必聴の「シティポップ」の名作が甦る rough laugh、その眩いばかりのポップスが再び輝く時
「シティポップ」が国内外で注目を集めている。しかしその定義は人それぞれだが「都会的で洗練されたイメージのポップス」という捉え方をする人が多いのだろうか。“都会的で洗練されたイメージ”といっても、これも感じ方に違いはありそうなので、その部分は「ある種のムードを持った」という表現が適当だろうか。どちらにしてもジャンルではなく、あくまでも抽象的なイメージを共有するための概念を指す言葉だが、その音楽的要素は、1970〜80年代のアメリカのポピュラーミュージック、R&Bやファンクをベースに、ロックやジャズ、フュージョンなどを色濃く感じ、さらにボサノヴァ、サンバなどのラテン音楽などを取り入れたものまで、多種多彩だ。いつの時代にも存在して音楽だが、そんな中で、1990年代後半、活動期間は短かったが、極上のシティポップを聴かせてくれ、一瞬、強烈な輝きを放った忘れられないバンドがいる―――rough laugh(ラフラフ)だ。
rough laughの全カタログがストリーミング配信され、話題に
彼らは1999年1月7日にシングル「sometime somewhere」でポニーキャニオンからメジャーデビュー。シングル6作、アルバム2作を発表し、2001年突然活動休止。そのポニーキャニオン時代の全音源が、2019年12月25日に配信され、MUSIC VIDEOも公開、当時のファンはもちろんシティポップファンからも注目を集めている。さらに、配信された音源の中では、彼らが1997年に発表した、インディーズ史に残る名盤といわれている『routin life』(1997年12月5日発売)も含まれている。当時は“インディーズ”と“メジャー”の境界、意識が割とはっきりしていて、そんな状況の中で『routin life』のクオリティの高さが音楽業界をざわつかせ、高い評価を得、シティポップの名盤として今も輝きを失っていない。メジャーデビューから20年というタイミングで配信によって、rough laughのグッドミュージックが再び世の中に放たれるのは嬉しい限りだ。そこで、西沢サトシ(Vo&G)、かとうまさあき(P)、南都(Cho&V)のオリジナルメンバー3人に久々に集まってもらい、当時の制作秘話などを聞かせてもらった。
rough laughとは?
西沢は中学卒業後、ニュージーランドでホームステイの経験があり、そこで歌うことの楽しさに目覚め、帰国後、18歳でストリートで歌い始めた。かとうも代々木公園やホコ天で演奏していたが、そんな二人は「入間川フォークジャンボリー」(現「入間川ミュージックヘヴン」)という音楽イベントに別々のバンドで出演し、rough laughという2人組で出演していた西沢の歌を聴いたかとうは「コーラスワークがよくて、一緒にアカペラをやらないかと声をかけました」と、その出会いを教えてくれた。「ストリートで道行く人々の足を止めるために、ハモリは武器になっていました」(西沢)。rough laughはかとうが合流し3人でライヴ活動を精力的に行っていた。ほどなく様々なレコード会社、事務所から声がかかるようになったが、その後メインボーカルが脱退し、西沢とかとうの二人になる。二人ともコーラス、ハーモニーの重要性を再確認し、もう一人メンバーを探している時に、コーラスの仕事をしていた南都と出会う。
「サトシは年下なのに、出会った当時から大人な、そして素直に素敵だなと感じる曲を書いていた」(かとう)
西沢のハイトーンな声と、南都の女性にしては低めの声との相性のよさは抜群で、とにかくハモリまくり、それが極上の気持ちよさを生むrough laughの太い芯ができ上がった。ギター、ピアノ、そして南都のバイオリンという珍しい編成でrough laughとして活動するようになる。ソングライティングは西沢。「会った当時は18歳で僕より年下なのに、大人な感じの曲、しかも素直に素敵だなって感じる曲を書いていました」(かとう)。当時のプロフィールを見ると西沢はキャロル・キングやトム・ヨーク、南都はレオン・ラッセル、サザンオールスターズ、かとうはブルースロックを、フェイバリットアーティスト、ミュージックに挙げている。
