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【富田林市】2週連続でだんじりが楽しめるのはなぜ?第2週と第3週地区に分かれている理由を探ってみると

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

今年は富田林市内でも3年ぶりにだんじりが行われるということで、大いに盛り上がっていますね。昨日と今日は河内長野市全域と富田林市の一部の地域がだんじり祭りが行われています。

河内長野市は先月試験曳きを見ましたので、昨日土曜日は、主に富田林のだんじりを中心に見学してきました。

昨日の河内長野は、朝から歩けばだんじりに遭遇する状態。いきなり原・石坂のだんじりと遭遇しました。

恐らく今日もそんな感じでしょうか?ちなみに昨日は、河内長野市ではまだ見ていない地域のだんじりを見た後に、富田林に行くことにしました。

ところで河内長野市は、全域同じ10月第2週の日程でのみだんじりが行われる(2022年は10月8・9日)のに対して、富田林は地域により10月第2週の日程と10月第3週の日程(2022年は10月15・16日)で分かれて行われています。

結果的に富田林市では2週続けてだんじりがみられるわけですが、そもそもなんで2週に分かれているのが気になりました。

錦織神社
錦織神社

富田林市のだんじりは、次の日程で行われます。

10月第2週に行われる地域

  1. 錦織神社  錦織、五軒家、加太、伏山、廿山、甲田、新家、宮甲田、須賀 合計9台
  2. 春日神社  彼方、伏見堂、嬉 合計3台

ということで、今回はこちらのふたつの神社にて宮入りするだんじりを見ようと行動してみることにしました。

美具久留御魂神社
美具久留御魂神社

ちなみに10月第3週に行われる地域は、次の通りです。

  1. 美具久留御魂神社 毛人谷、寺内町、宮、櫻井、川面、喜志、木戸山、平、中野、新堂、若一 合計11台(これに羽曳野市の尺度が含まれる)
  2. 佐備神社 上佐備、中佐備、下佐備 合計3台
  3. 板茂神社 西板持 1台
  4. 大伴黒主神社 山中田 1台
  5. 建水分神社(千早赤坂村)北別井、南別井、東板持 合計3台(富田林市内のみ表示)
  6. 一須賀神社(河南町)南大伴、北大伴 合計2台(富田林市内のみ表示)

このように分かれていていて、かつ現在の自治体富田林市とは離れている、羽曳野、千早赤阪、河南といった地域にあるだんじりや神社が関わっていて、伝統的な地域と現在の地域のギャップを感じます。

実はここにふたつの日程が分かれているヒントが隠されている気がしました。これは昔の郡のことです。富田林市は河内長野市などと共に、市になる前は郡に属していました。

富田林との比較のために、朝最初に訪れた河内長野市にある烏帽子形八幡神社は、今年の朝の宮入りは、だんじりではなく責任者だけが神社に来て神事を受けるそうです。

さて富田林市は、旧石川郡だったところと旧錦部郡(にしごりぐん)だった地域が合わさってひとつの市にになっています。この中で旧錦部郡を調べると面白いことがわかりました。

1880(明治13)年に行政区画として発足した当時の錦部郡の郡域は、現在の河内長野市と富田林市の一部でした。

旧錦部郡にある彼方春日神社
旧錦部郡にある彼方春日神社

旧錦部郡に該当する中で富田林市にあたる地区は(廿山、向陽台、美山台、宮甲田町、甲田、谷川町、川向町、西板持町、楠風台、彼方、伏見堂より南西)だったそうです。

烏帽子形八幡神社の入り口まで来てそれぞれの地域に向かうだんじり
烏帽子形八幡神社の入り口まで来てそれぞれの地域に向かうだんじり

この関係をよく見ると、旧錦部郡で河内長野と富田林の市域に含まれている錦織、甲田や彼方、伏見堂といった地域は第2週にだんじりが行われています。それ以外の地域、旧石川郡に属していた地域は第3週にだんじりが行われています。

ただなぜ郡単位で実施に日程がわかれているのか明確な理由はわかりません。江戸幕府の命令なのか、地元の民衆が自主的にそうしたのか、いろいろな理由が考えられますね。

板茂神社 2022年の正月に撮影
板茂神社 2022年の正月に撮影

ただし、ひとつだけ旧錦部の西板持地区のある板茂神社だけは、例外的に第3週の旧石川郡のグループに入っていました。

はっきりとした理由はわかりませんが、ひとつの可能性として、板茂神社が、明治時代に千早赤阪村の建水分神社に合祀されていた時期(戦後に分祀、現在も建水分神社が管理)があったことが考えられます。

