安倍総理は国会と支持者を無視してレガシーを創る気か?
権力者は任期の終わりに近づくと、自分の偉業を後世に残すためのレガシー(遺産)創りに力を入れる。安倍総理が自民党総裁に三選され最後の任期を迎えた時、憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正をレガシーにするのだろうと思われた。
安倍総理の任期は残り3年あるが、しかし来年の統一地方選挙と参議院選挙の結果次第では、任期を全うできない恐れもある。従ってこの臨時国会と来年の通常国会までにレガシー創りの目鼻を付けておかねばならない。
そのためこの臨時国会に自民党の憲法改正案を提出し、議論を加速させるものと思われた。安倍総理は憲法審査会の自民党メンバーをすべて側近で固め、自民党憲法改正推進本部長に就任した下村博文氏が憲法審査会の開催を野党に頻繁に呼びかけた。
しかし野党の対応は冷ややかで、さらに与党の公明党も慎重な姿勢を見せたことから開催が難しい。すると下村氏は野党を「職場放棄」と批判した。それで野党はますます硬化する。与党からも下村批判の声が上がり、憲法改正は出鼻をくじかれた。
そのせいかどうか分からないが、10月24日に召集された臨時国会の最大テーマは外国人労働者の受け入れ拡大を図る「入管法改正案」になった。単純労働者にも永住の道が開かれる事実上の「移民法案」である。
これまで「美しい国日本」とか「日本を取り戻す」と訴えて保守派の支持を得てきた安倍総理は当然ながら「移民政策は採らない」と主張してきた。それが急に「人手不足」を理由に臨時国会で法案を成立させ、来年の4月1日から施行するという。なぜか超特急並みのスピード審議を求めたのだ。
しかも法案の中身は成立させてから政府内で決めるというのだから国会無視も甚だしい。中身の決まっていない法案を審議しろと言われても議論のしようがない。
法案成立の結果、日本社会がどうなるか分からぬままに、法案は実質13時間の審議時間で強行的に可決され、27日夜に衆議院を通過、28日には参議院で審議入りした。与党は12月10日までの会期内に成立させる構えである。
私も長く国会を見てきたが、中身の決まっていない法案の審議というのを初めて見た。日本の国会では議員が法案を作るのではなくほとんどは政府が作る。法案は本会議で趣旨説明され、与野党が基本的な質問を行い、それから委員会に付託される。そこで十分な質疑を行って採決し、再び本会議に戻して成立させる。
委員会の質疑は法案の条文を逐一問うことに時間を割くが、この「入管法改正案」の場合、何を聞いても「これから決める」という答えしか返ってこないので質疑にならない。それが総理の外交日程とか、会期に限りがあるという理由で、あっという間に衆議院を通過した。
これを外国から見れば、移民政策を採らないと言ってきた日本が事実上の移民国家になると思われる。日本は転換したと世界は認識する。世界では米国も欧州も移民問題を抱えて揺れているが、どの国も右派は伝統を破壊されると移民に激しく反対する。日本の右派も移民に反対の筈だが、しかし大きな反対運動が起こらない。
それは安倍総理が右派にとって理想のリーダーだからである。従って正面切って足を引っ張ることが出来ない。だとすれば日本を移民国家にする歴史的転換は安倍総理だからこそできる、まさに安倍総理のレガシーと呼ぶにふさわしい話になる。
成る程、安倍総理には自分の支持者を無視できる力がある。そして非力な野党にも助けられ、国会を無視できる力もある。そして安倍総理は「日本を移民国家にはしない」と言い続ける。国民が移民国家になったことに気づくのは、移民2世が生まれた後の時代だろうから、当分の間は言い訳が通用する。
しかし問題は国民が自覚しないまま日本社会が変わっていくことである。それでも後世に「外国人と共生する日本を作ったのは安倍総理」というレガシーは残る。そして実はもう一つ、同じようなレガシー創りが進行している。日ロが交渉する北方領土問題である。
