韓国代表ソン・フンミン「リオの涙の理由」と「今後」
ソン・フンミン、トッテナム所属の男子サッカー韓国代表のエースが話題になっている。
ソウル生まれの24歳は、オーバーエイジと参加したリオ五輪で準々決勝にて敗退(ホンジュラスに0-1)。試合後、号泣する姿が報じられた。その後、英国の新聞から「五輪への挑戦は無駄だった」と非難されているという。プレミアリーグ開幕時期にクラブを離れ、オーバーエイジとして大会に参加したが、望む結果は得られなかった。韓国では五輪でメダルを獲得すれば徴兵免除の恩恵を得られる(正式には約2年半の徴兵時期が2週間半の軍事基礎訓練に短縮される)。これは契約期間を4年残すトッテナムのクラブ側にとってもメリットとなるはずだった。のみならずソン自身もクラブでのレギュラー争いで苦しい立場に置かれており、2シーズン前までプレーしたブンデスリーガへの移籍も報じられている。
「徴兵免除」に泣く代表エース
号泣の大きな理由は、「敗退が決まった=徴兵免除を逃した」ことにある。
韓国の成年男子は、基本的には18歳になれば約2年半の兵役に就く義務がある(実際には学業などを理由に28歳くらいまで延長が可能)。いっぽうでスポーツの技能に秀で、国際大会で一定の成績を残した選手には「徴兵免除」の恩恵が施される。
サッカーの場合、基準はふたつだ。
(1)オリンピックでメダル獲得。
(2)アジア大会で優勝。
もともとは1971年に「国際舞台での国威発揚に大きく寄与できた者」に対して韓国兵務庁が定めた恩恵だ。1981年にはスポーツに適用する際の細かい基準が設定された。「五輪、各種目の世界大会、ユニバーシアード、ユースの世界大会で3位以上」と現在よりも幅広いものだった。85年に規定が改定され、90年にはほぼ現在と同じ形になった。その後、02年にはサッカーワールドカップのベスト16、06年には野球WBCのベスト4の項目も加えられたが、いずれも08年に削除された。「スポーツでの免除者が増えすぎると一般男性の士気に影響する」という理由だった。
これに対し、ソン・フンミンは3度チャレンジの機会があったが、ついに「目的」は果たせなかった。涙の背景はここにある。
(1)2012年ロンドン五輪……銅メダルを獲得し、エントリーメンバー18人が免除となった。当時20歳でHSV(ドイツ)に所属していたソンは、当然ホン・ミョンボ監督のリストに入っていたが……自らこの機会を辞退した。当時の「スポーツ京郷」が、「ソンがドイツメディアに話した言葉」として次の内容を紹介している。
「オリンピックは韓国では非常に重要な大会だが、自分はハンブルグで今シーズンより成長した姿を見せたい。プレシーズンを完全に準備することがより重要だと考えている」
この決断には、ソンの父親ウンジョン氏の存在がちらついた。自身も80年代中盤にKリーグで37試合の出場歴があり、フル代表にも選ばれたことのある氏(ちなみに身長185センチのソンに対し父は167センチ)は、息子のキャリアに強い影響を与えてきた。HSV所属時の2011年に「今、チームに馴染むかどうか重要な局面にあるのだから、フル代表には呼ばないで欲しい」とメディアを通じて発言。物議を醸した。
結果的にはこの「所属クラブ優先」の判断により、ソンは一度目のチャンスを逃したのだった。「まさかメダルを獲るとは」というのがソン側の偽らざる心境だろう。この時には、現在フル代表でともに主軸としてプレーするキム・ヨンクォン(広州恒大)、キ・ソンヨン(スウォンジー)、ク・ジャチョル(アウクスブルグ)らが免除となった。
(2)2012年アジア大会……自国インチョンで開催された大会でチームは優勝。この時はソン自身が強く参加を望んだとされるが……当時の所属クラブレバークーゼンが招集を拒んだ。アジア大会は各国協会からの招集に応じる義務のない大会だが、クラブ側は「かなり悩んだ結果、タイトな日程による負傷を憂慮した」と当時の韓国メディアは報じている。この際には、後にフル代表で頭角を現すイ・ジェソン(全北)や、Jリーガーのキム・ミンヒョク(鳥栖)やイ・ヨンジェ(京都/当時は長崎所属)が恩恵を受けた。ソンは地団駄を踏んでいる、と当時の国内メディアはこぞって報じた。
今後はどうなる?
”三度目の正直”とはならなかった今回のソン。
グループリーグでフィジーに8-0と大勝した後、難敵ドイツに3-3のドロー。メキシコも下し、グループリーグ1位突破を果たした。対戦相手はアルゼンチンになるかとも思われたが、最後に踏ん張りを見せたホンジュラスが勝ち上がりを決めた。組み合わせに恵まれ、韓国内でもメダルへの期待が高まったが、相手のカウンターに沈み0-1の敗退。試合後、本人からの言葉は伝わってきていないが、韓国メディアからも「シュートチャンスを逃し、失点の始まりとなるパスミスを犯した」との指摘が見られた。
今後はどうなっていくのか。所属クラブでは厳しいポジション争いが待っている。リオ五輪代表招集前のプレシーズンマッチでは、欧州選手権に出場した選手が不在だったため、多くの出場機会を得た。しかし1ゴールに終わり、大きなインパクトを残せなかった。韓国ではやはり「ヴォルフスブルグ行き」も報じられている。高校時代からドイツで暮らしたソンが、ドイツ語に堪能な点はよく知られており、「出場機会を求めて移るべき」という意見も見られる。
一方、24歳のスター選手の兵役がどうなるのか。この点も敗退直後の韓国での注目を集めた。2018年のアジア大会(@ジャカルタ)と2020年東京五輪を目指すのか。韓国では欧州クラブにいる限り、前者の参加は許可が下りないと見ている。では東京五輪では? この時、ソンは28歳になっている。基本的に韓国では軍隊は「遅くとも28歳までに行く」ということが通念になっている。ソンにもう一度機会はあるだろうか。韓国選手が徴兵を済ませたかどうかは、欧州クラブが大きく気に掛けるところだという。
あと2度のチャンスは得られるだろうか。さもなくば、キャリアのピークとなる20代後半での軍隊行きという状況も起こりうる。
過去には兵役を巡って数多くのキャリアのドラマが生まれてきた。兵役期間中に代表でのキャリアハイが訪れたチェ・ヨンス(97年ワールドカップアジア予選)。ソンと同様2度のチャンスを逃した結果、軍隊に行き、結果「男としての魅力が増した」と評価を受け、現在も大きな人気を得るイ・ドング(チョンブク)。はたまた2012年にウルサンでアジアチャンピオンズリーグ優勝直後、軍隊に行ったイ・グノは除隊後、中東で成功できなかった。さらにチョンブクで国内復帰したが出場機会を得られず、現在は国内の小クラブのチェジュに留まっている。
08年、ソウル東北高在籍に留学生としてヨーロッパの門(HSV)を叩いたソン。その後トントン拍子で出世。2014年ブラジルワールドカップではフル代表エース格まで登りつめたが……2016年はキャリアにとって頭の痛い問題を残す一年となってしまった。
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ソン・フンミン 92年7月8日生まれ。185センチの長身アタッカー。HSV-レバークーゼンを経て15-16シーズンよりトッテナムへ。韓国代表としては48試合出場16ゴール。流ちょうなドイツ語を操る。