G1フェブラリーS前日に重賞を制した白い馬の数奇な運命とは……
ミライヘノツバサは偶然、手にした馬だった
フェブラリーS(G1)前日の2月22日、東京競馬場で行われたダイヤモンドS(G3)を制したのはミライヘノツバサ(牡7歳、美浦・伊藤大士厩舎)。単勝は325・5倍。16頭立ての16番人気だった。
大穴をあけた同馬は、その購入の経緯から現在に至るまで数奇な運命に操られた白い馬だった。
現在47歳の調教師・伊藤大士とこの芦毛馬が出会ったのは2014年7月14日のセレクトセール会場だった。オーナーの三島宣彦と出向いたその日の事を、伊藤は次のように述懐する。
「何頭か事前にピックアップした馬がいたのですがどれも予算オーバーで買えませんでした。仕方なく帰ろうとしたその時、偶然、厩舎から出てきた青森産の芦毛馬とすれ違いました」
オーナーと共に思わず目がいったその馬が、後のミライヘノツバサだった。
乗る予定の飛行機の搭乗時刻まではまだ時間があった。そこでこの馬がセラれるところも見ていこうという話になった。そして、1000万円で手を挙げると一発で落ちた。
こうして伊藤大士厩舎に入厩したミライヘノツバサは、翌15年、2歳でデビュー。3歳となった4戦目に勝ち上がると、すぐに自己条件を連勝。クラシック戦線に乗った。
「私の厩舎を初めて皐月賞や菊花賞に連れて行ってくれた馬になりました。当然、期待はどんどん大きくなりました」
その後、4歳時の17年にはアメリカジョッキークラブC(G2)でタンタアレグリア、ゼーヴィントに続く3着に好走すると、続けざまに出走した日経賞(G2)ではシャケトラに4分の3馬身差の2着。重賞制覇も時間の問題かと思わせた。
とん挫して、次の馬生を考えたが……
しかし、好事魔多し。右前脚に屈腱炎を発症し、約1年半の休養を余儀なくされた。
「その後はだましだまし休みながら使わざるをえない形になってしまいました」
脚元を考えて坂路だけの調教となり、すぐに手が届くかと思われた重賞の栄冠は遠ざかった。Gのつくレースはもちろん、オープン特別でも二桁着順が当たり前になってしまった。時間だけが過ぎ、今年はとうとう7歳となった。伊藤も開業以来12年目となったが、共に重賞勝ちはなかった。ミライヘノツバサを見ながら伊藤は思った。
「自分の不甲斐無さもあって大きなタイトルを取らせてあげる事が出来なかった……」
種牡馬への道は遠いと思いつつ、以前よりも白くなった馬体に改めて目をやり、考えた。
「芦毛だから誘導馬として生かしてあげる手はあるのでは……」
競走馬生活を終えた後の馬生を考えた時、1頭でも多くの馬を救ってあげたいとは常に考えていた。そこで、JRAに相談した。すると……。
「引退後は馬事公苑で預かってくれる事になりました」
オーナーと喜びを分かち合った。そして、次のように話したと言う。
「『じゃあ、とりあえずもう1回使おう』と。そこで10着以下に負けるようなら即、馬事公苑に引き取ってもらおうという事になり、走ったのが前走の白富士Sでした」
ラストランとなるなら悔いの残らないように仕上げようと、坂路だけでなく、平地でびっしりと追い切った。こうして臨んだ2月1日の白富士S、結果は8着だった。「10着以下にはなりませんでした」と笑った後、伊藤は次のように続けた。
「着順は8着だったけど、悲観する内容ではありませんでした。復活の予兆を感じる走りをしてくれました」
直線では前をカットされるシーンがありながらも勝ち馬とは0秒6差。確かに決して悪い内容ではなかった。そこで……。
「もう1度、しっかり調教をしてダイヤモンドSに挑戦させようという事になりました」
獲得賞金的に除外の1番手という事もあり、同じ週の小倉大賞典(G3)にも登録をした。しかし、関門海峡を渡るのはあくまでも滑り止めとしての策。何とか府中でと願うとその強い想いが通じ、除外される事なくゲートインに至った。鞍上はここ2戦と同じ木幡巧也に託した。木幡の師匠である牧光二は学生時代の同期で、トレセン入り後は上原博之厩舎で切磋琢磨した仲だった。
「とにかく調子は良かったので掲示板はあるだろうという思いで送り出しました」
その予想はある意味、当たっていたが、的を射ていたとは言えなかった。伊藤が考えていた以上に、ミライヘノツバサは激走した。3400メートルの長丁場で、ゴール前は3着以下を突き放し、同じ白い馬体のメイショウテンゲンと競り合いを演じた。
「正直、差されて負けたと思いました」
しかし、ダークホースは僅かにハナ差、先着していた。開業12年目で初めての重賞制覇を記録した指揮官は言う。
「長かったですね。チャンスもあったけど、我慢せざるを得ない時もあった。今回の勝利はそんな事への恩返しだと思っています」
数奇な運命の末、競走馬生活を長らえ、ついには重賞ウイナーの仲間入りをしたミライヘノツバサの今後については、次のように語る。
「春の天皇賞も視野に入れたいです。ただ、あくまでも状態次第。脚元を確認しながら決めていきたいです」
1頭でも多くの馬の行く末を救ってあげたいという気持ちから誘導馬への道は確約された芦毛馬が、大逆転の種牡馬へ向け白い翼を広げる。この春、そんなシーンが見られる事を期待しよう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)