ラヴズオンリーユーのラストランを日本で見守った1人の若者の現在の願い
騎手を目指した後、海外へ
12日の香港カップ(GⅠ)を制したラヴズオンリーユー。日本の自宅でテレビ観戦をしながら、この牝馬に声援を送っていた若者がいた。
「とにかく無事に走り終えてほしいという気持ちで見ていました」
そう語ったのは吉田翔哉。1998年3月24日生まれで現在23歳。今年だけで海外GⅠを3つも勝った名牝と、少なからず縁があった。
彼に初めて出会ったのは2018年。場所はアイルランドだった。更に遡ること2年。16年には共にオーストラリアのメルボルンに滞在。現地の競馬場でニアミスをしていた。当時の彼はまだ18歳。どういう生い立ちで世界中を飛び回り、ラヴズオンリーユーに関わったのか。そしてラヴズオンリーユーがラストランを終えた現在、どういう気持ちでいるのか。紹介していこう。
父・一成、母・恵美子の下、3人兄弟の長男として滋賀県で育てられた。
「小学5年生から高校を出るまで栗東トレセンの乗馬苑で乗馬をしました」
騎手への登竜門とも言える少年団やジュニアチームにも籍を置いた。
「ポニー競馬の関西予選に出場(10年)し、競馬学校の騎手課程も受験しました」
しかし、大柄だったせいか、二次試験でふるいにかけられるときっぱりと騎手を諦めて高校に進学した。
「在校中の休暇を利用して、伯父がやっている牧場で働かせていただきました」
その牧場は吉田ステーブル。伯父とは公営の元騎手・吉田稔だった。
「他にもパカパカファームや信楽牧場で短期研修をさせていただきました」
そんな頃、信楽牧場場長の子息・中内田充正が調教師試験に合格。聞くと、海外の学校で馬の勉強をしていた事を知った。
「中内田先生から直にアドバイスをいただくと、自分も外国へ行って馬の事を学べる学校に入りたいと考えるようになりました」
16年3月に高校を卒業。自動車免許を取得した後、5月にはオーストラリアへ飛び、当時かの地では飛ぶ鳥を落とす勢いだったD・ウィアー厩舎やM・モロニー厩舎等で働いた。
翌17年には日本の牧場時代に知り合った人の伝手でアイルランドへ飛んだ。そこで国立のメイヌース大学に入学。21年9月に卒業するまでエクワインビジネス課で経営面も含めた馬全般について教わった。
「もっとも、実践は学校以外で学んだ事の方が多かったです。在学中に厩舎で調教に乗ったり、競馬場で手伝ったりしました。女性や小さい子供でも普通に馬に乗ったり引っ張ったりしているし、馬は大人しいし……。毎日、考えさせられる事ばかりでした」
最前線でもっと学びたいと思うのは自然な事だった。途中、休学して、渡仏。F・グラファード厩舎で調教ライダーをした時期もあった。
また、期間中にはJRAの研修で関係者が訪れる事もあったし、ディアドラが愛チャンピオンS(GⅠ)に出走するなど、日本の関係者と出会う機会も幾度かあった。
そんな中、18年には修行のためにアイルランド入りしていた騎手の野中悠太郎と知り合った。
「フランスへ飛んで一緒に凱旋門賞(GⅠ)を観戦するなど、仲良くさせていただきました。修業のために単身で海外へ来るだけあって、凄く真面目に取り組まれていて、見習わなくてはいけないと思いました」
父へのお願いと聞き入れてくれた伯楽
さて、その凱旋門賞では野中の他にもう1人、一緒に観戦した男がいたと言う。
父・一成だった。
彼は栗東トレセンで調教助手をしていた。18年には研修で欧州入りしていたので、一緒に欧州最大の1番を観戦したのだ。
それから3年。この9月には大学を卒業し、帰国すると、父に1つの頼みごとをした。
「アメリカのブリーダーズカップへ連れて行ってもらえるよう、お願いしました」
父の担当馬が、ラヴズオンリーユーだった。
「結果、矢作(芳人)先生が許可してくれた事で、帯同させてもらえました。忘年会等で面識があったといえ、管理馬が世界へ挑むという大事な時に、僕のような何の実績もない人間の帯同を承認してくれる矢作先生は“器が大きい”と改めて思いました」
現地ではラヴズオンリーユーの他にマルシュロレーヌにも乗り運動では跨らせてもらった。また、現地のポニーにも騎乗して、両馬の誘導を行った。
「全てが勉強になりました。2頭共、1頭になった途端、前掻きをしたり、ピーピー啼いたりしていました。帯同馬の大事さがよく分かりました」
また、レース当日の馬場入りの際には、調教時と同じポニーを用意してくれるようリクエストする等、矢作厩舎の微に入り細を穿つ姿勢にも感嘆した。
「ラヴズオンリーユーは装鞍時にうるさい面があるらしいのですが、ポニーを前に立たせたら静かにしていました」
結果、見事にブリーダーズCフィリーアンドメアターフ(GⅠ)を優勝。日本馬として初めてブリーダーズCを制すと、マルシュロレーヌもブリーダーズCディスタフ(GⅠ)を勝利。瞬く間に北米最大級のレースを2勝した。
「マルシュロレーヌはパドックで引っ張らせてもらいました。アイルランドでもパドックで引いた事があったけど、GⅠは今回が初めて。それでいきなり勝ったので興奮しました」
また、大一番を前にしても変わらない父の姿勢にも驚いたと言う。
「勝った時はさすがに嬉しそうだったけど、レース前は普段通りの雰囲気でした。でも、これは父だけでなく、矢作厩舎のスタッフ皆がそういう感じでした。皆、仲が良くて、ストレスフリーの働きやすい環境という感じで、だから、特別な緊張感もなく臨めるのだと思うし、馬も走るのだと感じました」
最後の願い
ブリーダーズCの後、ラヴズオンリーユーと父は香港へ飛んだが、吉田は日本へ戻った。
「本当なら僕も香港へ行きたかったのですが、コロナ禍という事もありビザがおりず、帰国せざるをえませんでした」
だから先日の香港カップは自主隔離中の自宅で、テレビを通して観戦した。
「前日、父と電話で話したら『ラストランだし、とにかくまずは無事に回って来てほしい』と言っていて『本当にそうだなぁ……』と思いました。実際、当日には他のレースで大きな事故も起きていたので、尚更“無事に”という気持ちが強くなりました」
結果は皆さんご存知の通り。無事に回っただけでなく、先頭でゴールを駆け抜けた。
「ヒシイグアスに負けそうになった時はヒヤッとしたけど、最後は何とか抜け出してくれて、思わず声が出ました。僕自身、愛着のある馬なので本当に嬉しかったです」
早速、その晩、父に改めて電話をした。すると……。
「勿論、喜んではいたけど、勝った事よりも無事にラストランを終えた事の方が嬉しい。そんな感じを受けました」
「今後に関しては未定」と語る吉田だが、ただ1つだけ、決めている事がある。
「ラヴズオンリーユーの引退式には何としても駆けつけたいと思っています」
コロナ禍により関係者に対しても厳しい入場制限が続いているが、彼の願いがかなう事を祈りたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)