袴田事件など相次ぐ冤罪の教訓は反映されたのか。法制審・特別部会「事務当局試案」を読む。
■ 法制審特別部会の試案
足利事件や、郵政不正疑惑事件等、相次ぐえん罪事件や検察不祥事を受けて、法務省・法制審議会の特別部会として設置された「新時代の刑事司法特別部会」。
2年ちかく議論を進めていたが、4月30日に、事務局をつとめる法務省からとりまとめの原案として、「事務当局試案」なるものが公表された。
そもそも、この特別部会は、「新時代」などと聞こえはいいが、捜査当局の捜査過程での不祥事、冤罪、証拠改ざん、自白強要などがあまりにも多く続き、国際社会からも人権侵害と指摘され続けてきただけでなく、えん罪事件が相次いで明らかになり、供述に頼り過ぎの捜査と公判のあり方を抜本的に見直すために設置された。
それは、この特別部会の前に設置されたのが、郵政不正疑惑事件(村木局長事件)であり、担当検事が証拠改ざんをして逮捕されるという異例の事態を受けて、法務大臣のもとに「検察の在り方検討会議」が急きょ設置され、その議論の末、「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直し,制度としての取調べの可視化を含む新たな刑事司法制度を構築するための検討を直ちに開始する」との提言が出されたことを受けたものであることからも明らかだ。
■ 原点が忘れられていないだろうか。
この間、冤罪事件はなくなるどころか次々と明るみに出て、東電OL事件、布川事件、そして死刑囚の冤罪が明らかになり、社会に深い衝撃を与えた袴田事件、と再審無罪が相次ぎ、PC遠隔操作事件の虚偽自白なども問題となった。
米国や英国などでは、このような事態が起きた際、誤判原因究明のための独立した調査委員会が政府等によって立ち上げられ、徹底して誤判原因を調査して、改革のための提言をし、刑事司法改革を進める、ということが行われてきた。
日本でもこれだけえん罪が相次いだのであるから、徹底した誤判原因究明をし、それを正面から反映した改革提案がなされるべきであるが、
「事務当局試案」をみると、えん罪事件の教訓が十分反映され、えん罪が二度と繰り返されないような抜本的な改革とはとても評価できない。
議論の過程でテーマは掘り下げられるどころか極端に絞り込まれ、甚だ不十分な論点整理が進み、えん罪防止のための改革提案は極めて矮小化されてしまった。また、まるで、弁護士会、捜査側の双方の妥協点をすり合わせ、弁護士会に花を持たせる代わりに捜査側にも武器を与えて花を持たせる、という、取引のように話が進んでいる。
肝心のえん罪の根絶、という原点を忘れているのではないか、と強く問いたい。
しかし、村木厚子さんや、周防正行監督などが委員として奮闘され、法務官僚の言いなりにならないよう心を砕いてくださった。
そこで、どこまで改革が提起されているのか、事務当局試案をみてみたい。
■ 取調べの可視化
被疑者取調べの全過程を録音・録画で記録することにより、取調べの強要を防止し、自白の任意性・信用性について全過程をみて判断することを可能にしよう、という改革である。
今回の改革の焦点の一つであり、検察の在り方検討会議の頃から既に提言されていた改革であり、本来、とっくに実現しているべき改革である。
今回、
ということで、全プロセスの可視化が提案された。
それまで警察などは、一部でいいじゃないか、全部の必要はない、と言い続けてきたが、それでは都合のよいところだけ録音・録画したり、その記録媒体を証拠として請求してくるだけで、ビデオが回っていないところで拷問や恫喝など、自白強要がなされる場合を防げないし、暴けない、ということになる。やはり全プロセスの可視化が必要ということは当然であり、当然の提案といえる。
これはよし、としよう。
しかし、どの範囲で実施するのか、が問題である。
事務当局試案をみると、可視化の対象事件をどの範囲にするか、については、2案が提示され、
A案は裁判員制度対象事件のみ、B案はすべての身柄事件、だという。
しかし、裁判員裁判になる事件は殺人、傷害致死、放火などで、その数は起訴された全ての事件の3%にすぎない。
そして、痴漢のえん罪・否認事件だったり、PC遠隔操作事件だったり、郵政不正事件の村木さんの事件などは裁判員制度の対象外であり、そうした97%の事件について、実は自白強要が繰り返されてきたのだ。
日頃一般市民が誤認逮捕されて困りそうな身近な事例に改革が及ばないというのは問題である。
これまでの冤罪の教訓を考えるなら、裁判員裁判にならない事件であっても、全過程の可視化を進めるべきである。
