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他国の文化で行うサッカーの育成強化  井上卓也シンガポールU-18代表監督インタビュー

平野貴也スポーツライター
千葉や大宮で指導経歴がある、U-18シンガポール代表の井上卓也監督【著者撮影】

 イビチャ・オシムが率いたジェフユナイテッド市原・千葉(2005、2006年)、ズデンコ・ベルデニックが立て直した大宮アルディージャ(2012年~13年)、Jリーグで2つのチームの躍進を支えた男が、東南アジアで厳しい戦いに直面している。U-18シンガポール代表監督、井上卓也だ。日本では、コーチとして、千葉で2005、06年にナビスコ杯連覇、大宮で21試合無敗のJ1新記録樹立に貢献した。大宮で育成年代の指導に移った後、2015年から現職に就き、未来のシンガポール代表の育成にあたっている。しかし、国際大会ではなかなか思うような成績が出せないと苦しんでいる。海外での代表強化、育成指導には、どのような難しさがあるのか。当地で話を聞いた(取材日:9月4日)。

(※インタビューの内容は前編、後編に分けて掲載)

――シンガポールでの挑戦は4年目が終わろうとしていますが、まず井上さんが担っている役割と、ここまでの手ごたえを教えていただけますか

井上  メインの役割は、選手の育成です。上のカテゴリーにつながる選手、最終的にA代表となる選手の育成と、育成年代の国際大会を勝つことが目標です。私は、シンガポールサッカー協会(FAS)が指導している17~19歳のチームを担当していて、当該カテゴリーの代表監督も務めています。今年は、FASアカデミーU-18のチームと代表で監督をしています。18、19歳で指導した選手が、U-23カテゴリーのヤング・ライオンズというチームに所属してシンガポール・プレミアリーグに出場しているので、時間があれば視察に行っています。先発選手の8割程度は、指導した選手です。次のカテゴリーに進んで主力になっている選手がいるという部分で、ある程度の仕事はできているという自負はあります。でも、それはシステム的に当然という見方もできます。個人的には、代表チームでも目に見える結果を残したいと思って契約を延長して取り組んで来たのですが、こちらは良い結果を出せていません。

――代表チームにおける、これまでの戦績と内容をどう捉えているか教えて下さい

井上  就任1年目の2015年は、U-18で臨んだAFF(東南アジアサッカー連盟)選手権のグループリーグで最下位でしたが、同年9月のAFC(アジアサッカー連盟)U-19一次予選では、韓国と良い勝負ができました。2016年のAFF選手権も開催国ベトナムやマレーシアと良い試合ができ、頑張れば何とかなるのではないかという手応えがありました。昨年は、代表監督としての活動がありませんでしたけど、代表チームで結果を出したいと思って契約を延長しました。そして今年、U-19のAFF選手権にアシスタントコーチとして参加しました。教えているU-18の選手が大半です。初戦のフィリピン戦でアディショナルタイムに失点して引き分け、つまずきました。2試合目は、ホスト国のインドネシアと良い勝負をしていましたが、主将が負傷交代してすぐに崩れました。リーダー不在になった後の試合は、大敗。1学年下が多い編成であるとかは関係なく、自分にはこの程度の結果しか出せないのかと落胆しました。

――1学年下の選手で戦ったという部分が気になりますが、先に目標レベルを確認させて下さい。日本の場合、U-20、U-17ともにトップチーム同様にワールドカップ出場と、その先の上位進出が目標です。シンガポールの目標設定は、どの辺りですか

井上  育成年代は、U-23世代が参加する東南アジア競技大会(五輪やアジア大会に似た、東南アジア版の総合スポーツ大会、通称SEAゲームズ。2年毎に行われる)の注目度が高いため、シンガポールサッカー協会では、SEAゲームを見越して、先ほど説明したU-23のヤング・ライオンズを編成しています。フル代表は、東南アジアサッカー選手権(AFFスズキカップ)が目標ですが、2012年を最後に優勝から遠のいています。以前は何度か優勝していて、東南アジアのけん引役としての意識が高かったようですが、現状では過去の遺産となり、追われる立場から追う立場に変わっています。シンガポール国内では「なぜ、勝てなくなったのか」という見方をされていますが、他国のサッカー強化の力の入れ方を見れば、むしろ自然な流れだと思います。

