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凱旋門賞に挑む矢作芳人と武豊、シンエンペラーの兄とアルリファーの父との縁とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
アルリファーの父ウートンバセットの現役時代(11年モーリスドギース賞出走時)

伯楽とウートンバセットの縁

 「アルリファーの父は何ですか?」

 アイリッシュチャンピオンS(GⅠ)が終わった翌々日の朝。フランスのシャンティイ、ラモーレ地区にある清水裕夫厩舎内で運動するシンエンペラーに目をやりながら、そう聞いてきたのは調教師の矢作芳人。

 「ウートンバセットです」

 そう答えるとセリで同馬の産駒を落とした事もある指揮官は「おや?」という表情を見せた。

 話は2011年まで遡る。この年、矢作はイギリスに遠征している。向かった先はアスコット競馬場。ロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスS(GⅠ)に管理馬のグランプリボスを送り込んだ。

11年セントジェームズパレスSに挑んだグランプリボスと矢作芳人調教師
11年セントジェームズパレスSに挑んだグランプリボスと矢作芳人調教師

 今でこそ世界にその名を轟かす伯楽となったが、当時は世界の厚く高い壁が若き挑戦者の前に立ちはだかっていた。海の向こうではなかなか先頭でゴールを切る事が出来なかったのだ。

 この時もそう。後に世界最強と言われる事になるフランケルに挑んだが、跳ね返された。フランケルがデビュー以来の連勝を7に伸ばしたのとは対照的に、日本からのチャレンジャーは8着に敗れたのだ。

 そして、このレースで1つ上の着順の7着だったのが、ウートンバセットだったのだ。

セントジェームズパレスS出走時のウートンバセット
セントジェームズパレスS出走時のウートンバセット

レジェンドとウートンバセットの縁

 私はその年の夏、ウートンバセットと再会をする。場所をフランスのドーヴィル競馬場へ移した8月7日。彼はモーリスドギース賞(GⅠ)に出走した。1998年には日本調教馬のシーキングザパールが制した事でも知られる夏の短距離名物レースだが、この年はとくに日本馬や日本人騎手の挑戦がなかったため、私以外に日本からの報道陣の姿は無かった。レースは4度目の優勝を目指したマーチャンドールを破り、ムーンライトクラウドが制した。同馬はこのレースを3連覇するのだが、その最初の勝利がこの時だった。

 ウートンバセットはここも勝利とはならず5着に敗れる。先述した通り日本からの報道陣はいなかったと記憶しているが、これを目撃した日本人が全くいなかったわけではない。

11年モーリスドギース賞を勝ったムーンライトクラウド(右)。左端の緑白帽が5着のウートンバセット
11年モーリスドギース賞を勝ったムーンライトクラウド(右)。左端の緑白帽が5着のウートンバセット

 武豊がいたのだ。

 日本のレジェンドは、当時、毎年のように夏はフランス競馬に参戦していた。この年も例に漏れず。この日のドーヴィル競馬場でも、他のレースに騎乗していたのだ。

 その天才騎手が今年の凱旋門賞(GⅠ)で手綱を取るのがアルリファー。13年前のフランスで見たウートンバセットの子供だ。

11年8月7日、ドーヴィル競馬場での武豊騎手
11年8月7日、ドーヴィル競馬場での武豊騎手

ソットサスと名調教師の縁

 そして、皆さんご存知の通り今週末に行われるその凱旋門賞に出走する唯一の日本馬がシンエンペラーだ。凱旋門賞馬ソットサスの弟という血統で、ドーヴィルのアルカナセールで矢作が見初めた馬。購買時に発した「凱旋門賞に連れて帰ってきます」という約束を見事に果たしての参戦だ。前走のアイリッシュチャンピオンSは3着といえ良い末脚を披露し、凱旋門賞へ向けて明るい光が射したと言える内容でもあり、ただ参戦するだけではない有力馬の1頭だ。

シンエンペラーと矢作調教師
シンエンペラーと矢作調教師

ソットサスと天才騎手の縁

 ちなみに兄のソットサスの勝利した凱旋門賞を、スタンドから悔しい思いで見ていたのが武豊だ。本来、このレースでジャパンに騎乗する予定でフランス入りしていた。しかし、管理するA・オブライエン厩舎の飼料に禁止薬物が混入していた可能性があるという事で出走を取り消さざるをえなくなったのだ。

20年の凱旋門賞(GⅠ)を制したソットサス。武豊騎手はこのレースをスタンドから観ていた
20年の凱旋門賞(GⅠ)を制したソットサス。武豊騎手はこのレースをスタンドから観ていた

 このようにソットサスとウートンバセットは矢作にとっても武豊にとっても何某かの縁のあった馬であり、シンエンペラーとアルリファーのどちらが勝っても新たな物語が広がる事だろう。凱旋門賞馬の椅子が1つしかないのが何とももどかしい思いで、今年は観戦する事になりそうだ。

18年、一緒に表彰された矢作調教師と武豊騎手。今回の凱旋門賞は1つの椅子を争う
18年、一緒に表彰された矢作調教師と武豊騎手。今回の凱旋門賞は1つの椅子を争う

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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