このように、対象範囲がまだ両論併記のままであるうえ、さらに、試案は、可視化しなくてもよい例外をとても広範に認め、すこぶる捜 査機関に対して気前が良い。例外は以下のとおりだ。
あまりに例外が多く、かつ上記の3などはとても曖昧、広範で、なんでも例外に扱われかねない。
3%の事件に限定し、そのうえ、広範に例外を認めるというのでは、改革は非常に限定された範囲にとどまる。
これでよいはずがない。
■ 証拠リストの開示 ■
検察官手持ち証拠のなかに、被告人に有利な証拠があるのに、隠されて有罪にされているケースは本当に多い。
最近の冤罪では、東電OL事件しかり、袴田事件しかりである。被告人の無実を示唆する証拠があるのにそれを訴追側が無視して、無実の人の立証手段を奪い、えん罪に陥れるなど、あってはならないことなのに、これまでそうしたことが続いてきたのである。
そこで、弁護士会なども、検察官の手持ちのすべての証拠の開示を求めてきたが、イギリスでは証拠のリストがまず開示されるというので、せめてリストを開示してほしい、という話が進んでいた。
この点、事務当局試案は、
として、リストの開示を法改正で盛り込む案を提示した。これはまず一歩前進といえるであろう。
しかし、いつも例外をつけて、改革にブレーキを踏む法務省の特性がここでもあらわれている。
上記の法文の提案のすぐあとに、このような条文をつけたすことを忘れない。
これも大変曖昧である。濫用的に使われ、いつしか、多くの事件では黒塗りばかりの一覧表が出てくるのではないか。これも例外を撤廃させるか、極めて厳格に限定するほかない。
■ 再審事件の証拠開示に言及なし
このような証拠開示に関する改革は、通常事件のみであり、再審事件は適用外とするのが、事務当局試案である。
しかし、この間の最大の教訓は、袴田事件でも、東電OL事件でも、再審事件で被告人に有利な証拠が隠されてしまい、検察庁が頑なに開示してこなかったことである。
そして、最後になってようやく開示された証拠が、被告人の無実を示唆するものだったのだ。
長年にわたって無罪を示す証拠を隠したまま、無実を叫ぶ人をえん罪被害に突き落とす、死刑囚や無期懲役囚の立場に突き落とす、本当にあってはならないことであるが、それが起きたのである。絶対に許せないことである。私はこうした行為は深刻な職権犯罪に該当すると考えるが、逮捕されたり処罰されたためしがない。
このようなこの間の教訓をみるならば、再審事件こそ、全面開示すべきである。再審事件には、検察がよく証拠隠しの口実とする「罪証隠滅の恐れ」などない。
また、米国と同様、被告人に有利な証拠については、検察官が開示義務を負い、これに違反する場合は、憲法のデュープロセス違反となる、ということを法律で明確に定めるべきだ(ブレイディ・ルール)。
事務当局試案は、こうした、これまでのえん罪事件の深刻な教訓・反省に立脚し、誤判原因をなくし誤判救済を進める、という視点が欠けている、といわざるを得ない。是非再考してもらいたい。
■ ほかにもたくさんある、見送られた改革
この、取調べの全面可視化、証拠開示の拡充が、えん罪防止のための改革として絞り込まれた挙句提案されたものである。
このほか、
・取調べ時間の制限
・取調べへの弁護人の立会い権の付与
・被告人・再審請求人がDNA鑑定にアクセスする権利の保障と、鑑定資料の保存義務
なども論点として提案されたが、十分な理由もなく、見送られた。
特に、再審事件におけるDNA鑑定が非常に重要となっているいま、なんとなく実務で鑑定を認める積み重ねをしているからと言って、被告人の権利としてきちんとした手続き規定を設ける改革がどうして実現しないのか、とても疑問である。
包括的な誤判原因の分析に基づく、包括的な対策とはとても言えず、これでよく「新時代の」などといえると思ってしまう。
米国では、2000年代初頭にやはりえん罪が相次いで発覚し、各州で、誤判救命委員会が立ち上げられ、かなり包括的で優れた改革を実施した。
その中身は、拙著「誤判を生まない裁判員制度への課題」(現代人文社)に詳しく記してある。
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784877983109
確かにこの書籍でも、取調べの全面可視化と証拠開示を最も重要な改革として取り上げている。
しかし、米国の誤判原因としては、虚偽自白、証拠不開示のほかに、誤った科学証拠の援用、目撃証言の誤り、情報提供者の供述の誤りなどが特定され、DNA鑑定へのアクセス、科学証拠の採用基準の確立、目撃証言の犯人識別テストの改革など、様々な改革が包括的に実施されてきた。(米 イノセンス・プロジェクトのウェブサイトを参照してほしい。http://www.innocenceproject.org/)
