ハンブルクから1時間 7つの湖の街「シュヴェリーン」を訪ねる
ハンブルクを基点として前回訪問した世界遺産の街ヴィスマールから少し足を延ばして近郊の街シュヴェリーンへ向かいました。
日本ではあまり知られていない北ドイツの街シュヴェリーン。ランドマークは北のノイシュヴァンシュタイン城と称賛されるシュヴェリーン城です。シュヴェリーン城は現在、建物の一部がメクレンブルク=フォアポンメルン州議会の議事堂として使われています。湖上に浮かぶ宝石のように壮麗な城と街の魅力を紹介します。(画像はすべて筆者撮影)
1000年の歴史を持つシュヴェリーン城
シュヴェリーンは、メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都で人口10万人弱の小都市。ドイツで最も小さな州都です。ハンブルクから東へ約110キロに位置するシュヴェリーンまで電車で1時間と、思いのほかアクセスしやすいです。
市街地の中央には7つの湖が広がり、その中に街のランドマーク「シュヴェリーン城」が映えるという、絵に描いたような美しい環境にあります。実際に訪問すれば、シュヴェリーン城がいかに街の魅力を引き立てているか理解できるでしょう。
城の一部は、1921年以来博物館として、そして東西ドイツ統一後の1990年以来メクレンブルク=フォアポンメルン州議会の所在地として機能しています。
ドイツの城といえば、すぐ思い浮かぶのは南部のノイシュヴァンシュタイン城かと思います。シュヴェリーン城は北のノイシュヴァンシュタイン城と称されるほど、壮麗な姿で人々を魅了しています。
2つの城で異なる点はいくつかあります。
まずその歴史です。ノイシュヴァンシュタイン城はバイエルン王ルードヴィック2世の命により19世紀に建築されました。一方シュヴェリーン城は10世紀に今と同じ場所には城跡があり、そこをハインリヒ獅子公の命により12世紀半ばに再建築された1000年以上の歴史があります。
またノイシュヴァンシュタイン城は山あいに建っていますが、シュヴェリーン城はシュヴェリーン湖とブルク湖に囲まれた島に建ち水辺と公園に囲まれている点も異なります。
2つの城の共通点は、建築と景観の素晴らしい組み合わせ。外観はまさに「おとぎ話の城」と呼ぶにふさわしく訪問客を魅了し続けています。
シュヴェリーン城は、メクレンブルク地方の産業や文化の中心地として栄えたこの街の歴史においてもっとも重要な役目を果たしてきました。そして何世紀にもわたってメクレンブルク公と大公の居城として使用され、その間、改築と増築が繰り返されました。
シュヴェリーン城の歴史は、最初に要塞として建設された10世紀にまで遡ります。城の形は、941/42年頃に建てられたスラブ人の城壁に遡り、「ズアリン」城と呼ばれていました。ちなみに「ズアリン」という名前は1018年頃の文献に初めて登場します。動物園や森林地帯、動物の多い地域を意味する「ズアリン」は後に、「シュヴェリーン」と呼ばれるようになり、これが現在の名前の由来のようです。
16世紀から17世紀初頭にかけて、テラコッタ装飾や屋根の妻側に見られる破風(はふ)が施されたルネサンス様式の建物が建てられましたが、今の外観になったのは、1843年から1857年にかけてのことです。
宮殿建築で手腕を発揮したゲオルク・アドルフ・デンムラーとフリードリッヒ・アウグスト・シュテューラーの設計により、城はネオ・ルネッサンス様式に改築。フランス・ルネサンス様式の城、特にロワール河畔のシャンボール城が設計に強い影響を与えたそうです。
城内博物館で特に見応えがあるのは、玉座の間や先祖のギャラリーといった大公の代表的な部屋と、ダイニング・ルーム、ティー・ルーム、花の間、シルヴェスター・ギャラリーといった居間や社交室。
かつての子供部屋には、マイセン、ベルリン、その他のヨーロッパ製陶所の貴重な磁器や、18世紀から20世紀にかけての宮廷絵画、メクレンブルク絵画が展示されています。
ガイドツアーは、城内ツアーや博物館ツアー、教会ツアーなどを提供しています。州議会のプロブラムにより、キャンセルされる場合もあるため、必ず事前に予約、そして出かける前に確認することをお薦めします。
ブルクガルテン、シュロスガルテンと2つある城の庭園は一年中無料で入園でき、いつでも訪れる価値があります。城を取り囲むようにオランジュリー、洞窟、魅力的な中庭があり、歴史的なバロック庭園の花壇は、城の湖畔からオストドルファー・ベルクまでの広い範囲に広がっています。
シュロスガルテンは19世紀半ば、ペーター・ヨーゼフ・レネによって拡張され、現在の面積は約25ヘクタール。
城内の部屋数は、600以上と言われていますが、2018年の新しいカウントによると、地下室から屋根裏部屋まで、場内には953の部屋があるそうです。
