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バドミントン女子複「フクヒロ」ペア解消会見、最後に見えた気遣い

平野貴也スポーツライター
ペア解消を発表した福島(左)と廣田。涙が多かったが、終盤は笑顔も【筆者撮影】

 バドミントン女子ダブルスの福島由紀/廣田彩花(岐阜Bluvic)が9月13日、活動拠点とする岐阜県岐阜市の丸杉アリーナで記者会見に臨み、ペア解消を正式に発表した。

「フクヒロ」の愛称で知られる2人は、元世界ランク1位。横並びの陣形で、鉄壁の守備を誇るペアだった。2021年の東京五輪は、大会直前に右ひざを負傷した廣田がプロテクターを装着したままプレーする厳しい状況で臨み、ベスト8入りを果たす意地を見せた。24年パリ五輪を目指してペアを継続していたが、出場権獲得レース終盤の23年12月に廣田が左ひざを負傷。年明けの3月に復帰して強行出場を続けたが、五輪の出場権は獲得できなかった。

 レース最終戦だった4月のアジア選手権では、福島が「私たちが国際大会に出るのは最後になる可能性もある」とペア解消の可能性に言及していた。五輪メダルへの再挑戦を集大成の場と決めていた2人にとって、パリ五輪後のペア解消は既定路線ではあったが、福島が所属していたルネサスに廣田が入社した2013年から12年も続き、世界の最前線でともに激闘を潜り抜けてきた間柄。記者会見では、互いに思い出を語って涙を流した。また、その中で、ともにパートナーへの気遣いを示した場面があったのが印象的だった。

経緯を説明したのは、ペア解消の話を切り出した福島

 会見の冒頭は、両選手から一言話す形で始まったのだが、最初にマイクを握った福島は「楽しいことも苦しいこともありましけど、廣田と12年間やれて、すごく良かったと今は思っています」と話すと、いきなり、しどろもどろになった。感情が高ぶっていた。「やっぱり、フクヒロは、いろいろな方に支えられてやってきたと思うので、それは言いたかったですし、ありがたい気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです」と続けたが、いきなり涙腺崩壊との戦いとなり、早くマイクを離そうと必死だった。

 一方、廣田は、冷静に話した。「福島/廣田は、ペアを解消することになりました」と事実を伝えるところから始まり「自分のケガがあり、迷惑をかけた部分も多かったですけど、ここまで一緒に戦ってもらったことに、ありがとうございますという気持ちでいっぱい。自分が続けてこられたのも、たくさんの温かい応援があったから。私に関わってくださった方のサポートがあったから。これからは、お互いに別々の道に進みますが、互いの今後を温かく見守って、応援していただけると嬉しいです」とパートナー、ペアを支えた人々へのメッセージを言葉にした。

 気持ちを抑えようと戸惑う福島と、事前に考えていたことを整理して話している様子の廣田。冒頭は、対照的だった。だが、質疑応答の一番目にペア解消の経緯を聞かれると、福島が迷わずマイクを握った。

「パリ五輪のレースが始まる前から、廣田とも話して、そのときに、パリまでというのは決めていました。まず、五輪が終わった時点で、どうしようかなというのは考えていましたし、自分の中で区切りをつけたいという思いがあったので、廣田に、ちゃんと区切りをつけようかという話をさせてもらいました」(福島)

 ペア継続を願うファンもいる。なぜ解消しなければならないのかと思う人の気持ちの矛先になるのは、自分でなければならないという責任感をまとったコメントだった。

廣田「モヤモヤした気持ちはスッキリ」

 続く廣田の言葉は、福島が示した責任感とセットだったように思う。

「ペアの解消にあたっては、自分も区切りとして、今後に向けてやっていくというところで、モヤモヤした気持ちはスッキリして、2人でまた進んでいけたらと思いました」(廣田)

 ペア解消は、長く12年もの間、一緒に戦ってきた2人で納得して決めたこと。解消を切り出された側の廣田がかわいそうだと思われるような受け取られ方になってはいけないという気持ちを含んでいるように聞こえた。

 会見の中で、2人はこれまでの歩みを振り返った。強気なプレーと言葉でペアを引っ張ってきた1学年上の福島と、自分に自信を持てない中で必死に食らいついた廣田。少しずつ相手を理解し、信頼関係を築いた「フクヒロ」ペアの関係性は、会見の言葉を聞くだけでも十分に理解できるものだった。ペア解消の経緯に触れる際の2人のコメントは、その中でも変わらぬ、引っ張ってきた先輩と、ついてきた後輩の関係の互いを思う気持ちが見え隠れしていた。

 仲違いのような話でないのは明らかだ。2人が所属する岐阜Bluvicは、4月に「丸杉女子バドミントン部」を分社化。実業団体制を脱却し、クラブチーム運営を始め、練習試合や部内対抗戦を公開し、選手のプレーを地元で見てもらう機会を増やしている。公式戦でなければペアを組むかと聞いてみると、福島は「そういう機会がいただければ、ぜひ、やらせてもらいたいです」と言って、ほほ笑んだ。

海外ファンも多かった、記憶に残る戦いを見せた「フクヒロ」

2020年には、全英オープンで初優勝。国際大会で活躍し、海外のファンも多かった【筆者撮影】
2020年には、全英オープンで初優勝。国際大会で活躍し、海外のファンも多かった【筆者撮影】

 ペア解消の経緯を説明した後は、これまでの大会を振り返った。2人が、うれしかった思い出として挙げたのは、2017年に初優勝した全日本総合選手権。追いかけていた2016年リオデジャネイロ五輪金メダルの高橋礼華/松友美佐紀を破っての戴冠。廣田は「勝ってうれし涙を流したのは、その試合だけかなと記憶にあります」と話した。

 福島が悔しかった思い出に挙げたのは、2017年から19年の世界選手権で3年連続の準優勝となり、あと一歩で世界の頂点に立てなかったことだった。特に18年、19年は日本の松本麻佑/永原和可那(北都銀行)との対戦で、どちらもマッチポイントを握り合う大激戦だった。

 勝った試合も、負けた試合も、フクヒロペアのプレーで思い浮かぶのは、苦しく、厳しい場面での尋常ではない粘り腰だ。東京五輪しかり、パリ五輪レースしかり。見る人の記憶に残る戦いを見せるペアだった。

 最後の国際大会となった4月のアジア選手権では、海外のファンからの応援も多かった。廣田は「海外の試合でも、フクヒロと呼んでくださる方がたくさんいて、ホームのように戦えましたし、試合をしながら嬉しいと思っていました」と国外のファンに向けても感謝のメッセージを送った。

 会見で注目されたのは、ペア解消の経緯と、2人の今後だ。ともに岐阜に拠点を置くことは変わらず、選手生活を続けるという。それぞれに、目標とするものが見えているはずで「それぞれに、どのようなモチベーション、目標意識で続けるのか」と聞いたが、福島は未定としか言わず、廣田もまずリハビリからの復帰を目指すと話すに留めた。福島は、会見の2日前に全日本社会人選手権の混合ダブルスを古賀輝(NTT東日本)とのペアで優勝。全日本総合選手権の出場権を得たが、出場するかどうかも明言しなかった。12年ともに歩いた道から、それぞれの新たな道へ。一つの大きな区切りをつけて、次の一歩を踏み出す。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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