「誰でもいいから殺したかった」 埼玉・戸田市の中学校での殺人未遂事件 自爆テロ型犯罪をどう防ぐか
正午すぎ、埼玉県戸田市の中学校に男が侵入し、男性教員を切りつける事件が起きた。警察に対し侵入者は、「誰でもいいから人を殺したかった」と供述しているという。
またしても「自爆テロ型犯罪」が起きてしまった。自爆テロ型犯罪とは、逮捕されてもいいと思って犯行に及ぶ犯罪だ。
大阪教育大付属池田小事件の教訓に学ぶ
学校侵入者による自爆テロ型犯罪で思い出されるのは、大阪教育大付属池田小事件である。
小学校に包丁を持った男が侵入し、児童8人が死亡、教師2人を含む15人が重軽傷を負った。犯人は「死刑になりたかった」と供述している。
こうした破れかぶれの犯罪の動機を解明するのは難しい。少なくとも、犯罪心理の専門家ではない捜査官、検察官、裁判官に動機の解明を期待するのは無理である。
動機の解明によって犯罪を防ごうとする立場は「犯罪原因論」と呼ばれるが、海外では人気がない。なぜなら、現在の科学水準では、犯罪の動機を特定することは困難であり、仮に特定できたとしても、その動機を取り除く方法を開発することは一層困難だからだ。
海外で人気があるのは、場所の景色に注目する「犯罪機会論」である。犯罪原因論のように「なぜあの人が」という視点ではなく、「なぜここで」という視点から犯行のチャンスをなくす方法を探す。
人の性格や境遇はバラバラなので、犯罪の動機も人それぞれだ。そのため、動機をなくすための治療や支援が犯罪者のニーズにピッタリ合えばいいが、ミスマッチの可能性は高い。
これに対し、犯罪の機会は環境を改善すればするほど減っていく。つまり、努力に比例して確実に犯罪を減らせる。
海外では、同じ予算、人員、エネルギーなら、犯罪原因論と犯罪機会論のどちらに投入するのが効率的かという視点から対策が検討されている。
「入りにくく見えやすい場所」にする
自爆テロ型犯罪にも犯罪機会論は有効だ。犯罪機会論が出す処方箋はシンプル。場所を「入りにくく見えやすい場所」にするだけである。
例えば、付属池田小事件でも、この2つの条件が確認できる。実際、犯人は法廷で「門が閉まっていたら入らなかった」と述べている。
したがって、学校を「入りにくい場所」にするには、門を閉めておく必要がある。
もっとも、校門を閉めることに対しては、「開かれた学校づくり」に反すると異議を唱える人もいる。しかし、この意見は有形のハードと無形のソフトを混同している。
もともと「開かれた学校」はソフト面の「地域との連携」を意味していた。ハード面の「校門の開放」ではないのだ。それを勘違いした付属池田小学校は、門開放の責任を認め、5億円の賠償金を支払っている。
海外の学校では、ハード的にはクローズにしているが、ソフト的にはオープンだ。例えば、イギリスの学校は校門を閉めているが、教室では地元の親がボランティアとして授業を手伝っている。このような学校こそ「開かれた学校」の名に値する。
事件当時の池田小学校は、「入りやすい場所」だけでなく、「見えにくい場所」でもあった。なぜなら、犯人が小学校に侵入した自動車専用門から校舎までの経路が、体育館が邪魔して、事務室からは見えないからだ。
「体育館が死角にならない正門から侵入していれば犯人を発見できた」という報道もあった。しかし、その可能性は極めて低い。というのは、正門と校舎の間に大きな樹木があり、正門が事務室からは見えにくいからだ。
また、事務室の机が窓に向かって配置されていないため、事務員が顔を上げても視線の先に正門はなかった。
こうした状況を改善するため、事件後、池田小学校は、学校を「入りにくく見えやすい場所」にする改築が行われた。
犯罪機会論を実践する学校
海外には、犯罪機会論をしっかり実践している学校が多い。
例えば、ソウル日本人学校は、緩やかなスロープ状の玄関アプローチと、それを囲むガラスカーテンウォールの建物によって、「入りにくく見えやすい場所」になっている。
オランダの首都アムステルダムには、校庭がガラスとレンガの高い塀に囲まれた学校がある。まさに「入りにくく見えやすい場所」だ。もっとも、ここまで高くしたのは、周囲を走る自動車の排ガスを、子どもたちが吸い込まないようにするためだという。
日本の学校にも、犯罪機会論を導入した学校がある。神奈川県藤沢市で行っている来校者誘導用のライン引きだ。
藤沢市の小中学校では、校門から校舎玄関(受付)まで地面にオレンジ色のライン(誘導線)が引かれている。病院の廊下にあるカラフルなナビラインに似ている。
多くの学校では、侵入者への対策として、「校長の許可なく立ち入り禁止」とか「ご用のある方は受付にお寄りください」といった掲示を校門に出している。しかし、こうした掲示を読んでも、犯罪者は侵入をあきらめたりはしない。
侵入するかどうかの判断基準は、見つかったときに言い訳ができるかどうかだ。前述した掲示なら、子どもに近づいているとき教職員に見つかっても、「受付に行こうと思ったのですが、道に迷ってしまいました」と言い訳ができてしまう。もちろん、とがめを受けることもない。
しかし、藤沢市の学校ではそうはいかない。
受付までのラインを歩いていれば、道に迷うことは絶対にない。だから普通、来校者はラインの上を歩く。したがって、ラインから外れただけで、それを「不審な行動」と見なすことができる。もはや「道に迷ってしまいました」などと言い訳はできない。しかも、ラインを歩いているかどうかは子どもでも分かる。
要するに、言い訳しにくい(すぐにバレそうだ)と犯罪者に思わせる学校は、心理的に「入りにくい場所」なのだ。
この藤沢市の事例はまれなケースであり、学校現場での犯罪機会論の取り組みは遅々として進んでいない。
科学を教える現場でありながら、非科学的な取り組みばかりが目立つと感じてしまうのは私だけだろうか。
犯罪者に犯行をあきらめさせる物理的デザインは「防犯環境設計」と呼ばれる。犯罪機会論のハード面を担う理論だが、日本では普及が進んでいない。そうして、事件については「運が悪かった」で済ましている。いつまでこのような状況を放置しておくのだろうか。