――日本の年代別代表の試合を見ていても、他の東南アジア勢が力を付けてきていることは明らかですね

井上  シンガポールでU-18代表監督になり、東南アジアの各国に行って試合をするようになり、東南アジアから日本がどのような目線で見られているかという点は、新たに感じるところがありました。日本はすごく上位に置かれて、目標にされています。しかし、目標にしているということは、いつか食ってやろうと思っているということです。アンダーカテゴリーを見ていると、タイやベトナムは、だいぶ近付いていると思います。そういう部分が具体的に見えてきたのは、個人的に良かったと思っています。日本は、まだ東南アジアには勝って当然だと下に見ている人が多いと思いますが、もう、それほど下ではないでしょう。足下まで近付いていて、足に手をかけようとしていると思います。あとは、実際に対戦した時に、まだまだ遠いなと思わされるか、もう少しで届くと思われるか。後者なら、東南アジアは次のステップに進むでしょうね。日本にとっても、いつまでも余裕で勝つより、追いつかれた中で切磋琢磨する方が、長い目で見たら良いかもしれませんが。

――当然、シンガポールもその流れに乗っていきたいところだと思いますが、先ほどの、U-19代表チームに1学年下の選手が多かったというのは、どういう背景があるのですか

井上  シンガポールでは、早ければ17歳から、多くは19歳以上からですが、ナショナルサービス(2年間の兵役義務)に参加する選手が増えるので、代表活動を含めて練習などに参加できないことが多くなります。AFF(東南アジアサッカー連盟)選手権に臨んだU-19代表は、19歳が9名、18歳が11名、17歳が3名の構成でした。U-23カテゴリーのヤング・ライオンズも離脱する選手が多いので、本来はリーグ戦の登録数が25名のところを35名まで登録可能としていますが、それでも選手が不足するケースがあります。

――世代別代表が1学年下で戦うのは、かなり厳しいです。それにしても、兵役は、育成事情に大きく影響しますね

井上  この夏、シンガポールのサッカー界で話題になったのは、ベンジャミン・デイビスという18歳の選手です。昨年からイングランドのフルハムのアカデミーに入っていて、トップチームではなく、若手のチームではありますが、欧州で契約をしました。しかし、ナショナルサービス(兵役)が問題になりました。イングランド出身のお父さんが兵役の免除や長期延長を求めて働きかけましたが、認められませんでした。お母さんはタイ国籍で、彼は国籍を変えることもできます。シンガポールでは、兵役を拒否すると多額の罰金など大きなペナルティがあります。フルハムとの契約を辞めて入隊するか、国籍を捨ててサッカーを選ぶかという厳しい選択ですが、例えば国籍を変えてしまった場合は、お父さんのシンガポールでの仕事に影響が出る可能性もあるようで、かなり難しい問題です。

――文化の違いは受け入れるしかないと思いますが、対処法の難しい問題ですね

井上  外国では、難しい問題に、いろいろとぶつかります。ただ、自分の知らないことを知ることができるので、プラスにしていきたいと考えています。すべてが同じままでは面白くありませんし、成長もしませんからね。シンガポールの場合、生活面は日本とさほど変わりませんし、そこまで苦労しているとは思っていませんけどね。

――選手は、マレー系が多いとのことですが、多民族国家の難しさは、どのようなところに感じますか

シンガポールは、マレー系の選手が多く、日本にはないラマダン(断食)などイスラム教の習慣がある【著者撮影】
シンガポールは、マレー系の選手が多く、日本にはないラマダン(断食)などイスラム教の習慣がある【著者撮影】

井上  4つの公用語(英語、マレー語、中国語、タミル語)があるように、多民族国家で各宗教を尊重し、祝日も違います。人口では中華系が最も多く、マレー系、インド系が続きます。サッカー選手はマレー系が8割方を占める為、イスラム教の祝日や風習などは無視できません。ラマダン(断食)の時期は、日中に水分も取らないので、運動に適しません。日が暮れてから軽い食事をするので、トレーニングはそれからになります。やはり時間・強度も配慮します。今でこそ慣れましたけど、自分が経験していないことなので、練習頻度やどの強度でやって良いのかが最初は分かりませんでした。断食の影響は、顕著に出ます。試合では足のけいれんが起こりやすくなります。

――2014年のアジア大会では、ヨルダン女子代表を率いた沖山雅彦監督が「女子は体育の授業がなく、運動能力が低い」という話をしていましたが(別記事参照)、基本的な運動能力はどうでしょうか

井上  育成の最終段階となる17~19歳を見ていますが、一番気になるのは、技術的な面に関して、より若い年齢からの積み上げが少ないところです。チーム強化というより、最後の帳尻合わせみたいになってしまうところが、難しいですね。基本的な運動能力も欠けています。シンガポールリーグは、昨年まで2400メートル走で9分30秒を切ることを出場資格に採用していました。サテライトリーグにあたるU-21のプライムリーグで9分45秒です。スポーツ選手なら楽にクリアできる設定ですが、このタイムを1年間達成することができず、1試合も出られなかった選手が過去にはいました。全体的に、持久力はかなり足りていないと感じています。協会としても昨年から(運動能力を計測する)ラボテスト等も採用して改善に取り組んでいるところです。私は現場でできるところで結果を出そうとしていますが、やはり簡単ではありませんね。

後編に続く

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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