インディーズ時代に作り上げた名盤『routin life』は、シティポップの名盤として今も輝きを放つ
97年7月にはインディーズの1stシングル「泳げseifish」をリリース。続いて、シングル「flowers」、「Cry&Smile」を発表する。「『Cry&Smile』をシングルにするという話になった時に、自信になり、道が開けたと思いました。『flowers』が完成した時、シングルを中心に構成できるアルバム『routin life』のイメージが広がりました」(西沢)という名盤『routin life』は、ジャズ、ボサノバ、ロック、ブラックコンテンポラリー、様々な音楽を昇華させた、上質なポップスアルバムだ。心地よさと、瑞々しい無邪気さが程よく溶け合ったポップな楽曲達。絶妙に重なり、脈打つコーラス、ギター、ピアノ、ギター、バイオリンのクールなアンサンブルは、一度聴くと忘れらない。
「サトシが書いてくる曲にはいつもワクワクしていた」(南都)
「“懐かしい感じがする”と誰かに言われた時、それがすごく嬉しかったことを今でも覚えている」(西沢)
「本当に色々な音楽性の曲が上がってきて、まず最初にメロディを聴かせてくれて、そうするとすぐにハモリが浮かんできて、いつも彼が書いてくる曲にはワクワクしていました」(南都)。「“懐かしい感じがする”と誰かに言われた時、それがすごく嬉しかったことを今でも覚えています。新しいもの作っているのに、聴いた人をそういう感情にさせることができることが嬉しかったです。一時期ジャズギタリストを目指している時期があって、テンションコードは体の中にあったのだと思います」(西沢)。聴き手がそれまで聴いてきた音楽のフレーバーを内包しながら、新しい音楽として成立させているこのアルバムは、初期のrough laughの集大成でもある。西沢が「会心のデキ」と絶賛するこの作品の素晴らしさは、業界内外に急速に広がり、レコード店、FM各局を始め、彼らの音楽をプッシュするメディアが増え、注目を集める存在になっていった。1997年の冬から1998年にかけてのことだ。
1999年メジャーデビュー。Vo&G西沢サトシのソングライターとしての才能が注目を集める
インストアイベントとライヴ、ラジオへの出演を精力的に行い「そんなにインディーズ、メジャーの違いは意識していなかった」(南都)という彼らだが、約半年の充電期間をおき、レコード会社の激しい争奪戦を経て、1999年1月に「sometime somewhere」でポニーキャニオンからメジャーデビューを飾る。「今だから言える話ですが、当時、ストックしている曲や途中までできている曲ではなく、新たな書き下ろしでということで『sometime~』を完成させましたが、個人的には書きかけだった『刹那主義』(「誰がために鐘は鳴る」(99年8月)カップリング曲)」がすごく気に入っていたので、悩みました。今聴いてもいいなって思います」(西沢)。「刹那主義」は「sometime~」に負けず劣らずファンの間では人気の高い曲で、ジャズやソウルの成分を多分に含み、ピアノ、ホーンをしっかり聴かせるバンドサウンドが作るハネたメロディは秀逸だ。クールでオシャレだが、サビは圧倒的な親近感を纏わせた王道ポップスに持っていく、西沢のソングライターとしての能力が冴え渡る一曲だ。
1999年、2ndシングルを最後にメンバーのかとうが脱退。2人組として再スタート
そして2ndシングル「First Step」を最後に、かとうが脱退。2人組として最スタートを切ることになる。「公私ともに色々とあった時期で、周りが見えていなかったというか。今思うとバカだったなと思いますが、心のままに生きる事が大事で、それがアーティストらしいという思いを強くして、抜けさせていただきました」(かとう)、「そんなに悩んでいたというのが全然わからなかったので、ショックでした。僕も当時はそんなにキャパシティに余裕がなかったので、そんなかとうさんを引き連れてでもバンドを進めていけばよかったに、それができなかった。『じゃあ仕方ないね』と決めてしまって、若さゆえというか、天狗にもなっていたんでしょうね。僕もバカだったなって思います」(西沢)。
