「Bチーム」から目指す「プロ野球選手」:「トライアウトリーグ」という若者の夢の巣箱(後編)
「残念ながら選手契約には至りませんでしたが、本当にいい青年ですよ。うちの会社に欲しい人材でした」
滋賀ユナイテッド球団を立ち上げた元社長、鈴木信哉は井神のことをこう評する。実際インタビューしていても、彼からは浮ついた印象は全く感じられない。独立リーガーの若者の中には、時に、自己啓発のテキストから引っ張ってきたようなフレーズを連発し、自己肥大した夢を語る者もいるが、井神の地に足のついた話しぶりは、かえって彼の無謀ともとれる挑戦のストーリーを咀嚼することを妨げる。
夢をあきらめずオーストラリアへ
日本の独立リーグでの練習生という結果も、井神の夢追求の妨げになることはなかった。日本での失意のシーズンが終わると、井神は再び海を渡った。行き先はオーストラリア。 日本やアメリカとは季節が逆で、旅行者、在住者ともに日本人が多いこの国では、今や「体験型スポーツツーリズム」花盛りである。留学などを手掛けていた旅行代理店が、現地アマチュア野球リーグとコネクションをつくった上で野球をあきらめきれない若者たちに「オーストラリアリーグ挑戦」というパッケージを売り込んでいるのだ。
この国にはオーストラリアン・ベースボール・リーグ(ABL)というプロリーグがある。北半球と季節が逆であることを利用したいわゆるウィンターリーグであるこのリーグには、アメリカのマイナーリーガーなども参加する。地元選手はABLでプレーする一方、アマチュアクラブにも籍を置いていることが多く、時には練習や試合に顔を出すことは珍しくない。この日本とは全く違う野球事情のため、現地アマチュアリーグがプロリーグのファームのような印象を抱かせるが、このことは、アメリカを思わせる広々とした天然芝のフィールドと相まって、さまよえる「野球難民」の夢を増殖し、それを消費させようとする「エージェント」の客寄せのツールとなっている。
ヨーロッパでプレーしていた時に出会ったというエージェントに仲介料を支払って井神は、首都キャンベラのリーグに参加することになった。自分がエージェントの「上客」であることは自覚しながらも、メジャーリーガーという夢の実現に近づけるならばと、井神は現地での就労も可能なワーキングホリデービザを取得し、赤道を越えた。
「今では絶対にしないですけどね。当時は、お金を払って探してもらうという選択しか僕になかったですから」
野球での報酬はもちろんない。ただし、外国人選手の受け入れには慣れているお国柄、片道分の航空券は支給、ホームステイでは個室があてがわれ、食事、車付き、おまけに試合の後は売店の余り物を提供されるのが常だったので、24オーストラリアドル(約2000円)という高時給のアルバイト代もあり生活の心配は全くなかった。
ただし条件が良かった分、エージェント料もつりあがった。そのエージェントと交わした契約書には、プロリーグ・ABLへの移籍可能の文言も入っており、ABLにはすぐにでも行けるような言葉もかけられたが、それが現実的ではないことは、現地でしばらくプレーするうちに悟った。
アペンディックス・リーグという「プロリーグ」
そういう中、井神のもとに「プロ入り」の話が舞い込んでくる。彼と同じように野球をあきらめきれず、ノマド(遊牧民)のように世界中の野球リーグを渡り歩いている旧知の選手からある連絡が入ったのだ。アメリカの新興独立リーグが、日本でトライアウトを行うので参加しないかという誘いだった。
そのリーグ、エンパイアリーグは、2015年1シーズンで消滅した独立リーグを母体として翌2016年に創立した独立リーグである。アメリカ北東部、ニューヨーク州北部からカナダ国境のメイン州にかけてが活動エリアだ。新リーグを立ち上げる際、旧リーグの4チームに加え、カリブ海に浮かぶプエルトリコにも2チームを増設するなど、強気の運営に乗り出すという。
