「少しでも勇気づけたい」神戸で震災イベントの司会に初挑戦した元阪神ドラ1・的場寛一さんが描く夢
■少しでも勇気づけたい
「僕の力って微々たるもんやけど、何かしらみんなの活力にというか、そういう少しでも勇気づけられることになるなら…。長田だけじゃなくて、能登にも届けたい」。
元阪神タイガースの的場寛一さんは今、自身にできることをという思いで1月17日、神戸市長田区にやってきた。
29年前の阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた地で開かれたイベント『第20回 神戸震災復興フリーライブ ONE HEART』の総合司会のオファーを受け、昨年末に引き受けることを決意した。
■1999年ドラフト1位
1999年ドラフトの1位で九州共立大学からタイガースに入団した的場さんは、2005年シーズンが終わるとタテジマを脱ぎ、翌年から2012年までは社会人野球のトヨタ自動車で活躍した。
現役引退後はサラリーマンも経験し、その後は独立して健康補助食品(サプリメント)の販売代理店を立ち上げたり、エステサロンの経営したりするなど、幅広く活動している。
独立リーグ・北海道フロンティアリーグに所属する石狩レッドフェニックスでのコーチも今年3年目に突入し、そのほか軟式野球の企業チーム「ユー・エス・イー」のコーチにも就いている。
また月に1度、関西のラジオ番組(FM COCOLO)にも出演し、人あたりのいい柔らかい口調で人気を博している。
「声かけてもらって、断る理由はないなと思って。アウトプットするには自分の中でちゃんと整理しないといけないんで、それが勉強やと思っている。それと、何かしら人の役にたつんやったら、まずやってみようっていう精神なんで」。
未知なることにも躊躇なく挑戦する日々だ。
■地元・尼崎での町おこしイベント構想
今回、まったく初めてである司会をやることにしたのには、わけがある。
現在東京に住まいを構えながらも、生まれ故郷の兵庫県尼崎市を愛し、たびたび帰ってきている的場さんは、近年「尼崎で町おこしっていうか、スポーツと尼崎で何かイベントしたいな」と、ふつふつと考えていた。
その思いを知人に話したところ、「じゃあ長田区とコラボしないか」という話になった。その知人がこの『神戸震災復興フリーライブ』を取りまとめており、「それならまずこっちで一度参加して、(イベントの)肌感覚を掴んでみたらどうか」ということになり、話が進むうちに総合司会ということになった。
一昨年、このイベントの炊き出しに参加したという関わりもあり、流れや雰囲気がわかっているということも大きかった。
■自身の震災体験
それに自身も阪神淡路大震災の記憶がある。当時、弥富高校(現愛知黎明高校)2年だった的場さんは1月17日の朝、いつもどおり5時45分の起床時間に起きた。その直後だ。「愛知県も震度3あって、『あぁ、揺れてるな』って言いながら体操して、1階のテレビを見たら…」。画面には、この世のものとは思えない光景が広がっていた。
関西出身の部員が野球部監督に呼ばれ、「関西がえらいことになっている。家族に連絡しなさい」と言われたが、いくらかけても電話が通じない。尼崎市もライフラインが寸断されていたのだ。
練習をしていても授業を受けていても、気が気でなかった。被害の状況がつかめず、家族の安否もまったくわからなかったのだ。結局、電話がつながり家族と話せたのは4日後で、4~5人いた関西出身部員の中で一番遅かった。
「がっつり被災したわけじゃないけど、ほんとに不安な日を過ごした経験があるから。親からも大変やったと聞いた。ライフラインがストップしたことや家具がね…。周りの人が大ケガしたとか、『あそこの家、潰れた』とかも聞いてたから、ひとごとではないと思っていた」。
そして、今年の能登半島地震である。「東京も軽いけど長い揺れがあって、(震源地は)どこかなと思っていたら…。まさかあんなに大きなことになるとはね、正月早々」と心を痛めた。
「神戸もようやく復興…いや、まだまだ復興はしてないけど、立ち上がって前を向いて歩いているから。この元気を届けたいし、ひとりじゃないよっていうことを能登にも伝えたいと思っています。その役目というか、少しでも力になれたらという意気込みです」。
そう言って、ステージに上った。
■大成功のうちに終演
初めての司会は思ったより緊張もせず、スムーズに運べた。「一人で回したわけじゃないんで、助けてもらいながらね」と、ほかの出演者とともに奮闘した。
イベントは生ものだ。スケジュールどおりに運ばない難しさもある中で、「まぁ仕事も一緒で、アクシデントがあったりするからね」と、どっしり構えてアドリブもきかせながら、タイムキープの重要性も覚えた。
「全部が初めてのことだから、すべて吸収するつもりで臨んだ。最初(開演時)のお客さんとの距離感や空気感から、メインイベントに向けて(会場の)ボルテージが上がってくるのを感じた。もう目に見えてわかったね、お客さんの気持ちが入ってきてるなぁって。そういうところに少しでも力になれたのは、本当に立たせてもらってよかったなと思う」。
集まってくれた観客の笑顔が、なによりのご褒美だった。
■こっそり旗を振る
今回の経験で、さらなる意欲が高まった。やはり尼崎で何か「ことを興そう」と。
「地元の商店街の人たちを巻き込んで、どうやってやろうかとか、いろいろ考えないと。ゼロから作っていくのは大変だと思うし、いろんな人の足並みをそろえてベクトルを合わせていかなくちゃいけない」。
しかし、「阪神タイガースのドラフト1位・的場寛一」の名前を前面に出してやるつもりはないという。
「僕自身は、その看板はちょっと下ろしてるつもり。レジェンドじゃないんでね。それを背負って仕事をするんじゃなくて、あとから『あ、実は阪神やったらしいやん』っていうのが僕のスタイルなんで。こっそり旗を振りたい」。
そうは言っても関西で、ましてや尼崎となれば、気づかない人はいない。的場さん人気で集客は期待できるだろう。
的場さんだけでなく、尼崎出身の著名人は多い。また、タイガースのファームも来年には尼崎の大物に移転する。尼崎に注目が集まるのは必至だ。
的場さんが企画するイベントで、町が活性化する日を楽しみにしたい。