藤沢和雄と武豊、日本を代表するタッグが挑んだ英GⅠを振り返る
05年に競馬の本場へ挑んだ日本の王者
今年はミシュリフの圧勝に終わったイギリスのインターナショナルS(GⅠ)。この夏の大一番に、今から16年前に挑んだ日本馬がいる。
2005年、イギリスに渡ったのはゼンノロブロイ(牡、美浦・藤沢和雄厩舎)。このサンデーサイレンスの直仔は、前年に天皇賞(秋)(GⅠ)、ジャパンC(GⅠ)、有馬記念(GⅠ)と秋のチャンピオンロードをコンプリート。2年前に引退したシンボリクリスエスに代わり、時代のトップに君臨してみせた。
8月16日がレースとなったこの年、日本のチャンピオンホースは1ケ月近く前の7月19日には現地入り。競馬の聖地ニューマーケットで調教を積まれた。
「輸送した直後は熱発したけど、すぐに治まりました。レースまで日もあるのでそのあたりは全く心配ないでしょう」
そう語ったのは入国に合わせて自身も現地入りした藤沢和雄。無事を見届けると一旦、帰国。レース前に再度、競馬発祥の地に入った。
レース当日、スタンドで愛馬の到着を待つ伯楽は、向こう正面の厩舎地区から内馬場を横切るように設えた細い馬道のラチに目をやり、言った。
「昔はあんなラチは無かった」
今は1500勝トレーナーとなった藤沢だが、JRAに入る前にはイギリスで修行をした時期があった。ニューマーケットで馬と向き合った期間は4年間。「馬の“いろは”を教わった」と言い、更に続けた。
「自分の場合、日本のトレセンに入る前にニューマーケットで学んだのは大きかったです。日本の常識みたいな事を知らなかったから、向こうのやり方を素直に取り入れられた。それが当然だと思って、何も疑う事なく、学べました」
例えば馬の叱り方。鞍下が暴れたり、指示に従わなかったりした時に、頭ごなしに叱る事はせず「なぜそうなったか?」を考えてから行動に移すのが、競馬の聖地では当然の事だった。結果、例え暴れた時でも馬に非がない、悪気がないと判断すれば、本当のホースマン達は決して叱りつけなかった。
「日本のトレセンで働き出してから、人間が自分の都合で馬に怒っているのを見て、ショックを受けました。多くの場合、自分に乗りこなす技術がないだけなのに、馬のせいにしているのです」
それは叱っているのではなく、怒っているだけだと憤りを覚えた。自らが調教師となった後は、スタッフにそのような態度は許さなかった。
ニューマーケットからの手土産はそれだけではなかった。いや、逆にニューマーケットに置いて来たいわゆる置き土産がゼンノロブロイを救う事になった。
ゼンノロブロイは現地ではジェフリー・ラグ厩舎に入厩した。藤沢は言う。
「私がイギリスにいた時には彼のお父さんが厩舎を開業しており、よくしてもらいました」
ゼンノロブロイは1頭での遠征だったため、陣営が調教パートナーを探していると、この厩舎の厩舎長が言った。
「自分が見習い騎手としてニューマーケットに来た時、カズがいた。仲間内でやったクリケットに呼んだら彼だけ野球のスイングをしていたので笑ってしまったけど、馬に対しては真摯に向き合っていたのもよく覚えているよ」
そんな彼が併せ馬の相手を用意してくれたのだ。
「そのお陰もあって良い感じで仕上がりました」
現地で調教を任された鹿戸雄一(当時、騎手、現調教師)はそう語った。
一歩及ばず惜敗
レース当日、鞍上を任されたのは武豊。日本を代表する調教師と騎手とのコンビでの挑戦だった。天才騎手は競馬場に到着後、すぐに自らの足で歩いて馬場を確認したが、ゼンノロブロイに騎乗するのはこれが初めて。返し馬の時点で次のように感じた。
「見た目以上に馬場が緩くて、少しノメる感じでした。それに馬自身、少々大人し過ぎる雰囲気だったけど、それでもキャンター自体は走る馬に共通した“ブレのない真っ直ぐ走る”動きをしてくれました」
スタートが切られた後、レース前に感じたその印象が良い意味でも悪い意味でも的中した。大人しかったせいかは分からないが、後方からの競馬になったゼンノロブロイは、道中、ノメる素振り。最終コーナー手前で早くも武豊の手が動いた時には『厳しいか?!』と思えたが、諦めない鞍上に、鞍下もその能力で辛抱して進撃を開始した。
「ここの競馬場は直線が終わってカーブに入る直前にゴール板があるので、日本の競馬場に慣れている馬だと、直線の半ばで走るのをやめてしまうかもと思い、最後まで必死に追いました」
結果的に連打した事で制裁をもらうのだが、これについてはレース前から次のように語っていた。
「こちら(イギリス)では鞭の御法次第で騎乗停止になるけど、着順変更で降着にはならないから接戦になった際は制裁覚悟で追いますよ」
そんなナンバー1ジョッキーの鼓舞を受け、日本のチャンピオンホースは内で粘る各馬をかわしていった。藤沢も鹿戸も「勝てるか?!」と一瞬、思ったが、次の刹那、エレクトロキューショニストが急襲。ゼンノロブロイはクビだけ遅れ、2着でゴールとなった。
引き上げて来たゼンノロブロイを見ながら藤沢は「ノメッたのに、よく頑張ったな」と言うと、ポンポン、と愛馬の肩あたりを愛撫するように叩いた。
同じ時、担当の川越靖幸厩務員には1通の封筒が手渡された。その封筒にはベストターンドアウト賞(最も手入れが行き届いていると思われた馬の関係者に送られる賞)の受賞を報せる封書がしたためられていた。本場ヨーロッパの各馬を尻目にゼンノロブロイが同賞を受賞したのである。しかし、日本が誇る伯楽はニコリともせずに言った。
「求めていたのはそこじゃないので、嬉しくはないです。今回は私の力不足でしたがロブロイは最後まで一所懸命に走ってくれました。イギリスへの恩返しはまた別の機会に出来るよう、頑張ります」
来年の2月に厩舎をたたむ藤沢に残された時間は少ないが、たとえ調教師でなくなっても何等かの形で“恩返し”出来る機会が訪れる事を願いたい。そしてそれが日本のナンバー1ジョッキーとのタッグでのリベンジであれば、どれだけ嬉しいだろう。現実的に厳しいのは百も承知だが、そう願わずにはいられない。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)