【逃げ上手の若君】鎌倉幕府滅亡の際の集団自決 人々はなぜ北条氏に殉じたのか?
集英社の『週刊少年ジャンプ』に連載されている漫画「逃げ上手の若君」が2024年7月6日から、アニメとして放送されています。「逃げ上手の若君」の主人公は、南北朝時代の武将・北条時行(北条高時の子。幼名は亀寿)です。鎌倉幕府滅亡の直前(1333年5月)、北条泰家(高時の弟)は、仕える侍たちを呼び寄せて、他日を期して自らは南部太郎と伊達次郎を連れて奥州に落ち延びること、その他の者は自害せよと命じるのでした。残り止まった侍ら20余人は軍記物語『太平記』によると「一儀にも及ばず」(一言も異議を挟まず)、主君の仰せに従います。
彼らは「殿(泰家)は既に自害された。志ある者はお供せよ」と中門に走り出て叫び、館に火を懸けるのです。猛火に包まれる館、立ち上る煙の中に立ち並んだ侍たちは、皆、腹を切ったのでした。これを見た庭上・門前にいる泰家方の兵約300人も皆、切腹します。そうした光景を見て「泰家は落ち延びた」という人は誰もいなかったとのこと。家臣が「殿(泰家)は既に自害された」と呼ばわったこともあったでしょうが、多くの家臣が自害した様もまた人々にそうした認識を植え付ける要因となったでしょう。
幕府滅亡の際、時行の父・高時は鎌倉の東勝寺にいましたが、高時はそこで自害することになります。そして、そこでもまた先に見たような集団自害が起こるのです。高時の死の直後、その一門や他家の人々は、上半身裸となり、腹を切り、自ら首を掻き落としたのでした。「一所にて自害したる者」は「八百七十三人」にのぼったと『太平記』にはあります。その他、幕府に恩があった「僧俗男女」も自害していきました。同書には鎌倉中でその数「六千余人」だったとあります。凄まじい数です。同書からは北条氏(幕府)の治世を良しとし、その御恩を感じていた人々が多かったことがよく分かります。