「性暴力」で激しい告発を受けた『DAYS JAPAN』広河隆一さんの手記の中身
月刊『創』は世の中でバッシングされている人たちの手記を載せることが多い。別に弁護するということではなく、世論が一色になっている時に違った声や異論に目を向け、考えるための素材にしてほしいと思うからだ。「敢えて火中の栗を拾う」のも時として必要と考えている。特に何かの事件について議論する時に当事者の生の声を聞くことは必要だ。
7日発売の『創』4月号に『DAYS JAPAN』元編集長兼発行人の広河隆一さんの手記を載せたのもその一例かもしれない。何せ、女性の敵どころか、人類の敵といった言われ方で袋叩きにあっている最中だ。事件後、まとまった形で本人が発言するのは初めてだし、弁護士も最初、逆に炎上してしまうことを心配したようだ。私も本人から相談を受けた時は、その影響についてちょっと考えた。でも編集者としてやるべき仕事と考えて、『創』の誌面をさくことにした。
広河さん告発の端緒になったのは『週刊文春』1月3・10日号の「世界的人権派ジャーナリストの性暴力を告発するという」という記事だった。ちょうど発売されたのは12月26日、安田純平さんを招いて『創』や新聞労連などが共催でシンポジウムを開いた当日だった。シンポジウムには、戦場取材を行ってきたジャーナリストなどがたくさん集まったし、広河さんと面識のある人も少なくなかったので、打ち上げではもちろん話題になった。
さらに年明け、『週刊文春』は2月7日号で「『広河隆一は私を二週間毎晩レイプした』新たな女性が涙の告発」という第2弾を載せた。前の記事以上に衝撃的な内容だった。セクハラどころか性犯罪というべき話がそこに書かれていたからだ。
それまで広河さんは、反権力や反原発の姿勢で知られている人だったから、いわゆるリベラルと呼ばれる人たちの間ではこの事件は大きな衝撃となった。そもそも『DAYS JAPAN』自体が、戦争下での人々の姿を伝え、慰安婦問題や世界の性暴力を告発してきた雑誌だった。そういう雑誌を作ってきた広河さんが性暴力で告発されたというのは、考えて見れば極めて深刻な事態だった。
そういう深刻な事態だからこそ、何が問題だったのか、なぜそういう事態が起きたのか、事態を検証し、切開していかなければならない。『創』が広河さんの手記を掲載したのはそういう狙いからだった。
既に報じられているように『DAYS JAPAN』は既に3月で休刊することが決まっており、3月20日発売の最終号でこの問題を総括することになっている。既にその前の2月号でも白い表紙に「広河隆一『性暴力告発記事』を受けて 謝罪と私たちの決意」と大書された検証特集が掲載されていた。
その『DAYS JAPAN』最終号での検証と、今回の『創』での手記を材料に、『週刊文春』が告発した今回の問題を掘り下げみなければ、と思う。その意味もあって、『創』は次の5月号に広河さんの手記の続きと今回の手記の反響も載せることにしている。
ここで『創』4月号に掲載した広河さんの手記の一部を紹介しよう。長い手記のどこをピックアップするかというのも難しいことだが、敢えて私の主観に従った。
広河隆一さんの手記の一部
《『週刊文春』の記事により、私はすべてを失うことになった。私はDAYSの代表職と、取締役を解任され、他の名誉職や顧問になっていた救援運動からも解任された。審査員からも降りた。かつて私が設立した救援団体から、一瞬の間に私の名前が消えた。信頼関係を持っていた友人たち、お世話になっていた知人たち、救援運動やDAYSの運動の同志たち、支援者たち、定期購読者たち、ボランティアの人々、私の写真展や映画上映会を開いてくれていた人々、フォトジャーナリズムに夢を持つ若い人々にも、社員にも家族にも、取り返しのつかないダメージを与えた。そして私は人目を避け、ほとんど人に出会わない場所にこもった。
『DAYS JAPAN』は、この15年間に40を超える「女性への性暴力」の企画を取り扱ってきたが、これは私の敷いてきた路線であり、正しいことだと信じていた。私は、まさか自分がセクハラで訴えられるとは想像もできなかった。『DAYS』で扱った「女性への性暴力」と、私の「女性への性暴力」はどこが違っていたのだろうか。
『DAYS』の休刊と会社の解散は9月末の臨時役員会議で決まっていたが、なんとかこの雑誌のソフトランディングをしたいと私も役員たちも考えていた。しかしこの雑誌の15年の実績を、よりによって私自身が一挙に踏みにじり、泥まみれにする結果となった。》
《12月26日、『週刊文春』の発売日、私の解任告知とともに、『DAYS』には謝罪文が発表された。
「この記事に関して、私は、その当時、取材に応じられた方々の気持ちに気がつくことができず、傷つけたという認識に欠けていました。私の向き合い方が不実であったため、このように傷つけることになった方々に対して、心からお詫びいたします。
2018年12月26日 広河隆一」
『週刊文春』の記事タイトルから、7人の女性に対してあからさまな暴力をともなう性暴力事件を起こしたと受け取った人は、このお詫びの文面を「なんだこれは」と思っただろう。「なぜすぐに逮捕しないのか」と言う人もいた。また、深く心に傷を負い10年近く苦しんできたと訴える人が、こんなお詫びの発表で納得するはずがない。
私もまず一人ひとりに面談を求め謝ることを考え、そのことを以前からの知り合いの森川文人弁護士と、セクハラ問題を扱っている女性弁護士に相談した。2人は拙速な謝罪をすることに反対した。被害者にとっては「謝ればいいと思っているのか」「会えば何とかなると思っているのか」「復讐されるかもしれないので会うのは怖い」などと受け止められる可能性が高いというのだ。そして今はこの問題の中身をしっかり学んで、それによって反省して、そのあとでようやく謝罪できるのではないか、と言った。》
《『週刊文春』が発売され、新聞、テレビも後追い報道をし、私は人目を避けて、引きこもり、なぜこんなことになったのかと呆然としていた。
どこに行っても軽蔑の目にさらされているように思え、道を歩くときはマスクで顔を隠したが、「私は日本で一番恥ずべき人間」とされていることを身にしみて感じていた。ネットの世界では、私の家族があからさまにされていった。私の孫の学校でも、親戚の仕事場にも、ネットは実名を挙げて駆け巡った。自分の行為に端を発するとはいえ、悔しい思いがあふれた。》
現実は30年遅れているのかもしれない
手記のタイトルは「『性暴力』について謝罪し30年遅れで学ぶ」だ。「性暴力について30年遅れで学ぶ」というのは広河さん自身が原稿につけてきたタイトルだ。性暴力というものについて理解していたつもりがそうでないことを突きつけられ、「30年遅れで学ぶ」というのが、広河さんが自らに課した課題だという。
この1年ほど、セクハラや性暴力について、日本社会は大きな転換を果たしたような気がする。#Me tooに象徴されるように、女性側からの様々な問題提起や告発が行われた。広河さんの事件とともに、大きな議論になったのが週刊『SPA!』12月25日号の記事だった。今時、「ヤレる女子大学生ランキング」という企画の発想自体、「30年遅れ」というほかない。後で検証記事を載せていたが、編集部には女性もいるというが、現場から反発はなかったのだろうか。
でも昨年、休刊にまで追い込まれた『新潮45』の記事もそうだが、この1~2年、性差別やジェンダーをめぐってものすごく大きな変化が日本社会にも訪れつつあるのだが、メディアの側の意識がそれに追いつけていないのかもしれない。期せずして同時期に起きた『SPA!』と『DAYS JAPAN』の事件は、一般に思われている以上に深刻な問題を提起しているような気もするのだ。
月刊「創」