「光る君へ」史実VSフィクション 藤原道兼のフィクション設定は大河ドラマをおもしろくしたか
6年経っても、まひろは母の死にこだわっていて……
紫式部の物語、大河ドラマ「光る君へ」(NHK)が初回早々、物議を引き起こしながら、1月14日(日)、第2回が放送された。
初回で話題になったのは、主人公・まひろ(吉高由里子)の母・ちやは(国仲涼子)が藤原道兼(玉置玲央)に殺されてしまったことだった。
これが史実かそうでないか、視聴者は興味を持った。母親が紫式部の幼い頃に亡くなっているという説から、脚本の大石静が、「まひろにとっては愛した人のお兄さんは、親の仇になる。そういう悲しい宿命を描こう」としたものだったが、史実として、当時の「穢」という観念を無視したかのような描写が気になるという声が専門家からあがった。
ただ、SNSをざっと見たとき、知識階級特有のきつい物言いが目立たなかった。マウンティングや上から目線で知識のない者たちをたしなめるような感じはなく、むしろ、物語を描くうえでの言い分も受け入れようとする寛容さが感じられた。
「穢」とはなにか、という学びがSNSで広がったことは、知的エンタメとしてすてきなことである。これには、主人公の紫式部が物語作家であることが大きいのではないか。物語を作ることを否定したら、紫式部の仕事を否定することにもなってしまう。
そして、専門家の指摘によって、歴史に詳しくない視聴者が平安時代を知る、この営みが今後も続いていくといいと願う。
さて、第2回「めぐりあい」で、道兼のちやは殺害問題をどう描くか。なんと、母の殺人事件から時間を大幅にすっ飛ばして、あれから6年が経過していた。だが、道兼問題はスルーされたわけではない。
成人の儀式を迎えたまひろは、父・為時(岸谷五朗)が母を病死と片付けて、その件について口を閉ざしていることにいまだ納得していない。そのせいで、尊敬する父を信じられなくなって、反抗心が募るばかりであった。
NHKの公式サイト内の「君かたり」で吉高は「一番尊敬する人だからこそ、諦めたくない譲りたくない部分があるだろうし、すごく好きな父を知っているからこそ、変わっていく父がいやだしもどかしい、自分の理想であってほしいという気持ちが強いんだと思いますね」と解釈を語っている。
母の死は、まひろと、道長、それぞれの運命を駆動する
大石静はどこまで確信犯として、初回を殺人で終わらせたのか。あくまで、史実にない殺人というショッキングな出来事だったのか。それとも「穢」の扱いをどうするのかまで考えてのことだったのか。わからないが、第2回を見ると、見事に物語を展開させるために機能している。それもふたつの重要な部分に関わりを作っていたのだ。
道兼のちやは殺害の物語の役割のひとつは、まひろの人格形成である。母が殺され、でも、その犯人を特定し罰することができない。穢という観念は、まひろも教わっているはずだ。つまり、まひろは、父を恨むのと同時に、世の中の規則を恨んだであろう。成人の儀式(裳着の儀)で、まひろが「人は儀式がなぜ好きか」とぶつくさ言っていた。昔ながらの決まり事に対する疑問は、作家としての萌芽のひとつであるだろう。
大石は「今回、私達『光る君へ』チームが描こうと思ったのは、紫式部がどういう生い立ちのなかで、男女の恋愛物語に、人生哲学と、権勢批判と、文学論のようなものをこめた奥深い文学作品を書ける作家に成長していったのかということでした」と語っている。
“哲学”と“権勢批判”の部分に、なぜ、愛する母が殺された罪を問うことよりも穢という観念を優先しないとならないのかと、若く純粋な心が思ってもおかしくはないであろう。
大人たちは観念に縛られているうえ、出世を大事に考えているから、この物語では身近に起こった穢を隠蔽した。
6年の後、兼家(段田安則)は道兼に円融天皇(坂東巳之助)を退位させるため体を弱らせるように仕向けよと命じる。
「なぜそのようなことを私に」と驚く道兼に「そのようなことを成すのがおまえの役割なのだ。おまえは家の名を穢した。高貴な者は自らの手で人を殺めぬ」と突きつける。兼家は、息子のしたことを影でこっそり始末していたのだ。
「おまえのおかげでわしの手も穢れたのだ」と、兼家は自らの穢も自覚しながら引き返せない道を進んでいる。名優・段田安則の、腹の中にはぐつぐつとマグマがたぎっているであろうに、あくまで冷静を装っている表情がぞくりとなった。
己の浅はかな行いゆえ、とんでもないことを任されてしまった道兼は、なぜ、このことを父が知ったのか考えたすえ、あの日、道長(柄本佑)に血に汚れた姿を見られた気がしたことを思い出す。
もともと、道長に意地悪かったから、これからますます意地悪していくのではないかと視聴者としては心配になった。こうして物語世界にずぶずぶとはまっていくのである。
ウソの功罪
道長はまひろと6年ぶりに再会。6年間、忘れられなかった相手であり、まひろのほうもまんざらではない。ここでまた、物語のうま味がある。「ウソ」である。
まひろは、幼少期、道長に自分は高貴な身分の者であると「ウソ」をついていた。再会したあとも、身分を偽っていることが気になってならない。自分のやっている代筆の仕事で、ウソは良くないことを実感したまひろは、道長に真実を話そうと思うが……。ことは簡単にいかず、ふたりはすれ違いのもどかしい運命をたどるのである。
父のウソを責めながら、自分もウソをついているまひろというのも、皮肉で面白い。やがて、彼女はウソを描く仕事――作家になるのだから。そして、彼女のウソが道長とまた出会ってしまうきっかけになる。
第2回の内容は、歴史や文学の専門家としてはどこが論点になるだろう。テレビドラマを見る専門家としては、この脚本は悪くない。
いよいよ、本役で、吉高由里子と柄本佑が登場した
吉高の目がきょろきょろと素早く動くのが紫式部の賢さを感じさせた。先述した「君かたり」で吉高はまひろのことを「15歳(第2回での年齢)には見えないほどものごとを多角的に見られる。感受性も豊かで、見落としてしまいそうな小さな幸せとかも不幸も敏感に気づいてしまう人なんだと思いました」と語っている。また、何重にも重ねた着物について、独特の感性で表現しているところも、紫式部を演じるに足る俳優だと感じさせた。
大河ドラマ「光る君へ」
【放送予定】2024年1月~12月
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか