世界最強だった男 マイク・タイソンを葬った男 #10 彼らしい姿で王座転落
2001年4月22日、ルイスは南アフリカでハシーム・ラクマンとの防衛戦のリングに上がる。試合の1カ月前から現地入りしてコンディションを整えたラクマンに対し,ルイスは8日前までラスベガスに滞在していた。トレーニングキャンプを張っていたといえば聞こえはいいが、ハリウッド映画『オーシャンズイレブン』の撮影と同時に進められた調整であった。
『オーシャンズ・イレブン』は、ラスベガスの地下金庫に保管 される1億5000万ドルを、オーシャンという名の強盗が10人の仲間と連携して盗み取るという娯楽映画である。主人公オーシャンに扮するジョージ・クルーニーを初め、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、マット・デイモン、アンディ・ガルシアら豪華な顔ぶれが脇を固め、出演者の名前だけで大きな話題を呼んだ。
11人が1億5000万ドルを盗み出すその日、ラスベガスでは世界ヘビー級タイトルマッチが行われる設定になっており、ルイスは本人そのままの役で出演している。もっとも映画の中で彼がスクリーンに登場するのは花道を歩くシーンと、リングで戦う僅かな数カットに過ぎず、時間にすれば1分にも満たない。自らの宣伝のために映画を利用したのなら、その試みは功を奏したかもしれないが、払った代償は途轍もなく大きかった。
試合直前に南アフリカの地き踏んだルイスの躰は、現役生活で最も重いものだった。ラクマンはIBFランキング4位の選手であったが、2度のKO負けを喫しており、打たれ脆さが伝えられた。
そのラクマンと対峙した統一王者にキレは無く、2ラウンド中盤には早くもスタミナを失って,口を開き始める。ルイスの様は、ラクマンを見下し、満足なトレーニングを積まなかった事実を伝えた。そして、第5ラウンド、ラクマンに右をクリーンヒットされダメージを誤魔化すかのように笑みを浮かべながらロープ際に下がったところで、再び挑戦者の右フックが炸裂する。腰からキャンバスに崩れ落ちたルイスは立ち上がりかけたが、膝 付き上体を起こすのがやっとだった。
この模様をライブ中継したHBOのアナウンサーは「1990年に、東京ドームでマイク・タイソンがジェイムス・ダグラスに敗れて以来の番狂わせだ!」と叫んだが、そうは思えなかった。ホリフィールドとの2試合を目にして以来、彼が王座から滑り落ちる日は遠くない日に訪れるだろう、きっと体たらくを見せて敗者となるに違いない,と感じていたからである。
ルイスは実に彼らしい形で、王座から転落した。本来の実力からすればラクマンはルイスにとって、はるか格下の挑戦者に過ぎなかった。負ける筈のない選手に無残にKOされ、簡単に王座を手放してしまうルイスの姿はボクサーとしてだけでなく、人間的な脆さも伝えていた。
「レノックスは、言ってみればノンビリ屋なんだ。ラクマンを軽視しているというわけじゃなかった。負けたのは、リラックスし過ぎていたから でも、今回は間違いなくチャンピオンに返り咲くよ。 3カ月間みっちりトレーニングを積んで来たからね。この試合に対する彼の飢えは相当なものだ」
ルイスのトレーナーであるエマニュエル・スチュワードは、「気の緩み」「油断」調整不足」といった言い回しを巧みに避けながら、敗因について説明した。ラクマンとの初戦が決まった際、ルイス陣営は万が一ベルトを失った場合、新チャンピオンは150日以内にリターンマッチに応じねばならないという一文を契約書に記していた。その権利を駆使し、ルイスとラクマンの再戦は7カ月後に組まれた。
後の無いルイスは今度こそ全身全霊を傾けて試合に臨むだろう。このような状況に追い込まれるまで、真剣に闘おうとしなかった彼の不思議さには答えを出せないでいたが、長く味わっていない 「飢えたルイス」を観ようと、リターンマッチの舞台、ラスベガスへ飛んだ。記者会見場で私を見つけたスチュワードが声を掛けてくれ、彼の宿泊する部屋を訪ねた。チームルイス一行とスチュワードには、会場となるマンダレイベイリゾート・ホテル&カジノのスイートルームが宛がわれていた。
「今回はね、フットワークを使うように指示している。そして休み無く、しつこいくらいにジャプを出せ、-それでチャンスを作ったら、コンビネーションといつのが我々のプランさ。初回から、レノックスのエキサイティングなボクシングをお見せすることになるだろ. 6ラウンドから8ラウンドの間に、ラクマンをノックアウトするよ」
