「足指の裏の窪みまできれい」 雪国の老舗旅館で日本近代文学の金字塔が生れた――【昭和100年】
実在した芸者「駒子」のモデル
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
あまりにも有名な『雪国』の冒頭だ。とりわけ「夜の底が白くなった」は日本の美的感 覚が凝縮された、川端康成ならではの表現として名高い。
その『雪国』は、川端康成が「高半旅館」(当時の屋号)で執筆した作品である。川端 が滞在した客室「かすみの間」は移築されたが、当時のままの状態で保存されていて、川端が気に入っていた優美な越後連山の眺めも変わらない。入り口には当時、着物の上に羽 織った分厚いウールのマントも展示され、その時代を彷彿させる。
昭和九(一九三四)年から十一(三六)年まで、川端は五回「高半旅館」にやってきた。 たいがい夜更けから明け方まで原稿を書く。出来上がった原稿は高半の番頭に預け、休む。 番頭は原稿を持ち、湯沢駅に向かい、始発の汽車にその原稿を乗せた。汽車が到着する頃、 上野駅には川端の妻が待ち構えていて、原稿をそのまま出版社へ持ち込んだ。
川端がひと眠りし、目覚めるのは昼頃。
昼なれど朝ご飯を摂るのが恒例で、その後、日 中は帳場周辺に集まる湯沢の人たちの噂話に聞き耳を立てていることが多かった。
川端の滞在中に起きた湯沢の大火事では、人々の動向をつぶさに捉え、『雪国』の火事の描写に 活かしている。
こうした昭和初期の出来事を語り継いでいるのは「高半旅館」の娘として生まれ育った女将の高橋はるみさんだ。古くからこの近隣で盛んだった織物の代表格である、塩沢紬や十日町紬を品よく着こなす越後の女性だ。
「かすみの間」と同じフロアには「文学資料室」もあり、川端が書いた力強い「雪国」の 文字が入った藍色の暖簾をくぐると、明治三十九(一九〇六)年頃からの越後湯沢の風景や、川端が通った昭和十(一九三五)年頃の木造三階建ての「高半旅館」の写真など貴重な資料を見ることができる。
そのなかで私の目に留まったのは、『雪国』の主人公・島村と恋に落ちた芸者・駒子の モデルと伝えられる松栄さんの写真だ。
『雪国』では、駒子を「女の印象は不思議なくらい清潔であった。足指の裏の窪みまでき れいであろうと思われた」と描写しているが、はるみ女将によれば実際の松栄さんは、「川端先生がうちに滞在していた時に、松栄さんが芸者としていらしたのよ。色白で綺麗で、売れっ子の芸者さんだったそうですよ。でも媚を売るようなことはなく、気丈で機転も利く明るい方だったと聞いています」。
さらに松栄さんの魅力が体現された逸話も聞かせてくれた。
「とっても読書家で、夜更けまで懐中電灯を片手に本を読んでいたそうですよ。晩年、病床で小説を読んでいる松栄さんに看護婦さんが『恋愛小説ですか』と尋ねると、『恋愛は 読むものじゃなくてするものよ』と切り返したんですって」
「文学資料室」には他にも、広間の宴会で川端康成の隣で話し込む岸惠子や微笑んでいる 池部良りょう 、愛らしい笑顔で雪原を行く八千草薫といった写真が飾られている。
そう、これらは昭和三十二(一九五七)年に公開された映画「雪国」の撮影の際のスナ ップだ。撮影中、出演者たちは川端と同様に「高半旅館」に滞在していたのである。
来年、2025年は昭和100年である。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。