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【PC遠隔操作事件】「なぜこのような事件を起こしたか自分でも分からない」(第12回公判傍聴メモ)

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

7月9日に行われた第12回公判では、片山祐輔被告が犯罪予告を書き込む際にパソコンを踏み台とされ、大阪府警に誤認逮捕された男性Aさんと、横浜CSRF事件で襲撃予告の対象となった小学校の校長が検察側証人として証言。片山被告に厳しい処罰を求めた。その後、被告人質問が行われた。片山被告は、「犯罪に走るような悩みがあったわけでもなく、趣味も持っていたのに、自分でもなんでやっちゃったのか分からない」と述べた。

「30年くらい刑務所に入っていて欲しい」

Aさんの証言は、遮蔽されて傍聴席からは見えない中で行われた。その証言要旨は次の通り。

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警察の取り調べは、一昨年8月1日に始まった。捜査が始まってからは、仕事ができなくなった。捜査には協力したが、同月26日に逮捕。大阪市のホームページへの殺人予告は、実名で書き込まれたため、知人の中に自分をよく思っていない人がいるのではないか、と思った。周囲の人は、自分を信じてくれていたが、その反面犯人捜しをせざるを得ず、人間関係が破壊しかねない状況に陥った。

自分の仕事仲間や関わった作品を好きでいてくれる人の心を傷つけるわけにはいかないと思い、否認を貫いた。もし有罪になっても、否認し続ければ分かってくれる人は分かってくれるだろうと思った。検事調べの時には、「君は否認しているけど、周りの状況は真っ黒だ」と言われた。取り調べが始まって10日ほどして、JAL脅迫の事件もほのめかされた。これで再逮捕されて、東京の警察に移動させられると聞いていたので、東京の弁護士を探してもらった。弁護士をもう1人頼むとなると、どれだけ費用がかかるのか、有罪になった場合にどれだけ賠償金を要求されるのか気になった。

起訴後、保釈の請求もしたが、認められなかった。否認していると保釈は認められないと聞いた。保釈を許されない理由として、「証拠隠滅のおそれがある」と書いてあった。私はPCに詳しくないし、証拠品は全部(警察に)もっていかれていた。証拠隠滅できる方法なんてあるのか…と考えていた。

私が関わっていた映画の制作中止が検討されたこともあった。そうなったら、損害賠償が来るのではないかと心配した。9月21日に釈放されたが、その年いっぱい仕事はできなかった。私が関わった作品のイメージも損なわれた。

犯行予告は卑劣だが、それを他人になりすましてやることは、二重にたちが悪い。しかも、(片山被告は)逮捕されてからも、誤認逮捕者の皮を被って否認し続けた。最後も、言い訳ができないから「やりました」と行っただけで反省の色が見られない。私の弁護士を通して、(片山被告側に)賠償をする気持ちがあるのか確認してもらったが、金がないうえ、被害者が多いので(賠償は)考えていなかった。私の場合、捜査機関にも問題があるが、片山被告の側がそれを主張するのは筋違いだ。

やったことに責任はきっちりとっていただきたい。私の気持ちとしては、一生(刑務所の中に)入っていただきたいが、それは難しそうなので、30年ぐらいは入って反省して欲しい。

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「否認しているから証拠隠滅するとは思わないで欲しい」

最後に、「他に言いたいことは?」と検察官から尋ねられたAさんは、こう語った。

「私みたいな、本当に間違って入れられている否認者もいると思うんで、否認者が苦しくなるような、苦しい立場になるようなことはやめて欲しいな、と。否認している人は、往生際が悪いとか、保釈すると証拠隠滅するとか、思わないで欲しい

