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アンジェリーナ・ジョリー、長男が大学へ。特別の絆を築いた母子の18年

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「最初に父が殺された」プレミアに出席したアンジェリーナ・ジョリーとマードックス君(写真:Shutterstock/アフロ)

 苦労して育てたわが子が、ついに巣立っていく。世の中の親が抱く感慨に、今、アンジェリーナ・ジョリー(44)も、浸っている。6人いる子供のうち一番上のマードックス君が、韓国の延世大学に進学すべく、親元を離れて行ったのだ。

 マードックス君は、アメリカ国内の大学にも合格したのだが、あえて遠くにあるこの大学を選んだのだと報道されている。その選択に、父であるブラッド・ピットは関わらせてもらえなかったのだそうだ。シングルマザーとしてマードックス君を迎え入れたジョリーは、18年後の今、再びシングルマザーとして彼を送り出したわけである。それはまた、彼女の人生においても、大きな門出だった。

夫よりも、遠い地で生まれた赤ちゃんを選んだ

 ジョリーがカンボジアから養子を迎え入れると決めたきっかけは、「トゥームレイダー」(2001)のロケで初めて現地を訪れたことだ。第三世界の現実を目の前にし、強い衝撃を受けた彼女は、これを機に慈善活動に目覚める。

 現地の孤児院から赤ちゃんをもらいうけたのは、2002年春。その発表は、当時の夫ビリー・ボブ・ソーントンと一緒に行ったのだが、すでに過去の女性たちとの間に子供をもっていたソーントンは、今から子育てをすることを本音で望んでいたわけではなく、その2ヶ月後、ふたりは破局。27歳になろうとしていたジョリーは、夫よりも、遠い地で生まれた赤ちゃんを選んだのだった。

 だが、彼女によると、選んだのは自分でなくマードックス君なのだという。彼が彼女に笑いかけてきて、運命のつながりを感じたのだと、ジョリーはたびたび語っているのだ。とにかく、そこから、おしめの替え方すら知らないジョリーの新米ママ生活が始まることになった。そして、それは、彼女に、これまでにない生きがいと、新たなアイデンティティを与えてくれることになる。

 実際、以後、マードックス君は、インタビューにおいて、彼女のお気に入りのトピックとなっている。「テイキング・ライブス」(2004)公開時に取材を受けてくれた時、マードックス君は2歳半で、「お話ができるようになって、独立心も出てきたから、見ていてとても楽しい。強くて立派な子よ」と話していた。この取材で、彼女は、「あと2、3年で女優業は引退する」とも言っている。「マードックスが学校に上がったら、毎日送り迎えをしてあげたいし、お弁当も作ってあげたい。その頃までにはもうひとり養子を取りたいし」というのが、その理由だ。その頃、彼女はまた、世の中には親のいない子供がたくさんいるから、自分の子供を作るつもりはないとも、繰り返し語っていた。

血がつながっていてもいなくても、感動は同じ

 そんな時に出会ったのが、「Mr. & Mrs. スミス」(2005)で共演したピットだ。撮影現場でマードックス君は子供好きのピットにすっかりなつき、ピットが妻ジェニファー・アニストンと破局すると、彼らはすぐさま3人家族を形成する。ジョリーがエチオピアからザハラちゃんを迎え入れた時もピットはそばで彼女を支えたし、2006年には、血のつながった娘シャイロちゃんが誕生した。翌年にはベトナムから当時3歳だったパックス君を引き取り、まもなく双子のノックス君とヴィヴィアンちゃんも生まれる。

 血のつながっている子が生まれたら、自分はもしかしてその子をひいきしてしまうのではないかという不安は、実のところ、彼女にもあったそうだ。しかし、その心配は無用だった。2006年、「グッド・シェパード」が公開された時のインタビューで、彼女は、シャイロちゃんが生まれた時について、「マッド(マードックス君)やザラ(ザハラちゃん)に初めて会った時と、感動は全然変わらなかった」と明かしている。

 そうやって弟や妹が増えても、ママにたくさんの“初めて”を与え続けるマードックス君は、ずっと特別な存在であり続けた。彼が12歳の時、ジョリーは、「あの子にはもうガールフレンドがいるのよ」と得意そうに語っていたし、彼女が監督した2017年の「最初に父が殺された」で、マードックス君はエグゼクティブ・プロデューサーの肩書きを得ている。原作の回顧本を書いたカンボジア人活動家ルオン・ウンは、ジョリーがカンボジアから養子を取るべきかどうか迷っている時に後押しをしてくれた人だ。一周して、彼らは、とても素敵な形で、すべてが始まった地へ戻って来たのである。

母の願いは思いやりのある人になってくれること

 その映画が完成し、トロント映画祭で上映された時、ジョリーは再びシングルマザーとしてマードックス君の横に並んだ。そして今また、この固い母子の関係は、新たなステージを迎えたのである。ロケに行くのも一緒、国連活動に行くのも一緒だったマードックス君は、なかなか会えない場所に行ってしまった。

 だが、その決断をした息子を、彼女は心から誇らしく思っていることだろう。彼女はずっと、「子供たちには世界の市民になってほしい」「自分の好きなことを自分で見つけてほしい」と言ってきたのだ。カンボジアと陸続きの、だがよく知らない土地である韓国で、映画の世界とはほど遠い生化学を専攻するというのは、母のそんな願いをかなえるものと思われる。

 しかし、それ以上に強く彼女が望むことがある。他人に対して思いやりをもつ人間になってほしいということだ。

「素敵なもの、素敵なことを楽しめる生活をしているからと言って、罪悪感を覚えなくてもいい。だけど、それを他人とシェアできる人になってほしい」と、2014年のインタビューで、ジョリーは語っていた。彼女はさらに、「だけど、すでに、わが子たちはそうなっていると思うわ。世界で起こっていることを、自分の目で見ているから」とも続けている。それが、この母の思い、この母の誇りだ。それを背負いつつ、この青年は、ここからどこへ、そしてどんな形で、羽ばたいていくのだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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