名トレーナーは、本来の力さえ出せればラクマンなどルイスの敵ではない、と達観した様子だ
「この試合が済んだら、次はタイソン戦だな。4月か5月に実現するんじゃないか。タイソンを相手にしてもレノックスが中盤までにKOで勝つよ」
――ラクマン戦の敗北は、いい薬になったのでしょうか?」
「どうかな。リラックスし過ぎたことを彼は十分に反省したから、学んだことは少なくなかったと思うよ」
リラックスし過ぎ。スチュワードが懸命に言葉な選びながら、繰り返しこの表現 用いていたところが可笑しかった。
フロックだったとはいえ、南アフリカでのタイトル獲得により住む世界が一変した29歳の新チャンピオンは、執拗にルイスを扱き下ろした。ラクマンの発言の数々は、ルイスへの挑発とも受け取れた。
「自分の名前を世界中に広めてくれた前王者に感謝する」「前回と同じようにノックアウトを飾ってみせる」「ジャブの刺し合い? オレの方が鋭いだろう」「愛してるぜ、ルイス。オレを金持ちにしてくれたんだからな」
さらには再試合決定後、米国のスポーツ専門テレビチャンネル、ESPNに前チャンピオンとの対談形式で出演した折には、「ゲイ野郎」と言い放ち、怒りに震えたルイスとスタジオを破壊しながら揉み合いを演じてみせた。
両者の行為は称えられる筈もなく、特にラクマンの発言は低俗極蛮りないものであったが、私はルイスにもこのよる怒りのエネルギーが潜んでいたのかと、妙に安心した。加えて、ラクマンへの憤りが激しければ激しいほど、試合は白熱するに違いない、とも思った。
ボディガードやESPNのスタッフが必死に納めようとしても、ルイスは彼らを振り払い、ラクマンに近付こうとした。ルイスの持つこのような残虐性を見たことは無かった。その姿はマイク・タイソン的とも言えた。
燻り続けていたルイスだが、リターンマッチでは「闘い」を見せるかもしれない。ついに、彼が心を燃やしてリングに上る日が来たのではないか。スチュワードの口調は普段と変わらぬ冷静なものだったが、私は彼の言葉高きながら、希望を込めてこれまでとは違ったルイスを連想した。
長いキャリアのうちルイスが挑戦者として世界タイトルマッチを闘うのは、これが初めてである。試合会場に現れた時、彼の瞳の奥に、いつもと違った決意のようなものが見えた。リングに上がると、冷めた目でラクマンを見据え、ゴングが鳴る前から今にも飛び掛からんばかりの気配を漂わせる。
「やっと、闘志に満ち溢れたルイスが見ることができる」
そう思うと、私も胸が高 まった。
ゴングが鳴るとルイスは、相手を迎え撃つ普段のスタイルではなく前傾姿勢に構えて積極的にジャブを衝いた。それは、オフェンス主体の闘いを することを意味した。前回より、7パウンド絞った体で軽やかに足を使う。ジャプ、ジャプ、ジャブ。上下にジャブを打ち分け、ラクマンの正面、やや左、低い位置と休み無くポジションを変えて攻撃する。ラクマンの立ち上がりも決して悪くなかったが、ポンポンとジャブを浴びせながらルイスは試合の流れを掴んだ。
3ラウンドに入ると、ルイスはノックアウトのタイミングを計り出した。1分過ぎ、二つのジャブから右ストレート、左フックを放つ。その攻撃は殺されたが、ルイスの強打が爆発するのは、時間の問題だった。ラウンドが終チるまでに左フック、右ストレートのコンビネーションを2度見せる。
続く第4ラウンド。序盤に左フックから右のパンチを打ったルイスは、余裕持って獲物を観察する。ジャブの数を減らしプレッシャーを掛けながら、ジワジワと相手をロープ際に追い込んだ。そして、1分13秒,左フックの捨てパンチから、右のロングフックを放つ。ルイスの右をモロに左顎に喰らったラクマンは、血を滴らせながらキャンバスに仰向けになる。立ち上がろうとしたが、もう一度仰向けに倒れ、レフリーが腕を交差した。
1分29秒、ルイスKO勝ち。スチュワードや側近たちがリングになだれ込んで祝福するなか、ルイスは激しく右の拳で胸を叩き、勝利の雄叫びを上げた。次の瞬間には、コーナーポストによじ登って両腕を上げる。いつもクールに振舞う彼にしては、珍しい米景だった。
私は、そんなルイスに釈然としないものを感じた。久方ぶりに、前向きに闘うルイスを見ることが叶いはしたが、彼の能力をもってすれば、ラクマンをノックアウトするのは当然である。狂喜するほどのことでもないだろう。
試合後のインタビューで、ルイスは「ラクマンの勝利がラッキーパンチに過ぎなかったことを証明できたと思う」と語り、「次はタイソンと闘う」と付け足した。
(つづく)