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「死刑の執行猶予」制度を検討しよう~15人執行の年の終わりに

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
東京拘置所の死刑場

 なぜか、12月の死刑執行が多い。最近では、2013年、15年、17年にも12月に執行があった。

 今年は、7月にオウム事件の死刑囚13人を2度に分けて執行しており、日産ゴーン事件で東京拘置所が欧米メディアに注目されていることもあり、執行はもうないのではないか、と思っていたが、違った。

くり返される執行後の抗議声明の意議は…

 御用納を前日に控えた27日、1988年の強盗殺人事件で死刑が確定していた2人の刑が執行された。場所は大阪拘置所。東京拘置所には、彼らより早い時期に確定した死刑囚も収容されているのだが、なぜ大阪の2人が選ばれたのかは分からない。ゴーン事件の影響か…とも思うが、想像にすぎない。

 これで、今年は15人の刑を執行したことになる。法務省が死刑執行を公表するようになった1998年以降、2008年に並んで最多の執行数になる。それでも、収容中の確定死刑囚は、なお109人に上る。

 今回も、執行が発表されると、その日のうちに、アムネスティなど死刑廃止を主張している団体が執行を非難する声明を発表した。日本弁護士連合会も抗議の会長声明を出し、いくつもの単位弁護士会が抗議声明を発している。

死刑執行に抗議するアムネスティのサイト
死刑執行に抗議するアムネスティのサイト

 死刑の執行があるたびに、同じことがくり返される。私がよく分からないのは、彼らが裁判所の死刑判決に対しては、とりたてて反応を示さず、いつも執行された後になって声をあげることだ。当人たちの思いを表明する満足感はあるのだろうが、それ以上にどういう意議があるのだろうか。

寝屋川中1男女生徒殺害事件の死刑判決

 先日、大阪・寝屋川市の中学1年生の男の子と女の子が殺害された事件で、大阪地裁が山田浩二被告に死刑を言い渡した。

 初公判で被告人が突然、遺族がいる方に向かって土下座する、という唐突な行動に始まったこの裁判。検察側から「パフォーマンスだ」と批判されると、山田被告は「あふれる思いがあったからだ」と反論。接見した記者などにも「パフォーマンスを狙ったわけじゃない。自分の思いを伝えようとああいう形になったわけ。自分の思いをぶつけただけ」と述べたと報じられている。

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 様々な思いをこらえて裁判に出向いた遺族は、被告人が予想外の突飛な行動に出れば、それだけで激しく心をかき乱されるだろう。そういう被害者の心情を考えもせず、遺族に「自分の思いをぶつける」という行動は、仮にこれが減刑狙いのパフォーマンスでないとしても、被告人の著しく自己中心的な人間性のあらわれと言える。

 男の子の死因について、山田被告は「車の中で汗をかき、急に震えだし、動かなくなった」などと述べた。弁護側は、熱中症による突然死を主張。しかし、証人として出廷した専門医がその可能性を否定した。判決は、「殺意をもって2人の首を圧迫して窒息死させた」として、被告側の言い分を一蹴した。

大阪地裁
大阪地裁

 判決は、この点を含め「事件の重要な部分でうそ」をついていると断じ、「今なお自らの犯した罪に向き合うことができていない」と強く非難した。

子供の最期が分からない

 車の中という密室内での事件であり、単独犯とあって、事件の詳細を知るには、犯人の自白に頼らざるをえない。そういう事件では、本人が償いきれない罪を自覚し、せめて事実を語る、という心境にならなければ、真相の解明は難しい。

 裁判を通じても、2人が亡くなった順番や場所は分からなかった。自分の子供はどのように最期を迎えたのか。遺族はそれすら知ることができない。山田被告は控訴したが、果たして控訴審では真摯に罪に向き合うことができるのだろうか。

 死刑廃止を求めている諸氏、諸団体は、今回の判決をどう聞いたのだろう。

寝屋川市の中学生2人が殺害された事件の死刑判決を伝える新聞各紙
寝屋川市の中学生2人が殺害された事件の死刑判決を伝える新聞各紙

 ネット上で探してみたが、見つからなかった。

 死刑の執行は確定判決の結果である。司法の判断を行政が無視して執行を拒否するような事態が起きれば、それはそれで問題だ。死刑は誤った刑罰であり止めなければならない、と考えるのであれば、判決があった時こそ声をあげ、裁判官や裁判員を批判すべきではないか。

死刑の執行猶予を取り入れたら

 私自身は、死刑廃止論者ではない。オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫のような犯罪者にふさわしい刑罰は、死刑以外にあるとは思えないからだ。ただ、麻原以外の弟子たちには、急いで死刑を執行すべきではないと考え、何度も発言したが、何の効果もなかった。やはり判決が確定してから何を言っても遅いのである。

 しかし私は、現行法や今の死刑制度がこのままでいいとも思わない。正すべき点は多々あろうが、今回は1点に絞る。

 それは、死刑にも執行猶予をつけられるように、法改正することだ。

 たとえば、死刑を宣告時に、一定期間(たとえば5年)の執行猶予をつける。その間は執行はせず、期間終了時にもう一度裁判所が判断を行い、反省の態度によっては無期懲役などに変更することを可能にする。そうでない者は、実刑としての死刑確定者として扱う。あるいは、最後の執行猶予をつけて、さらに見極めるのもありかもしれない。

