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【明智光秀天海伝説】明智光秀は南光坊天海として家康をサポートしていたのか?

歴ブロ歴史の探求者
天海:出典 Wikipedia

1582年6月2日に明智光秀は本能寺にて主君の織田信長を討ちました。

しかし、6月13日に山崎の戦いで羽柴秀吉に敗北し、坂本城へ落ち延びる途中、農民達による落ち武者狩りで命を落とします。

ところが、その死後から明智光秀生存説がささやかれてきました。

有名なところでは、徳川家康の政治顧問であった南光坊天海が明智光秀と同一人物ではないかと言う伝説があります。これは一つのトンデモ説ではありますが、火のないところに煙は立たないという言葉もありますので、今回は光秀天海説について考えてみます。

明智光秀は本当に戦死したのか?

先述した通り一般的に光秀は落ち武者狩りで命を落としたとされています。ところが、この光秀の最期は後世の創作と言われており、実際にどのように討ち取られたのかまでは分かっていません。

また、『惟任退治記』では『諸国より討捕り来る首、ことごとく点検のところに、この中に光秀の首あり』とあり、たくさんの首の中から光秀だと断定するのが難しい様子も書かれています。このことから光秀の生死の確認は不明であると考えられています。

南光坊天海はどんな人?

ここで天海について少し紹介しましょう。

天海は天台宗の僧で、江戸時代初期に家康のブレーンとして朝廷・宗教政策に深く関与しました。史料では1608年に天海が駿府を訪れ家康と初めて面会をしたのにもかかわらず、二人は旧知の間柄のように人を遠ざけて親しく語り合っていたそうです。当時の家康が初対面の人物と人払いをしてまで談合することは全く前例の無いことでした。

そのため、側近達は『天海とは一体何者なのか?』と驚いたとされています。

その後は日光東照宮の建設や江戸の街作りに係わり「国家安康」「君臣豊楽」の方広寺鐘銘事件は彼が考えたのは有名な話です。

なぜ春日局は家光の乳母になったのか?

家光の母はお江で乳母(教育係)はお福(春日局)でした。お福は明智光秀の重臣である斎藤利三の娘です。
一般的に考えて逆臣の娘であるお福に時期将軍候補を養育させるでしょうか?

では、家光がお江の子ではなく家康とお福(春日局)の子だったらどうでしょう?

これが本当なら、家康による明智家ゆかりの人物の登用に合点がいきます。

本能寺の変は信長による家康の暗殺未遂

ここで、興味深い説を紹介します。
明智光秀の末裔である明智憲三郎氏が書いた『本能寺の変431年目の真実』では、家康と光秀の共謀説が書かれています。

本能寺の変は、織田信長が徳川家康を討つ命令を明智光秀に下したのを契機に、明智家の未来を危惧した光秀が家康と通じ信長を討った。

この本能寺の補償や関が原の戦功に対して家康はお福に家光を生ませ、後継者として将軍家に明智の血を入れることによって、光秀に対し具体的な礼をしたというのです。
その結果が天海を含む、光秀ゆかりの人の厚遇に繋がったのではないでしょうか?

明智光秀が恐れていた事とは?

では、信長を討つ決心をした光秀の恐れていた事とは何でしょうか?

それは、明への武力行使です。

この構想はイエズス会のフロイスによる報告書にハッキリと書かれています。

日本統一後に国内の領地は息子達に分け、臣下の武将を国外征服に送り出す。

と信長はフロイスに言ったそうです。

これが実現すれば、明智一族は国外で滅亡すると光秀は判断したのでしょう。

また、信長にとって日本を統一するには家康の存在が邪魔になります。

そこで、後顧の憂いが無いように家康を本能寺に招いていた信長は、少数の護衛しか帯同していない千載一遇のチャンスを生かし家康討伐を光秀に命じますが、上記にある光秀と家康の密約により逆に討たれてしまったのではないかというのです。

信長を討ち家康を助けたわけですから、幕府開設の最大の功労者として明智光秀が認められたのではないでしょうか?

また、光秀が非常に有能な人材なのは歴史が証明しています。これは信長の同盟者であった家康も十分理解しており、仮に天海=光秀であるのなら幕府の行政や軍事面の重要な場面を任されても納得がいきますし良い仕事もするでしょう。

さらに自分の命を救った恩人に自らの遺言を天海(光秀)に残し徳川家の未来を託すのもわからない話ではありません。

『明智光秀の天海説』はトンデモ説の域から抜け出していませんが、天海の後ろに明智光秀の影を強く感じるのは私だけではないはずです。

信じるか信じないかはあなた次第です。

参考文献:明智憲三郎 本能寺の変 431年目の真実 2013年文芸社

歴史の探求者

歴史好きが講じて歴史ブログを運営して約10年。暗記教科であまり好きでないと言う人も少なくないはずです。楽しく分かりやすく歴史を紹介していければと思います。歴史好きはもちろんあまり好きではない人も楽しめるような内容をお届けします。

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