裁判官の前で証言するからには、どうしてもこれだけは言いたかったのだろう。

被告は考えて欲しい、と

児童の殺害予告がなされた横浜市内の小学校校長の証言要旨は次の通り。

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平成24年6月29日に警察の生活安全課から話を聞いた。いたずらではないかと思ったが、万一本当だったら子どもの命に関わることなので、すぐに対応しなければ、と思った。職員や子どもが殺害された大阪・池田小学校の事件が思い浮かんだ。その時点で校内に残っている子どもは、家庭に連絡して迎えに来ていただけるうちは迎えに来てもらい、連絡がつかないうちの子どもは、職員総出で送り届けた。

次の日は、オープンスクールを予定しており、授業参観を行うことになっていたが、職員と協議して中止した。保護者には緊急メールで連絡した。夏休みまで3週間ほどあったので、長期にわたる安全対策を考えなければならなくなった。朝、西門東門で子どもを出迎える教職員を1人ずつ増やし、通学路にも立つことにした。地域の方に、校舎内外のパトロールを、警察にもパトロールの強化をお願いした。

7月1日に犯人とされた男性が逮捕されたと連絡を受けたが、地域のパトロールや教職員の朝の立哨活動は1週間続けた。新聞や週刊誌などの報道の取材への対応もあり、心労が重なった。

今回のことで、子どもや保護者に不安を与え、地域や学校関係者にたくさんの迷惑をかけた。なぜ本校が殺害予告の対象になったのか、訳を知りたい。(片山被告は)たくさんの人に影響を与えたことを、深く考えて欲しい。法に照らして厳しい処分を求める。

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片山被告は、時々目をパチパチしながら、メモを取ることもなく、じっと2人の証言を聞いていた。

前科や服役経験は生きなかったのか

続いて行われた被告人質問では、佐藤博史主任弁護人が尋ねる問いに答えた。

――あなたには前科があるが、それは、1)仙台市内の小学生と両親を脅迫 2)X社がのまねこキャラクターを発売したことに因縁を付けて、社長夫妻の自宅を放火する、社長夫人の顔に濃硫酸をかけるなどと脅す書き込みをし、さらにX社社長の指示であったような書き込みをした、というもの。

はい。

――起訴された書き込み以外に何かやったか

江東区の小学校をランダムに選んで襲撃するぞ、という書き込みをした。捜査は行われ、引き当たりにも連れていかれたが、情状送致で起訴にならなかった。特定の小学校を名指ししたのではないので、ということだった。

――どのような気持ちで書き込みしたのか。

いろいろな意味でむしゃくしゃしていた。大学を中退して専門学校に入ったが、特に展望があるわけではなく、友だちもいない、アルバイトをしても怒られてばかり。自分は社会不適合者だと思った。かといって、いつまでも学生ではいられない。社会人にならなければならない日は近づいてくる。

”祭”と”燃料投下”

――誰かにうらみがあったわけではないのか。

うらみはない。(仙台事件は)小学校のサイトを見てみつけた。

――のまねこ事件は?

のまねこ問題で、祭状態になって、いろんな書き込みがあった。そこに「燃料投下」と言われる行為をした。祭をさらに大きくしてやろうという気持ちです。

――本件でも「燃料投下」を言える行為があったか

一連の事件では、10月に遠隔操作だと言われ始めたところに、(犯行声明の)メールを送った。

――本件では踏み台にされた被害者がいるし、脅迫された人たちもいる。被害を受ける人のことを想像しなかったのか。

想像はした。想像して楽しんでいた。自分が異常者だ、サイコパスだと思うのは、そういうところ。

――前回の事件で、今のような行為をすれば逮捕されると分からなかったのか。

バレれば逮捕されるけど、捕まらないと思っていた。逮捕されることは、想定してない。

警察への恨み

――前回、逮捕されたのはなぜか。

仙台の件で、宮城県警に特定された。ナイフの通販サイトのリンクを入れておいたが、それと小学校のホームページの両方を見ていたのは、うちのパソコンだというので、家宅捜索が入った。痕跡を消したつもりだったが、バックアップファイルからキャッシュやら下書きメモのファイルが見つかった。

――その時期は?