日本でのトライアウトは2回。11月の方には、オーストラリアでのプレーがあるため行けないが、年を越した春実施の方には参加できる。参加の意向を伝えた井神は、オーストラリアでのシーズン後、4月に行われたトライアウトに参加した。参加者は20人ほど。日本の独立リーグでプレーしていた選手もいたが、多くは、日本のエージェントがアメリカで実施しているトライアウトリーグに参加したものの、プロ契約を結ぶに至らなかった者だった。
参加者の中には、それまでのトライアウトなどですでに合格を決めていた者も数人混じっていた。ここで合格を勝ち取ったのは、井神と日本のプロ野球(NPB)の育成選手経験のある外野手の2人だけだった。合格を告げられながらも、条件を聞いて自ら辞退した者が複数いたことは後で知った。
その条件というのは、このようなものであった。
報酬は原則なし。アメリカへの往復航空券は自弁。日本でのトライアウトに合格したので、開幕ロースター入りは保証するが、現地でのトライアウトを兼ねたシーズン前のキャンプには必ず参加。このキャンプには、日本円にして10万円ほどの参加費が必要となる。キャンプでふるいにかけられた選手が開幕前に各チームからドラフト指名を受けてシーズンに向けたロースターが確定する。
リーグが負担するのは、シーズン中の滞在費と公式戦を行うアメリカ本土・プエルトリコ間のフライト代だけで、シーズン中の食事代、さらには宿舎から試合会場までの移動費は選手の自己負担となる。実際シーズン中は、リーグごと各地を転戦、夏休みで空き家となった大学の寮を拠点として、試合会場まではワリカンで自家用車をもっている選手の車に乗って移動することになった。
実際には、アメリカ人選手たちには、いくばくかの報酬が、ビザなしで入国している日本人選手にはミールマネー(食費)が支給された。しかし、その額はバイト料どころか、学生の小遣いにも満たないような額である。それに対し、井神ら日本人選手がこのリーグに参加するのに支払った費用は、往復航空券、キャンプ参加費に現地での生活費を加え40万円ほどだったという。
アメリカの独立リーグはどこもそういうシステムだと言われたというが、実際は経営のある程度安定した「四大リーグ」などでは、シーズン前に契約を結んだ選手には航空券は支給されるし、キャンプ費用は当然のごとく球団が負担、報酬は日本円にして十数万円から4、50万円と決して多くはないものの、ビジターゲームではミールマネーが支給され、住まいもホームステイやホテルがあてがわれるので、シーズン中はほとんど出費がなく、報酬は貯金に回せるほどである。そういう「プロリーグ」の名にふさわしい独立リーグがある一方で、シーズン中の実入りより出費の方が多い、果たして「プロ」と呼んでいいのか判断がつきかねるアペンディックス・リーグが存在するのが、現在のアメリカの独立リーグ事情なのである。
それでも、競技者の裾野の広いアメリカ、アペンディックス・リーグでも、とてつもなく大きな打球を放つ選手もいれば、速さだけならメジャー並みという投手も珍しくない。井神も、それまでプレーしたトライアウトリーグやオーストラリアのアマチュアリーグとは比較にならないレベルに驚き、そして喜びを感じた。
それにこれまでと何よりも違っていたのが、選手の意識の高さだった。いくら低報酬でもプロはプロ。シーズン中をプレーに専念することは、選手たちの意識をいやおうなしに高める。現状に甘んじず、さらに上を目指す選手たちの口からは、自然と「プロフェッショナル」の言葉が湧いてくる。
井神は、シーズン終盤にトレードなども経験しながらも、約2か月、50試合のレギュラーシーズンを先発投手として投げ抜き、防御率5.63ながらリーグ2位の5勝を挙げた。6チーム中4チームが進出するプレーオフでは敗れたものの、初めて「プロ」として送ったシーズンに「さらに上」への手ごたえを感じて帰国した。
果てしない夢をつかむために