建水分神社が第3週の石川郡地域の日程でだんじりをしますから、現在も宮司が管理している板茂神社もそういうスケジュールに変更になったのかもしれません。

烏帽子形山を背景に曳かれていくだんじり
烏帽子形山を背景に曳かれていくだんじり

という仮説を立てながら、河内長野市の烏帽子形八幡神社に集うだんじりを見ました。さてここからが本番です。

富田林市の中でも、かつて河内長野市と同じ旧河内国錦部郡に属していた地域で、かつ同じ日に秋まつりが開催される錦織神社と彼方春日神社の宮入の様子を見ることにしました。さて河内長野のだんじりとの共通点が見つかるでしょうか?

ということで、河内長野駅から近鉄長野線に乗って、錦織神社の最寄駅、川西駅に来ました。駅ホームからさっそく法被を着たお子さんがいますね。

錦織神社に来ると、屋台がたくさん出ている様子が見てとれて、早くも秋祭りモード全開です。だんじり囃子も聞こえていました。

ちょうどだんじりが鳥居をくぐろうとしています。このままだと衝突しそうですね。

もちろんそのようなこともなく、ぶじ鳥居をくぐり神社に向かいます。

錦織神社は、入口から見えた通り、屋台でにぎわっていました。お正月の初詣を思い出します。

ヨーヨー釣りです。このほかりんご飴とか金魚すくい、唐揚げ屋さんなど、定番の屋台が並んでいました。

その中で変わったものはこちらでしょうか?だんじり風船が1000円で売られていました。

最初に錦織神社に入ったのは、錦織のだんじりです。このときに河内長野のだんじりと比べて雰囲気が違う気がしました。延々とマイクで歌いながら曳かれて行く点です。

また河内長野のだんじりの場合は、この画像のように後ろにどこの所属なのかがわかるような地域明記した幟旗がついていますが、富田林のだんじりにはこのようなものは付いていません。

実際に見ると旧錦部郡という共通性は感じられません。翌週の他の旧石川郡地域のだんじりを見ていませんのでまだわかりませんが、恐らく富田林のスタイルで統一されている気がしました。

いくら旧錦部郡という同じ郡だったとしても、それが南河内郡に統合され、やがてちょうど80年前に当たる1942年(昭和17)年の合併により、今の富田林市の大部分を占める富田林町が成立しているので、もう富田林としての影響の方が強いのでしょうね。

神社の境内に到着しました。宮司から祭りの安全を祈願する祈祷が行われます。だんじりが前かがみになっているので、参加者と共に宮司に頭を下げているみたいですね。

錦織のだんじりが神社を後にしました。一瞬、境内が静まり返りましたが、やがて次のだんじりが姿を現しました。

次は廿山(つづやま)のだんじりです。難解地名でおなじみですね。

本来なら、1台ずつではなく一斉にだんじりがそろうはずなのですが、いまだコロナ禍の問題があります。まだまだ本来の姿ではないものの、実施されたことに意義があるというところでしょうか?