捜索を受けたのは、2005年10月19日です。

――決め手になったのは

メモのタイムスタンプが送信日時より前だった。

――それに基づいて逮捕され、仙台に連れて行かれた

はい

――事実を認めたのはいつか

最初の弁解録取の時。

――観念して、事実は全部認めた

はい。

――警察は、今回もあなたは簡単に事実を認めると思っていたのではないか。

私としては、これほど大きいことをしてしまったので、絶対に認めるわけにはいかないと思って、頑強に否認した。

画像

――今回、警察が来るんではないかと想定したのはいつか。

江の島の件で1月5日か6日に、絵の島中に最新型の防犯カメラが設置されていて、犯人が映り込んでいるかもしれないと報道された。テレビでも「猫に首輪をつけたと思われる場所を見下ろすところにカメラがあります」とやっていて、それを見て青くなって、「やばい、やばい、やばい…」となった。それから、警察がきた時の想定問答集を自分の頭の中で作り上げていった。逮捕の前に任意の事情聴取があると思い、逮捕されないための言い訳を考えた。

――前回の捜査で印象に残っていることは。

10月に逮捕され、11月に警視庁赤坂署に移送された。新幹線で移送されたが、ホームに大量のマスコミが待っていて、カメラを向けられ、さらしものにされた。乗っている便まで分かっているのは、警察のリークだろうと、警察に怒りを感じた。

――この時の裁判は?

1月に保釈されて、裁判の1回目で罪状認否、2回目に両親の情状証言があり、被告人質問、求刑と弁論があって結審。3月27日に判決公判があった。

――検察の求刑は?

3年6月。

――それについての検察側の意見は?

施設内での処遇を求める、とあった。

――実刑を求める意思表示だが、あなたはどうなると思っていたか。

執行猶予がつくと思っていた。

――判決は?

1年6月の実刑だった。

――控訴しなかったのはなぜか。

弁護士から控訴しても執行猶予がつく可能性は低いと言われた。両親からも、「長引かせるより早く服役した方がいい、(控訴審の)弁護士費用は出さない」と言われた。

――できれば控訴したかったが断念した。

はい。

裁判所への”裏切られ感”

――前回裁判官から言われたことで覚えていることはあるか。

第2回公判の被告人質問で自分の抱えている悩みを言ったら、私は励ますように、「君は何でもできるんだよ」と言ってくれた。よい教師に励まされるような感じだった。にもかかわらず実刑だったので、裏切られたと思った。その後刑務所で筆舌に尽くしがたい目に遭ったが、判決で「被告人の病状を考慮して」と言っていたが、病状を考慮するなら執行猶予しかない。裁判官は刑務所がどういう所か知っているのかと、裁判官を恨む気持ちになった。

――猶予判決を受けていたらどうなったか。

矛盾するようですが、人付き合いが全然できない状態で、アルバイトもできない、社会不適合者と悩んでいた。就職しても、その辺が治らないままなので、(執行猶予判決でも)立ち直れたかどうか分からない。

――そこは服役して改善した。

はい。人付き合い、処世術、友だちを作る方法などはかなり身についた。表面的かもしれないが、(刑務所で)おおむね社会性は身についたと思う。 

――平成16年1月22日から3月15日までS病院に通っていたが、診断名は?

鬱病。

――S医師は回避性人格障害の疑いがある社会的引きこもりとしているが、そう診断されたことは?

ないです。

――S医師は3000人の患者を診ているということだが、診察時間は?

5~10分。

――保釈されてから、S病院に行ったか?

はい。1月末に

――S医師の態度はどうだったか

前とは態度がガラッと変わり、冷たい、迷惑そうな、精神科医が患者に対応する態度とは思えない態度だった。診断書も書き殴ったような悪筆で、問い合わせをしないと内容が分からない。迷惑な存在として見られているんだな、と思った

――心の病から事件を起こした人を温かく見守ってくれる様子はなかった。

全然感じられない。厄介払いをしたそうな雰囲気を感じた。

――S先生の調書によれば、あなたは小中学校から学校には居場所がなく、友だちがいない。中学受験で燃え尽きた。授業はおもしろくないが、ネットでは尊敬され友だちもいる、と。

尊敬されていたかはともかく、ネットゲームでは友だちがいた。いつもゲームの世界で一緒に遊んでいる人がいた。

――そういう人と会うことは?