11月14日にシンガポールで行われた日ロ首脳会談をNHKは仰々しく伝えた。普通は会談が終わって中身が発表される時に中継するが、その前に「会談が始まる」という「前触れ」を3回も放送した。「前触れ」をそんなにやるのは国民がかたずを飲んで見守る歴史的なニュースの場合である。
どんなにすごい発表なのかと思ったら、「1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉する」ということと、「私とプーチン大統領の手で平和条約を結ぶ意思を共有した」という2点で、私には驚きでなかった。
安倍総理が「1956年の日ソ共同宣言を基礎とする」2島返還論者であるのは、2015年に鈴木宗男氏を助言者にした時点から察しはついていた。問題はそれを自分の任期内に解決すると期限を切ったことである。期限を切れば切った方が交渉では足元を見られて不利になる。
ただこれまで「4島一括返還」の国民運動を展開してきた日本の右派陣営は2島返還では満足しない。第二次世界大戦のどさくさに紛れてソ連が不法に占拠したというのが右派の主張だからである。
しかし鈴木宗男氏らは4島返還要求ではロシアが応ずることはない。現実的な解決を目指すなら歯舞、色丹の2島を返還させ、国後と択捉はロシア領にして、共同経済活動と自由往来の対象にするという考え方である。
その考えを安倍総理も共有しているが、表向きは「4島一括返還」を変えていないと言い続ける。「移民国家にはしない」と言いながら事実上の移民政策を進行させていくのと似た構図だ。これも安倍総理だからこそ右派の反対運動が起きにくい。
ただ相手がプーチン大統領であることを私は懸念する。ウクライナ紛争の時にクリミア半島を軍事力でロシアに編入したプーチンは、それによって国民の高い支持を得た。その大統領が第二次大戦で勝ち取った領土を手放すことがあるだろうか。
しかも地球温暖化で北極海が新たな航路になり、その地下資源に各国の目が注がれている時、オホーツクの島々を自分の領土にしておきたいと思うのは当然である。一方ではウクライナ問題で西側諸国から経済制裁を受け、また中国がロシア極東に勢力を伸ばしてくることをけん制する意味で、日本とは良好な関係を築きたい。
そのため安倍総理に良い顔を見せてはいるが、任期が3年と限られていることから、じらせば譲歩させることが出来ると考え、そのためロシア国内の強硬論をバックに譲歩を迫ってくる可能性がある。
安倍総理が2島の主権を日本に取り戻すと思っていても、1島で終わるかもしれないし、ゼロになるかもしれない。ただし平和条約だけは結ばれる。安倍総理が期限を切ったことはそうした懸念を私に抱かせた。
26日の衆議院予算委員会で無所属の会の大串博志衆議院議員が「北方領土はロシアに不法に占拠されているのか」と質した。これに河野太郎外務大臣は「これから機微な交渉を行う時に政府の立場を表明して場外乱闘になることは国益に反する」と答弁した。
「場外乱闘」とは何だ。交渉当事者である安倍―プーチンの2人だけに交渉を白紙委任しろという意味に聞こえる。国会も国民も黙っているのが国益だと言わんばかりである。
北方領土問題は1980年に国会が衆参両院で「北方領土返還促進決議」を行い、翌81年に「北方領土の日」を定め、全国的な国民運動を展開した時代がある。
東西冷戦下でもあり、右派陣営は反ソ感情からソ連大使館に街宣車で押し掛けるのが例年だった。冷戦が終わったことで事情が変わったとはいえ、4島返還は右派の悲願だったと思う。しかし安倍総理が事実上の2島返還に転換しても右派の反対運動は起こっていない。
交渉というのは国民の広汎な声を背景に相手に譲歩を迫るものである。例えば冷戦時代の自民党は社会党に護憲運動を起こさせ、それを米国に突きつけて、「社会党政権が出来たら困るのは米国でしょう」と言って、米国の軍事要求をかわし続けた。それが日本の高度経済成長に大きく貢献した。
領土問題を脇に置けば日ロ平和条約の締結は容易になるだろう。そして平和条約が締結されれば安倍総理のレガシーになることは間違いない。しかし右派は無視されても黙っているかもしれないが、国会で議論されてきたことを無視して良いとは思わない。レガシー創りのために国会に黙っていろというのは民主政治にとって大問題である。