廿山の次に登場したのは甲田のだんじりです。錦織のだんじりもにぎやかでしたが、甲田も凄かったです。だんじりの前の部分だけでも10人もの人が乗っています。

さらに、露払いのように、前方には女性陣がこのように踊りながら先導していました。

本当は錦織神社で、関連するすべてのだんじりの宮入りを見るのが良いのかもしれません。

しかし、もうひとつ彼方地域のだんじりの様子もどうしても見たかったので、甲田の宮入が終わったところで、神社を後にしました。

神社の入り口では、甲田の後に宮入りする、五軒家のだんじりが待機していました。

さらにその次、宮甲田のだんじりも待機していました。

錦織神社にはこのように臨時駐車場もありました。しかしここに来るまでの交通規制が大変そうな気がしました。

実際に川西駅の辺りは通行止め。車の人は大変です。こういう時は公共交通派で、基本的に歩く派の私は、移動に問題なく行動できますね。

さて、石川を渡りました。そのまま南方向、彼方春日神社を目指します。

途中では、稲刈り直前の稲穂が見えていました。のどかな風景ですが、この日は複数の方向からだんじり囃子と歌が聞こえます。

この歌をいろいろ聞きましたが、中には昭和歌謡をアレンジしたような雰囲気のものもあったような気がしました。

遠くから聞こえるだんじりの歌声、秋祭りの雰囲気を味わいながら、彼方地域を南に向かいます。

さて、彼方に来ました。

春日神社の入り口です。木々に隠れた奥は見た目はうっそうとしていますが、実際にはこの奥でだんじりの歌声が響き渡ります。

境内に向かって石段を登っていると、下からだんじりの姿を発見。

あらかじめ彼方のだんじりの宮入りの時間帯に関する情報を得ていましたが、それでもどうにか間に合ったので一安心。

スタイルはやはり錦織地域のだんじりと同じです。

宮入りが行われました。錦織神社とは違い、山の中を背景とした宮入りの様子はまた違った雰囲気ですね。

こうして無事に祈祷を終えただんじりは、神社を後にしていきます。

ここでふと振り返ると、宮司と神社の関係者の方々が静かに見送っています。結構だんじりが遠く離れるまで、この姿勢のままで見送っていました。

だんじりへの愛情すら感じるお見送りのシーンは、意外に見落としがちかもしれません。

彼方のだんじりは、神社の境内からため池の横を曳かれて行きます。

どっちの方向に行くのかなと思っていたら、さらに上に登っていきます。この先にはグランドホテル二葉や瀧谷不動明王寺があります。

河内長野では、観心寺や天野山金剛寺の周辺ではだんじりの空白地域になっているようで、それは神社との関係が深いだんじりが、真言宗の強力な仏教寺院の勢力下では、成しえなかったのかなと勝手に想像していました。

しかし彼方の場合は、同じ真言宗寺院の瀧谷不動明王寺のすぐ近くを通過していくようですね。

さて、ひとつ面白い現象がありました。ここは滝谷不動駅から瀧谷不動明王寺に向かう参道で、今年の春まで毎月28日の縁日では歩行者天国になっていた道です。

今年の4月で毎月の歩行者天国は無くなりましたが、秋祭りだんじりの時だけは、未だ年に1度の歩行者天国状態になるわけなんですね。

さて、滝谷不動駅方向に歩いていると、前方から別のだんじりがやってきました。

こちらは伏見堂のだんじりです。

さらに、石川河川敷を曳かれている嬉のだんじりも見ることが出来ました。

結果的に彼方地域のだんじりはすべて見られましたね。

さて石川に架かる高橋まで来ました。高橋の橋の先を見ると、だんじりの姿が見えました。

見るとこれは錦織のだんじりです。宮入のときと違い、提灯がついてパワーアップしているようです。夜になれば提灯からの光も鮮やかなのでしょう。

もしかしてこのまま高橋を渡ってくるとなればまた面白い写真が撮れるかと思ったのですが、

ここで交差点を曲がり、高橋には渡りません。後で気づきましたが、石川の先は旧彼方村のエリア。旧錦織村のだんじりがそこに渡るということは原則ないのでしょうね。

錦織のだんじりの後には甲田のだんじりが来ました。こちらも提灯がついてパワーアップしていました。

甲田と錦織は錦織神社で特に目立った気がしましたが、甲田が旧川西(廿山)村で、錦織が旧錦織村なら、同じ神社に属しながらも、どこか対抗心があるのかなといろいろ想像してしまいました。

というわけで河内長野市と同じ日付で行われている富田林の秋祭りを見てきました。

今日9日も行われますが、せっかくなので動画も撮りました。宮入りを中心に錦織・彼方両地区のだんじりを曳く様子を撮影しましたので、少し長めの動画です。

先日富田林駅近くで見つけた張り紙
先日富田林駅近くで見つけた張り紙

余談ですが先日面白い情報を得ました。今日10月9日は、第二週の旧錦部郡地域でのだんじり本番ですが、どうやら富田林の毛人谷(えびたに)地区のだんじりの試験曳きと重なることがわかりました。

ただこれは毛人谷地域の話なのでほかの地域が全てそうなのかはわかりません。それでも本来1週間ずれるだんじりが同じ日に見られる可能性があるとのこと。今日の秋祭りは違った意味でも楽しめそうです。

2022.10.9 追記:こちらの動画でもあるように、河内長野でも高向上町のだんじりは歌っていました。

ちょうどくろまろの郷の駐車場におられた、高向上町の元青年会の方にお話を伺ったところ、本来は河内長野でもだんじりは歌うそうです。ただ申し合わせにより、町中にある、千代田、長野地域のだんじりは歌うのをやめたそうです。

そのほかの地域では山の方に来ると歌うそうで、高向のだんじりはくろまろの郷周辺などの山里にくると動画のように歌うそうです。

錦織神社
住所:大阪府富田林市宮甲田町9-46
アクセス:近鉄川西駅から徒歩6分

彼方春日神社
住所:大阪府富田林市彼方329
アクセス:近鉄滝谷不動駅から徒歩15分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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