ないです。

――ネット上のつきあいだけでも、親しい友だちと思っていた。

はい。

――そういう人に服役のことは言ったのか。

多くの仲間には目の病気でログインできなかったと言った。特に仲の良い友だちには、(事実を)伝えていた。(判決前に)「万が一実刑になるかも」と言っていて、IDとパスワードをその人に預けて、「いない間、アカウントを維持して下さい」と頼んでいた。

――維持されていたのか。

維持されていた。仲間と合流したら「おかえり」と言われた。

――ゲーム仲間とはその後どうなったか。

2年くらい楽しく遊んだが、所詮ゲームで、だんだん飽きてログインしなくなり、(関係も)消滅した。

――現実世界でも楽しみ見つけたか

社会性が身についてきて、就職してからは仲の良い同僚もできて、結構社交性がある法だと思われていた。

――前科の頃のあなたの精神状態は、現実世界に居場所がなかった。

そうです。

――両親は、そういうあなたの状況に気づいていたか。

母は気づいていた。

――お父さんは5年前になくなった。両親はどんな人か

父はやさしい。厳しいところもあるが、私の考えを理解してくれていた。母はヒステリックで父より厳しい。

――あなたはお父さんのことは尊敬していた

はい

いじめ、孤立、劣等感

――弟についてはどうか。

幼少の頃から、弟の周りには友だちがいっぱいいて、楽しそうで充実していた。自分は孤立していじめられていたので、この落差は何だろうとずっと思っていた。

中学3年の時、弟が同じ中学に入ってきた。すごくイヤだった。いじめられている兄を見られるのがすごくイヤで、落ち込んだ。

――弟は有名私大を卒業し、若くして起業して、結婚し、子どももいる。

そう。順調な人生です。自分はいろんな所でつまずき、前科もある。すべての面で劣等感があった。

――中学受験はどうだったか。

最初の挫折だった。志望校に合格できなかった。3,4,5,6年と遊ぶ間もなくやったのに。(進学したのは)第3志望だった。

――お母さんの話では、弟さんも志望校に入れなかったが、けろっとしていた。あなたは、大泣きして絶望の極致で中学に進んだ、と

はい。

――中学でもいじめにあった

はい。入学した月から、物を隠されたりするようになった。

――水泳部に入部した

はい。練習参加は多い方だったが、適性がないのか、記録は伸びず、2年生になっても後輩から自分だけが呼び捨てにされ、ため口をきかれる。なめられている状態で、苦痛だった。

――教師の対応は?

「お前は何を考えているか分からない」と言われた。自分の感情をうまく表現できなかった。どういう時、どういう顔をしたらいいのか分からなかった。それを「何を考えているか分からない」と突き放された。

――それでネットやゲームに熱中し、成績は落ちた。

はい。高校にエスカレーターで進学できるかどうか危ない域まで落ちた。

――かろうじて進学できた。

はい

――その頃、ネット上でいたずらをしたことがあったか。

そういえば、掲示板荒らしを中学の頃からやっていた。

――大学受験は

第3志望になんとかひっかかった。

――同級生は?

学年の7割はエスカレーターで進学したが、その条件を満たせる成績ではなかったので、他大学を受験せざるをえなかった。

――T大学に進学した。

はい。IT革命と呼ばれ始めた頃で、コンピュータ関係の学科が新設された。

――大学生活は?

友だちを作ることができず、やはり孤立して楽しいものではなかった。

2ちゃんねるとの出会い

――その頃、何をしていた?

大学に入った年に2ちゃんねるを知って、たちまちはまって、2ちゃんねらーになった。

――どこが魅力だった?