ドラマ『らせん』の主題歌「誰がために鐘は鳴る」が20万枚を超えるスマッシュヒット。「殻を破ることができた一曲」(西沢)
99年8月、ドラマ「らせん」(フジテレビ系)の主題歌になった「誰がために鐘は鳴る」が20万枚を超えるスマッシュヒット。「初めてのドラマタイアップで、制作サイドの意図を汲み取りながらゼロから作って、これから色々なものができるかもと思えた、殻を破ることができた一曲」(西沢)は、アグレッシヴなサウンドと繊細なメロディが印象的だ。
「自分の音楽性の変化も速くなっていて、ファンが求めるポップス性との整合性がだんだんとれなくなってきた」(西沢)
10月にはこの曲を含む1stアルバム『われ唄う故にわれ在り』を発表(1.刹那主義/2.アタシハタチノネ。/3.BAD COMPANY/4.誰がために鐘はなる/5.神様!僕達は走っていく(再録)/6.my routin life(再録)/7.Cradle to Grave~揺りかごから墓場まで~/8.かしこ/9.デジタル・ローカスト/10.sometime somewhere)。「刹那主義」から始まるこの作品では、『routin~』に収録されている「神様!僕らは走っていく」「my routin life」のリアレンジしたものや、以前から温めていた曲達も収録されている。「1stということで力が入りすぎたというか、自分の音楽性の変化も速くなっていて、この時はダークっぽいものが好きになっていました。そういう音楽を取り入れたい気持ちと『routin~』からの流れの純ポップス性との整合性が取れなくなって、逆にいうとだからこそ『誰がため~』のような曲が書けたのだと思います。でも『sometime~』のような曲も入れなければいけない、さてどうしたものかと悩みながら作ったと思いますが、デキに関しては思い残すことはありません」(西沢)。そんな西沢を隣で見ていた南都は「本当にマジメな性格なので、すごく揺れ動いているというのは伝わってきましたが、曲の良さは変わらずハッとさせられるものばかりでした」と教えてくれた。
このアルバムに収録されていた「BAD CAMPANY」が、「デジタル・ローカスト」をカップリングにし、翌月シングルカットされた。「デジタル~」は歪んだギターが鳴り響くデジタルロックで、<本音以上に考えたり 些細な自由を追いかけたり 無意味に傷つけ合って 幸せは砂のようにモロくガッカリ しちゃったり>という、西沢の当時の心模様を描いたような歌詞が突き刺さってくる。その音楽の志向性の変化と、純度の高いポップスを聴かせてくれるという、rough laughというバンドに“イメージ付けられた”ものとの狭間で、西沢のクリエイターとしての感性と感情は揺れ動いていた。これも『routin life』というアルバムの功罪なのかもしれない。
そんな中で、シングル「東京深海魚」(2000年4月)「シンガーソングライダー」(同年8月)と立て続けにリリースしていき、結果的に最後の作品となる2ndアルバム『buss22』を2000年9月20日に発表(1.The Jam/2.シンガーソングライダー/3.東京深海魚(angler fish mix)/4.Mr.Sの大いなる誤算/5.ゴメンネ。/6.官能小説/7.傍観者からの手紙/8.WeekendのJazzman達へ(再録)/9.simple 6 moment/10.日蝕)。この作品には、高野寛、木原龍太郎、ASA-CHANG等のポップスの旗手達がレコーディングに参加し。より深く深化したrough laughポップスが完成した。どの曲も極上のポップスに仕上がっているが、個人的には珍しく南都がリードボーカルをとっている、どこまでも美しいメロディとハーモニーが胸を打つ「simle 6 moment」は、忘れられない一曲になっている。
結果的に最後の作品となった2ndアルバム『buss22』を作り終えた時「やりきった感があった。『日蝕』を書いた時に、一旦止まろうと思った」(西沢)
