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ため池に落ちると、なぜ命を落とすのか

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
2016年に水難事故のあったため池にて事故調査を行っている様子(筆者撮影)

 5月9日午後、香川県丸亀市のため池に釣りに来ていた小学1年生の男の子と33歳の父親の2人が死亡しました。なぜ、ため池に落ちると命を落とすのでしょうか。繰り返される事故にどう対処すればよいのでしょうか。

事故の概要

 9日午後3時40分頃、香川県丸亀市綾歌町のため池で、「人が落ちている」と近隣住民から110番があった。駆けつけた救急隊員が、水中に沈んでいる男性(33)と、水面に浮かんでいる小学1年の息子(6)を発見。男性は現場で、息子は搬送先の病院でいずれも死亡が確認された。

 丸亀署の発表によると、ため池の水深は約6メートル。周囲に柵はなかった。父子で釣りに来ていたが、帰宅が遅いため、妻が現場に行き息子を見つけ、近くの住民が通報したという。同署は誤って転落した可能性があるとみて調べている。

(記事中の氏名等を筆者が改変) 最終更新:5/10(月) 9:35 読売新聞オンライン

 筆者が現場を直接確認しているわけではないのですが、様々なメディア情報が正しいとすれば、ため池における典型的な後追い沈水とみることができます。

【参考】河川・湖沼池の多人数水難 原因は後追い沈水

 同様の事故は過去からずっと繰り返されています。例えば2016年7月1日に宮城県大衡村で発生した父子3人が犠牲となったため池水難事故をあげることができます。

 大衡村の八志沼で、釣りをしていた父子3人がいなくなったと母親から110番通報があった。宮城県警大和署によると、沼の中から3人が見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。過って転落したとみている。(中略)

 車内に残っていた母親が、釣りをしていた3人のところへ向かったところ、姿が見えなくなっていたという。

2016年7月2日 21時04分 朝日新聞デジタル

 わが国におけるため池水難事故については農林水産省がデータとしてまとめています。平成22年から令和元年までの間に、毎年20人から30人がため池転落で命を落としています。

宮城県大衡村八志沼での事故調査

 水難学会では、2016年8月29日に水難事故調査委員会(安倍淳委員長)を現場に派遣して、事故調査を行いました。その結果については、すでに宮城県内において会見を開き、報道発表しています。

 八志沼はすぐ近くを通る道路から徒歩で降りるだけで岸に簡単にアクセスできました。日頃から釣りをする人が絶えなかったそうです。

 道路からアクセスのよい箇所には池の斜面がコンクリートで形作られています。漏水や斜面崩落を防ぐために、コンクリートやゴムなどで斜面が保護されているのが、一般的なため池の構造となっています。

 典型的なため池といえば、陸から見て、波もない、流れもない、鳥のさえずりに囲まれ、斜面も低く見える、全てにおいて安全を錯覚させるような条件を満たしています。八志沼はまさにその条件をすべてクリアしていました。

 水難学会事故調査委員会では、現場に赤十字水上安全法指導員有資格者の救助員複数名、医師を配置し、各種実験を行いました。

 動画1をご覧ください。現役の水難救助隊員が斜面を登り降りしています。乾燥した斜面では歩行に何の支障もありません。ところが、足を水に少しだけ浸けたら、滑っていっきに池に吸い込まれました。数秒もたたないうちに背の立たない深みにもっていかれています。

動画1 ため池斜面から滑り落ちる様子(水難学会提供)

 動画2では、自力で上がろうとしています。途中まではいいのですが、腰が水面に出るくらいの地点で足が滑り、それ以上は上がれません。無理するとむしろ、より深い方に体がもっていかれます。勢いをつけて上がろうとすると、反動でさらに深い方にもっていかれ、呼吸を確保できなくなれば、そこで溺水します。

動画2 ため池から這い上がろうとする様子(水難学会提供)

 子供が先に落水したらどうでしょうか。当然大人が助けに池に入ることでしょう。そして子供を陸に上げようとしますが、上げることができるでしょうか?動画3をご覧ください。ポリタンクに水を入れています。重さはほぼ18 kgになります。小さいお子さんの体重を想定しています。お父さん役が頑張って陸に上げようとしていますが、かないません。そして、最後はポリタンクを水没させてしまっています。これこそ、現世の地獄です。

動画3 子供を上げようとするが(水難学会提供)

どうすれば命を落とさずに済むか

 とにかく、ため池には近づかないこと。これにつきます。ため池は構造上、人が入ることを想定していません。一度滑って落ちれば、這い上がることができない構造になっていると考えてください。

 救命胴衣を着用していれば、水に沈むことはありません。呼吸は確保できます。でも、6月ー9月の時期を除けば水温が低くなり、発見されるまで浸かっていると、そのうち低体温となり、命を失います。

 救助用のロープがあれば、どうか。ため池の中にいて意識がある人を発見したら、すぐに119番通報をしてください。救助隊の到着が遅れるようであれば、動画4のようにしてロープにつかまってもらい、陸に上げることができます。ただし、素手では絶対に引き上げようとしないこと。同じように池の中に引きずりこまれます。

動画4 ロープ1本で救助できるか(水難学会提供)

ため池の安全対策

 多くのため池でフェンスなどで囲んで人が侵入しづらくしています。でも、これは単なる気休め、そのうちあちこちが自然に壊れたり、人為的に壊されたりして、人が侵入してきます。「侵入する人が悪い」という気持ちもよくわかりますが、実はため池の管理者自身も落ちて命を失っています。

 そのため、生きて戻ることができればいいという考え方で、水難学会では樹脂ネットを利用した自己救命策を考案し、宮城県内を中心に普及を始めています。動画5をご覧ください。被験者の男性がため池に落ちて、背浮きで岸に近づきました。岸に到達したら、ひっくり返り、ネットを手でつかみました。そして、手でネットをつかみながら、足をネットにかけ、手足で斜面を登っていきます。

 樹脂ネットは何でもよいわけではなく、ため池の自己救命用に適切なネット素材、固定方法がありますので、詳細につきましては、水難学会にお問い合わせいただければと思います。

動画5 自己救命ネットを活用した這い上がり(水難学会提供)

さいごに

 父子や兄弟で亡くなる水難事故が絶えないため池。危険ですから釣りを含めて不用意に近づいてほしくないと思います。さらに、管理されている皆様にもできるだけコストをかけずに、しかも命を守る効果のある方法について、一度考えていただければと思います。

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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