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周年を迎える日本海東縁で起きた2つの地震 警報の迅速化に繋がった甚大な津波の教訓

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:Fujifotos/アフロ)

日本海の海底で起きた日本海中部地震

 1983年5月26日11時59分に秋田県沖の深さ14kmでM7.7の日本海中部地震が発生しました。最大震度は、秋田県と青森県で震度5でした。ただし、当時は現在と違って震度観測点が圧倒的に少なかったので震度は小さめに評価されたと思われます。陸から余り離れていない海底下で起きた地震でしたから、地震発生後8分程度で津波が海岸を襲いました。

 この地震での犠牲者は104人で、うち100人が津波によるもので、その内訳は秋田県79人、青森県17人、北海道4人でした。揺れによる全壊棟数は924棟で、うち秋田県の被害が多く757件で、4人の方が家屋倒壊などで亡くなっています。また、地盤の液状化被害も多数報告されており、八郎潟の干拓堤防が損壊しました。長周期の揺れのためか、秋田県の石油タンクで火災が発生し、新潟県の石油タンクでも溢流がありました。これらの被害は、1964年新潟地震と共通するものです。この地震が起きた時期は、ホームビデオなどが普及し始めたときに重なります。このため、多くの動画が残されており、津波の映像も多く残されています。恥ずかしいことですが、私が、地震の怖さを実感した初めての地震でもありました。

甚大だった津波被害

 この地震では、気象庁から青森県、秋田県、山形県の沿岸に「オオツナミ」の津波警報が出されたのは地震発生から15分後でした。このため、津波到達に間に合わない場所もありました。当時は、日本海では津波が来ないと思っていた人が多かったことも災いしました。

 男鹿市の加茂青砂の海岸では、遠足で訪れていた合川南小学校の児童・教諭が津波に襲われ、児童13人が死亡しました。また、男鹿水族館では館長の機転で津波避難が呼びかけられたものの、観光客のスイス人女性が津波にさらわれて死亡し、多言語の避難呼びかけの大切さが教訓になりました。男鹿地区は現在、大潟半島・男鹿ジオパークにも認定されています。

 また、能代港では、火力発電所の建設用地のため埋め立て工事を行っていた作業員や潜水士など、35人が死亡しました。漁船の損壊など水産関係の被害も多く、漁業者や磯釣りをしていた人たちも亡くなっています。

東京の超高層ビルも揺れた

 私はこの地震が起きたときには、ゼネコンに勤めており原子力発電施設などの耐震研究に従事していました。オフィスがあったのは、かつての日比谷の入江を埋めた場所に建つ28階建の超高層ビルの27階でした。お昼休みをとろうとしたときに、ビルが徐々に揺れはじめ、窓際のブラインドが大きく揺れ続けました。初めて経験する揺れでビックリしましたが、震源が秋田・青森沖の日本海だと知り、さらに驚きました。震源から500kmも離れており、東京の震度は1にもならなかったのに、私の居たオフィスは大きく揺れました。これ以降、関東平野は長周期で揺れやすいこと、長周期で揺れやすい高層ビルは離れた大きな地震では要注意だということを学びました。

 その後、再び高層ビルの中で強い揺れを経験したのは2011年3月11日でした。東京青山の25階建ての超高層ビルの15階で長周期地震動に対する超高層ビルの課題について講義をしていたところ、揺れ始めました。その揺れは、40年前に比べ遥かに強いものでした。東日本大震災による長周期地震動でした。その後、震源から離れた場所での長周期地震動の問題がクローズアップされ、本年2月には長周期地震動階級を考慮した緊急地震速報がスタートしました。

10年後に再び日本海で発生した北海道南西沖地震

 日本海中部地震から10年後の1993年7月12日午後10時17分ごろに、北海道の西にある奥尻島の北側で、深さ34kmを震源とするM7.8の地震が発生しました。当時は奥尻島に震度観測点が無かったため、最大震度は北海道小樽市などの震度5でしたが、奥尻島の揺れは震度6だったと推定されています。

 震源域が奥尻島の直下だったため、地震発生後数分で津波が襲来しました。津波高は奥尻島の初松前地区で16.8 m、遡上高さは藻内地区で30mを超えました。日本海中部地震でも津波による犠牲者が出ていたことから、多くの島民が高台に避難しましたが、津波到達時間が10年前よりも早かったことが災いしました。その結果、230人の死者・行方不明者を出しました。全壊家屋数は601棟で、被害の多くは奥尻島で発生しました。津波で流出した家屋に加え、青苗地区では、津波火災によって多くの家屋が焼失しました。

津波警報の迅速化

 日本海中部地震では津波警報まで15分を要していましたが、情報の伝達方法の改善などで北海道南西沖地震では5分まで短縮されました。ですが、震源域直上にある奥尻島では、津波到達には間に合いませんでした。人命を守るためには、一刻も早く津波高と到達時間を伝え、避難を呼びかける必要があります。

 残念ながら、地震後に津波の高さや到達時間を予測するのでは時間がかかります。そこで、気象庁は、地震観測網を増強すると共に、多数の断層モデルに対して津波予測をした結果を事前にデータベース化しておき、地震後に即時推定した震源とマグニチュードから、適合する推定結果を検索して津波高や到達時間を推定する方法を編み出しました。計算に用いた断層モデルと実際の地震の断層モデルには差があるので、誤差はありますが、地震発生後2~3分で津波警報等を発表することが可能になりました。

日本海東縁ひずみ集中帯

 日本海中部地震や北海道南西沖地震などを受け、日本海東縁ひずみ集中帯の存在が指摘されるようになりました。これは、日本海の東縁を南北に延びる歪みの集中帯で、日本海側のユーラシアプレートと日本列島側の北アメリカプレートが衝突する場所だと考えられています。この地域では、戦後だけでも、1964年男鹿半島沖地震(M6.9)、新潟地震(M7.5)、日本海中部地震 (M7.7)、北海道南西沖地震(M7.8)、2007年新潟県中越沖地震(M6.8)、2019年山形県沖地震(M6.7)などが発生しています。これらの地震は、震源域が陸地に近く海底が浅いため、地震発生直後に高い津波が沿岸に押し寄せる可能性がありますから注意が必要です。

 日本海東縁ひずみ集中帯の西側には、新潟-神戸ひずみ集中帯の存在も指摘されています。この地域では1995年兵庫県南部地震や2007年能登半島沖地震が発生しています。群発地震が続いている能登半島先端にも、近くに海底活断層がありますので、気を付けておきたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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