西沢は「どこかやり切った感がありました。これまでの流れがあって、「日蝕」という曲をスタジオで書き終わった時に、一旦休んでもいいかなって思いました。それまで速足で来たし、一旦ここで置こうって」と、次への可能性を感じさせてくれる新作を完成させたと同時に、抜け殻になったと教えてくれた。南都も「サトシがそうなって、でもやっぱりそうだよねって素直に思えました。サトシが色々な曲を聴くようになって、それをソングライターとしてのエネルギーにしていって、一方で、これは結果論ですが、私自身は何かを肥やしにしてスキルアップしていこうという気持ちがなくなっていたのだと思います。二人になって、色々やることが増えたこともあると思いますが、今思うと、そういう思いはかとう君がいなくなってから、ずっとあったと思います」(南都)。
2001年突然活動休止~解散。しかしその音源は20年の時を経て、再び光を放つ
このアルバムを引っ提げた冬のツアーの「傍観者からの手紙」を成功させるも、2001年4月突然の活動休止。西沢&南都が歌い上げる美しいハーモニー、才能溢れるメロディ、洒落っ気のある歌詞は、この作品を最後に聴けなくなってしまった。しかし彼らが残した作品はどれもエバーグリーンで、今聴いても決して瑞々しさを失うことなく、20年間輝きを放ち続けている。「シティポップス」が再び人々の心を潤している今こそ、rough laughという“ポップスの名手”が手がけた上質なポップス=シティポップスに触れて欲しい。
今回のroughlaughの全カタログ配信のストリーミング配信に際して、ポニーキャニオンから発表されたリリースにこんな文言があった。<早すぎた才能だったのか?苦悩の世代だったのか?類まれなるポップスのセンスを授かり、1970年代から続く日本のポップスを、90年代から2000年代へ繋いだrough laughの存在は非常に儚くも、彼らが残した音源は20年を経てより一層煌めいて、より一層スタンダードな音楽として響くはずだ。現行ポップスを遡る際に見え隠れするrough laughというピース>――一瞬ではあったが、眩いばかりの光を放ったrough laughというバンドの音楽を、今だからこそ感じて欲しいと素直に思う。
◆メンバーコメント
20年の月日が経ちました。僕らは今でも戦友でありライバルであり心を支え合える友達です。
不思議とね、3人で会うとあの頃に戻るんだよ。
どーして僕らは離ればなれになったのか。
そこには葛藤と栄光と挫折と友情が混じり合っていて。
つまり青春の全てだったんだと思います。
一生に一枚だけでも名盤を。いつか作ろうと足掻いていた日々。
ドサ回り。元ストリップ劇場。Dチャンス!漫画化笑他にも色々。
でもその青春には続きがあったようで…未だにガラケーでSNSとかには疎い時代遅れの43歳元歌い手。この機会を嬉しく思っています。
この場を作ってくれたスタッフの皆様に感謝。応援してくれていた皆様にありがとうです。
でも変わってないなぁ…
かとサンのピアノのフレーズに涙し、南都のコーラスに身震いする。
誰かの心の片隅にrough laughの歌がこれからも紡いでいられる事を願っています。皆様ありがとうございます。20年ぶりにか。苦笑
これからもよろしくね。
(西沢サトシ)
初老と呼ばれる歳はとうに過ぎ、すっかり時代に乗り遅れ、ダンナとロン(パピヨン15歳)とのんびりと暮らしています。健康です。
まぁまぁスマホは使えていますが、ストリーミングの意味もわからず、今回のこの配信がどのような事になっていくのかかいもく検討もつきません。
でもとてもとても嬉しいです。 応援してくださっていた全ての皆様!ありがとうございます。
久しぶりに聴きかえしてみて、腕前、地声の高さ、全身のお肉、いろいろ落ちてて冷や汗です。
本当にありがとうございます。
(南都)
“銀色の鳥になる”
たいしたピアニストでもなく、そんなにロマンチストでもなく、何も言わずにグループを去った最高にダサい男。あれから20年たった今、そんな大馬鹿野郎と顔を突き合わせて、笑いながら酒を酌み交わしてくれるさっちん、南都、本当に、本当にありがとう。
時を超えて蘇る。いや、死んでなんかいなかった。
rough laugh musicはずっとずっと鳴り続けていた。
きっと、このメッセージを読んでいるあなたの中でも。
神様!僕らは走ってゆく 明日のずっと向こう側まで
お前が風を追い越すたびに 僕らは 銀色の鳥になる
やっぱりロマンチストか
(かとうまさあき)