こうした残された課題にも十分に取り組むべきである。
■ なぜ捜査権限の拡大、司法取引、盗聴の拡大なのか。
この試案には、「取調べに頼らないで捜査を進めるために」「新しい捜査手法が必要だ」などという理由で、
・盗聴(通信傍受)の拡大
・司法取引や刑事免責
といった、これまで禁じ手とされてきた手法を容認する提案が含まれ、驚いたことにページ数もこちらのほうが多いくらいの状況である。
誤判を生み出した検察・警察を厳しく規制するどころか、新たに権限を強化する、という、まさに、設立の原点を忘れたかのような提案がなされている。
もちろん、盗聴は、私たちの人権・プライバシーにも深くかかわり、私たちも被害に会う可能性があるのだ。
また、司法取引・刑事免責というのは何かといえば、ある犯罪に自分以外の第三者が関わっているのを知ってますよ、という供述をすれば、そのような貴重な供述をしてくれた者はたとえ犯罪者でも手心を加えて、軽い罪名で起訴したり、起訴を見送るなど、情報提供の見返りに罪を見逃したりおとがめなしにすることを許す「取引」を認めようというものである。
これは実は、大変問題がある。
以前から司法取引制度のあった米国では、自分の罪を免れたいために、他人(例えば同房者や知り合い)が犯罪をしたのを見た、自分に対して犯罪を認める供述をした、などのまったく嘘の証言をでっちあげて、刑を逃れる悪質な「情報提供者」が後を絶たず、これが誤判原因の実に15%を締めているというのだ。
(イノセンス・プロジェクト ウェブサイトよりhttp://www.innocenceproject.org/understand/Snitches-Informants.php)
この話は本当に深刻であり、全米で多くの無実の人が悪質な人間のデマ供述により、罪に陥れられている。このことを聞いた時、私は日本には同様の制度がなくて本当によかった、と思ったものだが、このような新たな誤判原因を誘発しかねない制度の導入は、極めて問題だと言わなければならない。
検察・警察が今回、強く求めてきた新しい捜査手法、これらは人権に抵触し、新たな誤判原因ともなりかねない。捜査側は米国などでこうした捜査手法が進んでいる、ということを論拠として、制度を導入したいようであるが、米国の誤判を見てきた私としては、全く勘違いだ、と思う。なぜなら、米国はこれまでずっとそのような手法による捜査をしてきたが、それで供述に頼らないことができたどころか、誤判の主要な原因は日本と同様虚偽自白だったのであり、供述に頼る捜査を続けてきたし、その過程で多くの冤罪を生み出してきたのだ。
米国が最近進めている誤判を防止するための改革にはろくに参考にもせず、取入れもしないまま、昔からある問題だらけの捜査手法だけ取り入れようという、不誠実な感覚に驚くばかりだ。
■ これからも議論は続く。
事務当局試案が出たからと言って、議論はこれからである。
・広範な例外や範囲の限定により、改革を限定的なものにとどめようとする動き
・えん罪防止のために、とても重要であるのに、試案に全く含まれていない課題
・人権やプライバシーに抵触し、新たな誤判原因を作りかねない捜査権限の拡大
という問題に対し、もっと市民が監視・チェックし、声を挙げていく必要があるだろう。
村木さんや周防監督など、真剣に取り組みを進めている委員を是非応援しよう。
私たちヒューマンライツ・ナウも、
国家が無実の人をえん罪の犠牲にし、投獄したり処刑するのは最も悪質な国家による人権侵害のひとつ
との考えから、ほかのNGO団体と協力して、「取調べの可視化を求める市民団体連絡会」を結成し、
イベント開催、要請など、さまざまな活動を展開している。
http://hrn.or.jp/activity/Yousei-%EF%BD%88ouseishingikai.pdf
http://hrn.or.jp/activity/event/325/
http://hrn.or.jp/activity/event/post-244/
http://hrn.or.jp/activity/event/108/
是非こうした企画等にも、参加していただけると嬉しい。
私たちも、いつえん罪に巻き込まれるか、また裁判員として判断する側(証拠隠し等の不正に基づく誤った判断に巻き込まれる側)に回るかわからない状況なのだから、決して他人事ではない。
市民が関心を高め、プロセスを監視し、声をあげていく必要がある。