汚い過激な言葉が飛び交う半面、有用な情報もあり、おもしろい。

――その頃印象に残る事件はあるか

高校3年生の時に西鉄バスジャック事件。大学の時に、池田小事件やアメリカの9.11テロがあった。

――2ちゃんねるでは祭などもあった

そうです。その祭をずっと寝ないで見ていたり書き込んだりしていた。

――そういう中で、問題も起きた

私が故人の掲示板を2ちゃんねるのノリで荒らしていたら、管理者からの苦情で、当時加入していたプロバイダーから注意され、「もうしません」と内容証明を出した。

――大学の時に精神科に通った

はい。S先生の病院です

――半年休学した

はい。

――中退したのはなぜか。

丸々4年行ったが、2年分の単位しかとれていない。残りは、主にグループの課題で、レポートも先生は「好きな人とグループを組んで」と投げっぱなし。組む人がいないので、このままいても単位が取れない。

――中退して専門学校に行った。

はい。

――服役中にイヤな思いをした、と言っていたが。

はい。東京拘置所で待機したあと川越少年刑務所に行って、入り口の8週間で分類・新入訓練があった。この8週間に、刑務官から目を付けられ、他の受刑者からいじめられた。最初の刑務官はサカモトという。『フルメタル・ジャケット』という映画に出てくる、ハートマン軍曹そのままの人。自分が目を付けられた。映画のハートマン軍曹とスノーボールとの関係そのままで、うまくは言えないが、やたら目を付けられ怒鳴られた。その8週間がこのまま続くなら死んだ方がましだ、と思った。映画では、スノーボールは狂って、相手を撃ち殺して自分も死ぬ。このままなら、自分も狂って死ぬのかな、と思った。

その後工場に配役になる、そこでの刑務官が信頼に足りる人物だったので、社会性を身につけられたが、川越の最初の8週間で受けた心の傷は今も残っている。

――刑務所の中で出所後のことで誘われたことがあったか。

はい。刑務所の中で悪巧みをしている人たちがいて、「パソコン詳しいみたいだから、出たら出会い系サイトしないか」「ネットでシャブ売りたいんだけど」などという話があった。トラブルにならないよう、丁重に断った。

――両親は面会には来たか。

母は最初は月2回、その後等級が上がって3回になったが、すべて来てくれた。父も時々休みを取ってきてくれた。

――平成19年6月に仮出所した。

はい。

――どういう気持ちだったか

2週間、釈放班で講習を受けた。その講習の中で、君たちは仮釈放が認められているが、その40~45%は(刑務所に)戻ってきてしまう、と聞いた。まさか自分がその中に入るとは思わず、当然、まともな人間になるんだと思っていた。

服役後の再出発

――平成20年2月に甲社に就職した。

はい。

――苦労はあったか。

会社の雰囲気はよかったが、営業力が弱く、下請けの下請けで常に三重派遣の仕事だった。

――甲社の社長は、あなたのことをかなり買ってくれたのではないか。

はい。いい社長で、簡単に人を切り捨てるようなことはしない。

――同僚とのつきあいは?

よくつきあう方。社交的な方で、いろんなやつとつきあえると思われていた。

――本当の人付き合いができたのか。

分からない。自分の醜い面を隠し、あいつは明るくていいやつと思われるような仮面をかぶっていた。まさかあの片山がこんな陰湿な事件を起こすとは、誰も思わなかっただろう。

――秋葉原の無差別事件が起きた時に、現場に行ったのか。

報道を見て、すぐ自転車で現場に行った。

――犯人の加藤とあなたの共通点は?