 たとえば、オウム事件でも、首謀者の手足のように使われて罪を犯したが、初犯で、関わった凶悪事件は多くはなく、深い反省悔悟と共に事件の真相を率直に語っていた者などは、死刑に執行猶予をつけて、さらなる反省謝罪の日々を送らせる選択もあったと思う。

 このようにすれば、国家が命を奪う、究極の刑罰である死刑の執行は、何十年経って顧みたとしても、ほとんどの人にとって、それ以外に考えられない者に絞られるのではないか。結果として、今より執行しなければならない死刑確定者の数は減るだろう。

執行猶予で罪と向き合わせる

 執行猶予がついたとしても、死刑囚であることには変わりなく、そのうえ態度いかんで、執行リストに移されるか分からない。犯人に、そういう毎日を送らせることで、事件と向き合い、反省を深めさせることも可能なのではないか。

 寝屋川事件の山田被告が、真相を語ろうとしないのは、死刑を免れたいからだろう。何とかして死刑を回避するために、自分の責任を軽く見せようと必死なのではないか。

 けれども、事実をありのままに語って謝罪すれば助かる道があるなら、そちらを選ぶ可能性もあろう。それが、心からの反省や謝罪でないにせよ、事実が語られれば、遺族は大切な家族の最期を知ることはできる。

 それでも、実刑としての死刑がふさわしいと裁判所が判断すれば、そのような判決を出すことができる。仮に、執行猶予がつけられたとしても、自分が犯した罪と向き合う日々を送らなければならない。しかも、そのうえで減刑がなされず、実刑としての死刑が確定するかもしれない。

 罪を犯した者にとっては、すんなり死刑が決まるより、むしろ厳しい罰になるかもしれない。

死刑の執行猶予は東洋の知恵

 実は、死刑の執行猶予制度を導入している国がある。

中国最高人民法院
中国最高人民法院

 中国だ。この国では、死刑判決に執行猶予がついた場合、2年後に再度の判断をする。この時に改悛の情が認められれば無期刑、場合によっては15~20年の有期刑に減刑する。

 建国初期に反革命の動きを鎮圧するために、この制度が導入されたそうだが、今では、一般刑事事件にも使われている。

 とはいえ、中国共産党のオリジナル、というわけではなさそうだ。遙か昔、唐の時代にも、死罪になった者の執行を猶予して反省を促したことはあったという。いわば、東洋の知恵と考えたらいいのではないか。

 そうした知恵を取り入れ、応用し、より優れたものに磨き上げていくのは、日本が得意とするところだ。究極の刑罰である死刑の執行猶予についても、知恵を出し合って、日本に適した制度を作り上げればよいと思う。

二元論を超えて

 私は、以前から、この執行猶予制度について提案しているのだが、死刑制度の在り方というと、死刑の存廃ばかりが話題になり、なかなか議論の対象にしてもらえない。

 制度としての死刑を廃止すれば、いかなる事態があっても、死刑を適用しない、ということになる。

 しかし、将来、オウムのように凶悪事件を重ねる組織が生まれたり、地下鉄サリン事件以上に多くの犠牲者を出す大量無差別殺人事件が起きたりしない保証はない。不幸にして、そういう事態になった時に、首謀者にすら死刑を課すことはできない、というのは、多くの人が求めている制度とは違うのではないか。

 世論調査では8割以上の人が、死刑存置は「やむをえない」と答えている。決して望ましいことではないが、死刑以外の刑罰では済ませられない事件のことを考えれば「やむをえない」。それが、大半の国民の考え、いわば「民意」だと思う。

 一方、廃止派にとっては「死刑廃止」の結論が得られるまで、「議論は尽くされていない」ということになる。それで、死刑制度についての議論は、入り口の「存廃」論議から一歩も進まなくなる。

 結果的に、現行の制度がそのまま続き、改善されるべきところも改善されない。

 「今のまま存置か廃止か」という100かゼロかというような二元論にとらわれず、民意を踏まえ、とりあえず死刑制度は続けるが、その内容を検討し、変えていく、という議論も必要ではないのか。

終身刑には賛同できない

 なお、死刑廃止派の人たちがよく持ち出す「仮釈放なしの終身刑」については、私は賛同できない。

 日本の刑務所は、長期刑の受刑者たちでも数少ない刑務官で対応しているが、それが可能なのは、彼らに「いつかは外に出たい」という希望があるからだ。その希望がなくなった時、どうなるか……。

 私が話を聞いたことのある刑務官やその経験者は、口をそろえて、「希望がまったくなくなった者と、いつかは外に出られる人を、一緒に処遇することは無理です」と言う。

 この現場の状況を無視して、終身刑を導入することには、私は反対である。

 15人もの死刑執行があった今年が終わろうとしている。来年には、ぜひ執行猶予制度を含め、存置か廃止を堂々巡りするのでない議論ができればいいと思う。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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