シュヴェリーン市は、長年にわたり発展してきたメクレンブルク大公の居城群(城、大聖堂、シェルフキルヒェ教会、その他約30の建物と庭園を含む)を、ユネスコ世界遺産に正式申請しました。
シュヴェリーンの創設者ハインリヒ獅子公
シュヴェリーンの創設者ハインリヒ獅子公(ハインリヒ3世・1129-1195)は、ザクセン公(在位1142-1180)として軍を率いて1160年にメクレンブルクを征服。獅子公は、荒廃した「ズアリン」城の跡地に新しい城と集落を建設させました。彼の願いは、近代的な住居の要件を満たし、その豪華さでメクレンブルク王朝の王侯の力を象徴する城でした。そしてこの城は、現在のシュヴェリーン発展の出発点となっていきます。
1270年頃、ゴシック様式の大聖堂の建設が始まり、1400年頃に完成。その後の数世紀、シュヴェリーンはメクレンブルク公爵家の居城として発展します。とりわけヨハン・アルブレヒト1世は、1552年以降、ルネサンス様式の城を建設し、シュヴェリーンに居住都市としての外観を与えました。こうして市民、貴族、学者の流入、文化的・科学的機関の設立により、街は繁栄します。
城と旧市街の間には「旧庭園」があり、敷地内にはメクレンブルク州立劇場と州立博物館があります。夏にはお城祭りが開催され、何千人もの文化ファンがこの庭園を訪れます。
街の歴史を物語る旧市街を散策
街の中心にあるマルクト広場に続く石畳を散歩しながら歴史的建造物を目にすれば、シュヴェリーンには多くの発見があるとすぐにわかるはず。
総面積の約3分の1が湖というまさに水の都シュヴェリーンには海水浴場があり、ウォータースポーツや釣りを体験することができます。また湖畔の散策をはじめ、シュヴェリーン湖を遊覧船で巡るなど、楽しみ方は様々です。
メルヘンチックなシュヴェリーン城とその周辺をゆっくり見学したいなら、今のうちにどうぞ。あるいは、いっそのこと、シュヴェリーン城歴史図書館で挙式を上げるのも忘れられない思い出になることでしょう。
シュヴェリーン城の他、水と歴史的建物の調和がとれた景観で特に印象に残ったのは、プファッフェンタイヒ(池)沿いの散策と歴史的建造物アーセナル工廠(こうしょう)の眺め。工廠は、19世紀半ばに建設された大公家の武器庫(砲兵兵舎)だったそう。現在このレンガ造りの建物は、同州の内務・建築・デジタル化省の所在地です。
城前の大きな広場アルターガルテンの裏手には、狭い路地や小さなカフェが軒を連ねる旧市街が広がっています。
シュヴェリーン市内で最も古い建物であるレンガ造りのゴシック様式の大聖堂内の見学では、中世の十字架祭壇、凱旋門の十字架、ブロンズの洗礼盤、パイプオルガンなどの芸術品をお見逃しなく。
大聖堂教会の塔は、メクレンブルク州で最も高い117.5m。この塔の220段の階段を登ると、シュヴェリーンの湖の風景を見渡せる絶景が待っています。ロマネスク様式の大聖堂の原型は、ハインリヒ獅子公によって寄贈されたそうです。
旧市街散策中何度も足を止めたマルクト広場では、ニーダー=ザクセン州の街ブラウンシュヴァイクのライオンを模した記念碑がひときわ目を引きます。
この記念碑は1995年、メクレンブルク建都1000周年とシュヴェリーン創設者であるハインリヒ獅子公没後800年を記念して建てられました。
記念碑の柱の上に、笑っているようなライオンが立っています。正方形の台座の側面を見ると、ハインリヒ獅子公の生涯における4つのエピソード、「バルドウィッカー・ゲゼスフルディグング Bardowicker Gesaesshuldigung /Anno Domini 1189」の伝説が風刺的かつ批判的に描かれています。
エピソードその1は1147年のヴェンド十字軍(キリスト教がメクレンブルクなどで布教されることになった)、その2は1160年のシュヴェリーン建都、その3はハインリヒ獅子公のモデルとなったブラウンシュヴァイク・ライオンの製作。
その4は獅子公に不満を表したバルドウィック市民の臀部が彫られています。バルドウィックは、獅子公が統治した街のひとつでしたが、獅子公の治世に交易の中心地としての重要な役割を失ったバルドウィック市民が皇帝バルバロッサとの不和の後、義父ハインリヒ2世のいるイングランドに追放された獅子公を皮肉ったシーンです。表向きは敬意を払いながらも、本心は軽視しているという市民の思いを込めて、お尻を向けています。
シュヴェリーンは、自然、建築、偉大な芸術、そして長い歴史の証が見事に調和している古都。知っているつもりになっている場所でも現地に出向けばいくつもの新しい発見があります。ノイシュヴァンシュタン城とはひと味違った魅力を持つシュヴェリーン城を是非訪問して、その魅力を自分の目で確かめてください。