私が井神に会ったのは、昨年の秋のことだった。2度目のオーストラリア行きを前に井神は、「今のあなたは何者なのか」という私の問いに少し考えてこう答えてくれた。
「エンパイアリーグでやらせてもらったんで、自分自身では、『プロ野球選手』だとは思っています。実際は、入国審査の書類の職業欄には、『パートタイムジョブ』と書くんですけど(笑)。日本では全然誰にも知られていないので、普通にまだアマチュアですね。でも、アメリカ人は結構、独立リーガーでも誇りをもって、『自分はプロ野球選手なんだ』って思っています。だから生半可なプレーはできないって。アメリカの独立リーグでやらせてもらった以上は、そういう気持ちというのは大事なのかなと思ったりするんですけれども、実際の僕の実力といい、経歴からしたら、ちょっとあやふやな感じなんですけれども、やっぱりアマチュアですかね。フリーターみたいな感じです」
独立リーガーや海外でプレーする選手の多くがそうであるように、彼もまた、日本の体育系クラブにありがちな先輩後輩関係になじめなかったという。
「めちゃ嫌いでした。下級生の時も嫌でしたが、上級生になればなったで後輩におごったりしなくてはならないでしょ。高校の時には、僕はもうアメリカにトライアウトを受けることにしてましたので、お金が必要でしたから。なので、極力人付き合いというのは避けていました」
そのためか、現在その多くが社会人1年目を迎えている同級生とも付き合いはないという。だから、自分と彼らを比べることもない。
「そうですね。他人は他人という感じで。高校のチームメイトは、みんなけっこういい大学に進んで、今では企業とかに決まったみたいな話は、ちらほら聞いたりするんですけれども。『でも、俺は野球頑張るわ』、みたいな感じで、あんまり気にならないですね。今は自分の好きなことができていて、海外で上を目指して野球をできるというのが、今しかないと思っているので、今を最高に楽しんでいるという気持ちでやっています。将来に対する不安とかは、全くないと言ったらおかしいかもしれないですけれども、別に考えていないですね」
それでも、現役生活はいつか終わる。そのあとのキャリア構築はどんな選手にとっても悩ましい課題であることは間違いない。トップから遠い選手にとって、セカンドキャリアへの移行は早ければ早いほどいい。井神はそのことも十分にわかっている。
「本当は、今年(2018年)プレーして、今より上のクラスに行けなかったらやめようかなと思っていたんですけれども、アメリカで実際にやらせてもらって、自分はもうちょっと挑戦したいと思ったので、一応来年をめどには考えています」
メジャーリーグへの挑戦が終わった後は、大学に行ってみたい気持ちもある。そうなれば、もうボールを握るつもりはないと井神は言う。
「もう草野球でも絶対にやらないですね。日本にいるときは、社会人クラブチームでも野球をやらせてもらっていたんですけれども、やっぱり違うんですよ。野球をやっていて楽しいなと思うのは、ちょっとずつでも自分が上のレベルに進んで行く充実感、達成感なんです。僕にとっては野球をするということは、自分の中で届くか届かないか分からないところにメジャーというのがあって、そこへたどり着く途中の上り坂にいるということなんです」
インタビュー後、井神はまたもやオーストラリアに旅立った。今回はエージェントではなく、エンパイアリーグの日本人スタッフの紹介で、ブリスベンのリーグに参加した。紹介料などはなかったが、ホームステイ先であるチームの監督に食事付きの下宿代として週100オーストラリアドルを入れることになっている。チームを運営するスポーツクラブの雑用を手伝えば、小銭をもらえるので、それで何とかやっていけるらしい。
しかし、ここで井神は肘を故障してしまう。せっかくのシーズンを棒に振った井神だったが、治療に専念し、この夏「プロ」2度目のシーズンをアメリカで送っている。
井神が今全力で駆け上がっている坂の向こうには何があるのだろうか。
(特記のない写真は筆者撮影)