので、独立リーグで野球に専念しようと、人生懸けてみようと思った」。

 4年目が終わって、決意を固めた。

 ロキテクノ、そして藤田監督には心底感謝している。実は高校野球が終わったとき、もう野球は辞めようと思っていた。消防士になるつもりだったのだ。国家試験に向けて勉強を始めようとしたそのとき、当時のロキテクノベースボールクラブから話が来た。

 「一度練習に行ってこい」と促されるまま出向くと、そこで待っていたのが当時の藤田投手兼任コーチだった。

 「プロを目指してやらないか」―。

 その言葉で、完全燃焼したはずの気持ちに火がついた。そこで、お世話になることに決めた。

 しかし4年の間にプロ入りの夢を叶えることはできなかった。

 ロキテクノ在籍中に返せなかった恩は、サンダーバーズからNPBに行って返そうと心に誓った。

■一人ぼっちの自主練で腕の高さが決まった

 富山生まれの富山育ちだ。独立リーグに行くならサンダーバーズだと決めていた。NPBへの輩出人数も16人と群を抜いているのも、強力な決め手だ。

 入団が決まり、サンダーバーズでのキャンプが始まるまでの間、一人で黙々と練習に励んだ。

 地元の黒部市にあるバッティングセンター「新川ベースボールパーク バッチコイ!」の店長さんの協力で、1レーンだけあるブルペンを使わせてもらい、毎日毎日ネットを女房役に、動画撮影をしながら投げ込んだ。

 このとき、腕の高さも再考した。というのもサイドで投げていると「横から投げないといけないと思っていたら、どんどん腕が下がっちゃって…。そしたらもう、逆にストライクが入んなくなって、自分の中で焦ってどうしようもなくなった」という悩みが出てきたからだ。

 そもそも制球力を上げることも目的の一つだったのに、逆効果になっては意味がない。そこで、いい位置を探りながら投げていった。

 「オーバーじゃ力が出ないし、横過ぎても気持ち悪いしと思って、ほんとにちょっとずつちょっとずつ上げていった」。

 目安にしたのは、スライダーを投げるときの位置だ。ロキテクノ時代、「ストレートとスライダーの腕の位置が全然違った」という。そこで「スライダーが一番曲がる高さに、まっすぐも合わせよう」と結論づけ、その位置で投げ込みを続けた。

 「それが今の高さで、サイドより“腕1コ分”上げた感じ。でも、自分の中の意識では『サイドスロー』と思って投げている。自分がそう思うことが大事だと思うので」。

 一人で取り組んだことで、いろいろ考えることもでき、それが結果的によかったと振り返る。

■お手本は“藤田太陽投手”

 最も参考にした人がいる。藤田監督だ。「それこそ太陽さんの西武時代の動画とか見た。最初はほんとに全部真似た。グローブの位置とか、足の上げ方とか」と完コピする勢いだった。師匠もまた、かつてはオーバースローだったのだ。

 「やっぱり一番近くにいいお手本がいたんで、その人の真似すればいい。150何キロ出して、すごいピッチングをされる。だったらもう、その人に染まれば、そうなっちゃうんじゃないかと思ってやっていた」。

 松原投手がチームに入ったとき、藤田監督はまだ投手兼任コーチとして活躍していた。その圧巻のピッチングは今でも瞼に焼きついている。

 「初めてクラブ選手権の出場を決めたときの胴上げ投手。相手バッターはもうクルクルで、バットにすら当たらなかった。ほんとすごいなって思った」。

 衝撃的な思い出だ。だから、そんな師匠に少しでも近づこうと必死だった。

■目指すのは勝利に導くピッチング

 腕の位置もしっくりハマり、開幕を迎えた。おもに中継ぎとして16試合(1試合のみ先発)、19回に登板して防御率は4.26、奪三振率は13.26だ。

 「個人としては投げっぷりっていうのを見てもらいたいけど、やっぱりチームの勝ちに貢献したい」。

 社会人時代から藤田監督に繰り返し説かれてきた。「チームを勝利に導くことが、一番プロに近づく。そこに導けないのは、結局、自己満足なピッチングだ」と。

 社会人野球は負けたら終わりの「明日なき戦い」だ。一方、独立リーグはリーグ戦で、負けてもまた次がある。

 「それでも僕は、やっぱり勝ってナンボやと思っている。独立リーグでも、やっぱ勝たないと意味ない。それがNPBに行くための一番の近道だと思っている」。

 勝つために、自身が投げて抑える。その姿をドラフトに向けての評価にしてもらいたいのだ。

■先頭打者と2アウトを取った後

 だから悔やまれるのは3つの黒星だ。リードした最終回の登板は2度あり、いずれもリードを守りきれなかった。

 4月16日の福井ネクサスエレファンツ戦では最終回の八回に登板し、1点リードから2ランを浴びて逆転負け。5月29日の滋賀GOブラックス戦では2点リードの九回、先頭に死球を、2死後に四球をそれぞれ与え、3失点してサヨナラ負けした。

 そんなとき、思い出すのは藤田監督の叱咤だ。

 「ロキテクノでは2アウトを取って、そこからけっこうやらかしたことが多かった。そういうとき、めちゃくちゃ怒られた」。

 3つのアウトを取るまでは決して気を緩めるなと、懇々と諭された。

 さらにNPBでもクローザー経験の豊富なネクサスエレファンツの秋吉亮投手も、「先頭にどれだけ集中するか。いかに先頭を取るか」などと心理面の話をいろいろしてくれ、クローザーの極意を授けてくれた。

 勝利に導くピッチングをするために、それぞれのアドバイスをしっかりと胸に刻む。

■秋にはいい報告を

 それにしても、会話の中に「太陽さん」が何度も出てくる。松原投手にとって、高校を卒業して初めて間近で見たプロ野球選手であり、「すごい」と感動したその鮮烈なピッチングは、今でも忘れられないようだ。

 ピッチャーとしての技術だけでなく、心構えをはじめメンタル面なども多岐にわたって指導してもらった。現在のフォームのきっかけをくれたのも「太陽さん」だ。

 離れた今も心の師であり、時々LINEで連絡もする。

 直近では「優勝おめでとうございます」と送った。2012年に発足したロキテクノベースボールクラブは2020年にロキテクノ富山に改称し、2021年にクラブチームから企業チームとなった。そして今年、初の都市対抗出場を決めたのだ。

 松原投手としては嬉しい反面、淋しさも感じている。しかし、古巣の先輩たちに負けないよう、自分も頑張らねばと、より気を引き締める。

 秋にはお互い、いい報告ができるように…。

(本文中、表記のない写真の提供:日本海オセアンリーグ)

【松原 快(まつばら かい)】

1999年8月24日生(22歳)

180cm・85kg/右・右

高朋高―ロキテクノ富山

富山県黒部市/O型

ストレート、スライダー、カット、シンカー

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フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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