昭和57年生まれ

――同じ年代の人の事件はほかにもある

いわゆるサカキバラ世代で、切れる世代と言われた世代そのもの。2ちゃんねんるの少年が起こした西鉄バスジャック事件。土浦の連続殺人。栃木の(勝俣たくやの)事件も

なぜか、世間を騒がす大きい事件を起こすのが、この世代に集中している。

――平成12年に同期は「人を殺してみたかった」といった豊川の殺人事件もあった。少年時代に母親を殺し、その後大阪で姉妹を殺した山地悠紀夫も同じ年代。

そういう事件に共感はしないですけど、なぜ自分と同じ年代に集中するんだろう、と思う。自分の中にも異常なものがあるのは分かっていて、その世代であることと因果関係があるのかな、とも思う。

世代へのこだわり

――秋葉原事件では警察の取り調べも受けた

事件は6月8日に起きた。たまたま事件を推測するような書き込みをしてしまった。「秋葉原でこういうやつがあばれるんじゃないか」と。ものすごい偶然が的中してしまった。書き込みの意味の説明と加藤との関係を聞かれて、調書がとられた。警察官は軽犯罪法違反になるかもと言って帰って、しばらくそのままになっていたが、1年後に警察から連絡がきて、万世橋署に呼ばれて、すごく怒られた。警察に送致はしないけど、もうしませんと約束させられた。「今度こんなことをしたら、お前のうちにガサに入ってガチャガチャにしてやるぞ」と言われた。そのセリフは、ラストメッセージの中に書いた。

――甲社の派遣先ではイヤな思いをしたか。

はい。いくつもある。Mさんと一緒に会社に派遣されたが、あの人の仕事の不出来のとばっちりですごく怒られた。同じ会社の人と思われ、とばっちりで僕が送られる。

――あなたから見ると、Mさんは仕事が少し劣る。

少しどころか何もできない。

――Mさんとの関係はよくなかった。

関係というものがあったかどうか…。

(事件の)前の年の年末にMさんは(派遣先の)乙社をクビになって以降は、乙社との関係はよかった。

――ストレスの解消はどうしていたか。

旅行に行ったり、バイクでツーリングをしたり、家でゲームをしていた。一連の事件もストレス解消の手段の1つだったと言えるかもしれない。

――他にもアウトドア的なことはしていたけれど、同時に事件もやっていた。

リアルで充実した趣味でストレスは解消できたのに、同じ時期にこういう事件を起こしてしまったのは、自分でもよく分からない。

――当時はリア充だった。

昔に比べれば、格段にリア充だった。

――平成24年6月29日の横浜CSRF事件の前に同じような事件を起こしていないか。

はい。実は、ネット上では話題になっているが、CSRF事件の少し前にはちま起稿のコメント欄に、任天堂を襲撃するとCSRFの手法で他人に書き込ませた。これは事件にはなっていない。

――今の不安は?

刑務所の中のこともですが、出所後にどう生きていくのか。ただのムショ帰りだけではなく、有名になり過ぎちゃって、こういう自分を誰が雇ってくれるのか…

――あなたのネットの知識を暴力団が金稼ぎに使わせてくれという可能性は。

ありうる。

家族のことを考えれば、犯罪には一切関わりたくないが、そういう誘惑がくること自体、怖い。誰も雇ってくれないと、そういう人に頼らざるをえなくなるのが怖い。

――我々は精神鑑定を求めているが、検察側はS医師やM医師の診断書もあり、早く結論を出して服役した方がよいと言っている。

早く社会復帰したいのはその通りだが、私自身がよく分からない。なんでやっちゃったのか、自分でも説明ができない。悩みはあったが、社会人としてある悩みで、犯罪に走らせる悩みではない。趣味も持っていた。にもかかわらず、なんでやっちゃったのか、自分でも分からない。それを解明して欲しいと望む。

――あなたがやったことは金銭的に得るものは何もない。

はい。

――なのに、自分のベストを尽くしてやっちゃった。

はい。

――その訳を解明したうえで服役したい、と。

はい。

*   *   *   *   *   *   *

検察側は、訴因変更を請求。これまで特定していなかった犯行場所を、派遣先の乙社、被告人の自宅、と特定した。さらに、「追起訴の予定はない」と明言。”真犯人メール”騒動で収監された後に取り調べを行ったが、ウイルス作成罪での起訴は見送った。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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