フェンウェイパークにみた日本の誇り
アメリカ・ボストンのフェンウェイパークで、ワールドシリーズが開幕。初戦を大差で圧勝したのは、ホームのレッドソックス。2戦目は、2-4で敗れ、1勝1敗となった。ワールドシリーズに相応しい一進一退の戦いに、胸が高鳴る。
レッドソックスには、日本人大リーガーが名を連ね、チームのキーマンとして活躍している。私は、この夏、ボストン・フェンウェイパークで、その力投を目の当たりにした。
スタジアムが、拍手と歓声に包まれた。スタンディングオベーションで選手を迎えている。私の周りにいた人達は、口々に「Congratulation!」と握手を求めなら、声をかけてくれた。私はアメリカ・ボストンのフェンウェイパークのスタジアムで、久しぶりに日本人で良かったと心の底から思った。そして誇りに思えた瞬間でもあった。
上原投手の活躍に「日本人で良かった」
私に最高の気分を味あわせてくれたのは、ボストン・レッドソックスの上原浩治投手だ。
今年の夏、私はボストンで、上原投手を応援した。7月19日に行われた大リーグの後半戦初戦「ボストン・レッドソックスVSニューヨーク・ヤンキース」の因縁の対決。2点リードの9回からクローザーとして登板したのが、上原投手だった。後半戦初戦のホームゲームでもあり、会場は何とも言えない緊張感の中での登板。絶対勝利が求められる雰囲気に、スタンドにいた私は身震いした。
会場のボルテージは、最高潮。ブルペンから登場した上原投手は、わずか7球で打者を打ち取った。今シーズン9セーブ目を達成した瞬間、大きなガッツポーズを決めた。体の底から喜びを感じ取っているようだった。チームメイトとは、ボストンでも有名となった力強いハイタッチで喜びを分かち合っていた。「毎回毎回、これで最後になってもいいというくらい全力で投げているから。勝ったときは、最高に嬉しい。」と試合の時とは違う穏やかな笑顔で話してくれた。
スタンドにいた私も、ガッツポーズ。次の瞬間、周囲の人たちとのハイタッチ祭りになった。それもそのはず、私は、スタンドで上原投手の背番号が入ったユニフォームを着用し、手には日の丸の扇子を持って応援していたのだ。
そんな様子を見ていた地元ファンは、日本の上原投手が活躍したことで、同じ日本人の私に「Congratulation!」と言いながら、握手と拍手で祝福してくれた。まるで私が勝利を修めたかのように。言葉には言い表せないくらい嬉しく、涙が出そうになった。それと同時に、日本人で良かった!と誇りに思えた瞬間でもあった。
全力で投げる誇り
クローザーの上原投手は、毎回、全力プレーを貫き通している。「8割9割で投げて打たれたら凄く後悔する。でも10割で打たれたら、それは仕方ない。」こんな気持ちになれたのは、日本でプレーしていた2008年、FAでアメリカ挑戦したいと考えていた年だった。成績を残さなければならない、怪我したらいけないという気持ちが、いつの間にか消極的なピッチングにさせていた。しかしアメリカでプレーをしてから、全てが吹っ切れた。
「中継ぎから抑えになって、本音を言えばしんどい。でもどこに行ってもしんどいってのはあるし、最後は自分で終わらなあかんってのもありますからね。勝ちゲームで投げているから、勝たなあかんっていうのもあるし。抑えていて当たり前のポジションになってくるし。」と本音も。様々な気持ちと葛藤しながら、マウンドへ向かっている。1球1球、全力で後悔なく投げぬく誇りを胸に。
日本製のスクリーンにも胸を張りたい気持ちに
日常生活で、「日本人で良かった」と思う機会は少ない。私は、そういった瞬間に立ち会えて幸せ者だと思う。こうして人からの影響で感じることもあれば、モノからも感じ取ることも出来る。
私が訪れたフェンウェイパークには、大きなスクリーンが設置されている。そこには、見たことのある文字が記されていた。日本企業の文字だ。
球場の関係者は「フェンウェイパーク唯一の日本製品ですよ。この球場は、古いものを大切にしています。しかし電気製品は、新しいものでないと機能しない。そこで出来たのが、このスクリーンです。最新の機能なのですが、映し出されるカラーは、この球場のイメージを壊さず、わざと古く見せることが出来る素晴らしい機能になっているんです。」と胸を張って話してくれた。
全米でも屈指の人気球場であるフェンウェイパークの中で最も目立つ存在のスクリーン。そこに使用されているのが日本の製品だと知り、またも胸を張りたい気持ちになれた。こんなに喜ばしく、誇りに思うことはない。
太平洋を横断した米国で、日本人大リーガーの上原投手の力投に胸が熱くなり、日本製品が重宝されていることに感動した。スポーツだけではない。世界ではさまざまな場所で、「日本」が頑張っている。例え短期間でも日本を離れることによって、外から日本を見ることが出来る。自分自身が生まれ育った国について考える大切な時間となる。異国の地で目にする「JAPAN」には、大きなパワーを与えてもらえる。「日本人で良かった」と思えることは、本当に幸せなことだと思う。「JAPAN」ブランドはまだまだ健在だ。そのことにパワーをもらい、私自身ももっともっと向上していきたいと思った。