音楽と芸術ゆかりのテューリンゲン州を訪ねて(2)ゴータからワイマールへ
2020年は、ベートーヴェン生誕250周年を迎え、音楽の国・ドイツが注目を集めている。そこで、これからよく耳にするクリスマスソングや、バッハやリストなど偉大な音楽家と深い繋がりのあるテューリンゲン州の古都を訪ねた。
前回に続いて、音楽と芸術を中心に古都ゴータとワイマールをご紹介。(画像はすべて筆者撮影)
宮廷都市ゴータ
アイゼナハから普通電車で20分余り、ゴータに到着だ。テューリンゲン州で第5番目の規模のゴータは、8世紀までさかのぼる長い歴史を有する古都。17世紀から20世紀初期までザクセン・ゴータ公国の首都だったことから、宮廷都市として栄えた。
ホテルに荷物を預けて早速、フリーデンシュタイン宮殿へ向かった。
17世紀半ばに建てられたこの宮殿は、ゴータの街を見守るように小高い丘に聳え立っている。壮大な宮殿の両翼は140メートルにも及び、ザクセン・ゴータ公国領主エルンスト1世の権力を象徴するかのようだ。
宮殿には、公爵の部屋や祝宴用ホール、寝室などあらゆる場所に高価な象嵌細工(ぞうがんさいく)や豊かな装飾が施された部屋があり、見ごたえ充分。
また宮殿対面の博物館は、あらゆる時代を網羅した芸術作品や絵画、彫刻、手工芸品などを展示。何体ものミイラを含むエジプトコレクション、中国キャビネット、そしてマイセン陶磁器や日本の漆器などの作品も見逃せない。なかでもクラナッハの名画や、ゴシック末期の絵画「ゴータの恋人たち」は圧巻だ。
今回訪問の楽しみのひとつは、ゴータの夏のハイライトエクホーフ劇場での観劇だった。
宮殿の西翼にあるこの劇場は今も機能している世界最古のバロック劇場だ。フリードリヒ1世の命により造られた宮殿劇場は、1775年より活用された気の遠くなるような長い歴史を持つ。250年ほど前にここで上演された劇や当時の生活ぶりを想像するだけでも胸が高まる。
観客席と舞台装置はほぼオリジナルのままの設備。まるでタイムマシーンで当時に戻ったかのような雰囲気を醸し出している。
現在は毎年7月8月の2か月限定「エクホーフフェスト」を催し、宮廷劇場初期から全盛期にかけての演劇、音楽、文学をモチーフとした作品が上演されている。観劇チケットは、前年11月から販売される。
この他、宮殿では毎年5月には歴史祭り、8月末にはバロックフェストが開催されるので、訪問のタイミングがあえば是非足を運びたい。なかでもバロックフェストでは、かつての宮廷の様子を体感できる絶好の機会。商人や職人をはじめ、公爵や宮廷役人の衣装をまとった人に出会えるかもしれない。
クリスマスソング「もみの木」は、ゴータから50キロほど南下したゴールドラウターに住んでいた教師・音楽家エルンスト・アンシュッツが歌詞を付けたといわれる。この曲の由来は16世紀から伝わる民謡で、アンシュッツは第2・第3ストローフェを手掛けたそうだ。
音楽と文化の街ワイマール
次は今年、世界で最も注目されている総合芸術大学バウハウス創立100周年で賑わう街ワイマールへ向かった。この街は、文豪ゲーテやシラー、音楽家バッハやリストといった様々な分野の偉人が活躍した文化都市として知られる。
楽聖バッハは17世紀、この地に住み数々の曲を創作した。街の中心にある国民劇場は、文豪ゲーテが監督し、シラーの作品を多く上演した。ここではフランツ・リストやリヒャルト・シュトラウスも音楽監督を務めた。
今回ワイマール訪問の目的のひとつは市内の中心マルクト広場に面したクラナッハハウスでの観劇だ。マルティン・ルターの作品を多く手がけた宮廷画家クラナッハは、この家で晩年を過ごし生涯を終えたそうだ。
現在は小劇場として使用されており、ワイマール劇団をはじめ、国内外の俳優や声優を招いて演劇や公演を定期的に開催している。入口付近には小さいながらもクラナッハの生涯や、この建物に由来する品々が展示されている。大人2,3人がやっと立てるくらいの狭い舞台は客席から手が届きそうで、大劇場とは異なるアットホームな雰囲気に親しみが持てた。当夜はシラーを題材としたパロディ小話だった。
最終日、市街のはずれにあるイルム川のほとりに広がるイルム公園へ足を運んだ。バウハウス大学から目と鼻の先の公園入口左側にあるフランツ・リストの家を見学するためだ。現在は、リスト博物館として公開されているこの家の見学はいつも実現しないまま帰路についていただけに、今回は時間の余裕を持って訪問した。
ピアノの魔術師と言われてアイドル的な存在だったリストは1848年から59年、ワイマールの宮廷楽長として過ごした。バッハやベートーヴェン、後に娘婿となるワグナーなど様々な作曲家の作品をピアノ曲に編曲したリストは、演奏旅行で次々と作品を紹介し、伝達手段のなかったヨーロッパに音楽を浸透させた。
天才的な技巧を持っていたことから6本指の持ち主という噂も信じられていたイケメン・リストは、伯爵夫人たちとのロマンスにも花を咲かせ、私生活でも華やかで波乱万丈な生涯を送ったらしい。館内で貴婦人たちを失神させたリストの甘いピアノ曲に酔い痺れるのもいいだろう。リストは死ぬまでこの家で暮らしたという。
子供のクリスマスソング「おお、喜ばしき君よ」はワイマール出身ヨハネス・ダニエル・ファルクが1816年、第1ストローフェを書いた曲だ。両親のいない子供や住居のない子供に向けて作ったそうだ。
まだまだ知られていない音楽や芸術ゆかりのテューリンゲン州各地を訪問したい。