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イスラエルが約90体の腐乱遺体をガザに送付――“非人間的で犯罪的な行為”の裏にある冷徹な取引とは

六辻彰二国際政治学者
遺体が確認されたイスラエル人の人質の似顔絵(テルアビブ)(2024.9.8)(写真:ロイター/アフロ)
  • イスラエルはガザにパレスチナ人の遺体を90体ちかく送付したが、そのほとんどが腐敗して身元も特定できないほどだったという。
  • ガザ保健省は遺体の受け取りを拒否し、“非人間的”とイスラエルを非難した。
  • その一方で、これまでイスラエルとハマスはそれぞれ遺体を取引材料に用いており、今回の遺体送付も単なる嫌がらせ以上の意味があるとみられる。

「サディスティックな犯罪」

 ガザ保健省は9月25日イスラエルから88体の遺体が送られたと発表した。

 遺体の多くが腐乱し、性別や年齢、死因などを特定できなかったうえ、イスラエルからは事前通知も調整もなかったという。

 こうした遺体の送付は今回で5回目で、直近では8月2日にも89体の遺体が送り付けられたと報じられる。

 ガザ保健省(実態としてイスラーム勢力ハマスの監督下にある)は遺体の受け取りを拒否するとともに、遺体に関する情報の提供をイスラエルに求めた。

 イスラエル政府・軍からコメントはなく、遺体送付を肯定も否定もしていない。

 一方、パレスチナ紙は「サディスティックな犯罪」と表現している。

ガザの墓地から持ち出された遺体

 もし報道の通りなら、なぜイスラエルはこうした行為を行うか。

 イスラエルが情報を開示しないので不明点も多いが、送られた遺体にはガザから持ち出されたものが含まれる可能性が高い

 昨年10月7日、ハマスがイスラエルに大規模な攻撃を開始し、イスラエル市民251人が人質になった。

 その後ガザに侵攻したイスラエル軍は、人質が殺害された可能性を考慮し、ブルドーザーで墓地を掘り返すなどして、ガザ各地から遺体を運び出した。その数は2000体にも及ぶといわれる。

 ガザ住民からみれば、これは「墓暴き」「遺体泥棒」以外の何物でもない。

 この経緯に照らせば、今回送付された遺体にガザの墓地から持ち出され、イスラエル人かどうかの検分を受けたものが含まれているとみていいだろう。

本当はどんな遺体なのか

 ただし、遺体の返還が「イスラエルの律儀さ」を示すとはいえない。

 イスラエルは遺体に関する情報を何も伝えず、おまけに身元も特定できないほど腐乱していたとなると、ガザの墓地から持ち出されたものかどうかさえ確認できないからだ。

 先進国では骨だけになった変死体でもDNA鑑定などにより遺体の身元特定がある程度できるが、現在のガザでそれはほぼ不可能に近い。

 そのため、遺体が墓地から持ち出されたものでなく、ガザ侵攻のなかで殺害されたパレスチナ人である可能性をガザ保健省が疑うのも無理はない。

 また、仮に遺体がガザから持ち出されたものだとしても、身元を特定できないので、家族のもとに送り届けることもできない。

 90体ちかい遺体が暫定的に届けられたガザのナセル病院に、息子の遺体を探しにきた女性は英ミドル・イースト・アイの取材に「遺体は骨だけだった…どうやって息子と見分けろというの?」と怒りをぶちまけた。

 ガザへの遺体返還には、ハマスによって拘束されたイスラエル人の人質の家族も疑問を呈している。

 人質家族の会は8月に声明を発表し、そのなかで「なぜハマスとの停戦合意も結ばれていないなかで遺体返還を優先して行うのか」「ハマスと協議すれば生存する人質の解放と故人の適切な埋葬をできるはずだ」とイスラエル政府を批判した。

単なる嫌がらせなのか

 戦時下とはいえショッキングなできごとであることは間違いない。

 ただし、遺体を一方的に送り付けたことには、単なる嫌がらせ以上の意味を見出すこともできる。

 イスラエルが人質の遺体を返還するよう暗にハマスに求めた、という見方だ。

 戦争法規を定めたジュネーブ条約では戦時下においても遺体は敬意と尊厳をもって扱われること、遺体の毀損は認められないこと、できるだけ家族に引き渡されるべきことなどが明記されている。

 しかし、イスラエルとハマスはこれに反してそれぞれ相手方の遺体を抱え込み、2016年頃から取引の手段にしてきたとみられている。

 もっとも、イスラエル人作家で、ガザでの交渉を仲介した経験もあるガーション・バスキン氏にいわせると、イスラエルとハマスには違いもある。

 イスラエルがイスラエル人の遺体を回収するために“遺体の交換”を重視するのに対して、ハマスはガザが徹底的に破壊されるのを防ぐための“保険”としてイスラエル人の遺体を利用してきた、というのだ。

 そのため、どちらかというとイスラエルが遺体を引き渡そうとするのに対して、ハマスはそれに消極的とバスキンは指摘する。

遺体まで利用する戦争

 バスキンの見解を補強する事実はいくつもある。

 例えば、イスラエルでは2019年、遺体を取引に用いることを裁判所が合法と判断した。

 また、10月7日にハマスに拉致・殺害された人質の遺体のほとんどはイスラエル軍がガザ侵攻のなかで発見したものだ。言い換えると、ハマスは人質の遺体をほとんど返還してこなかった。

 一方、イスラエルのネタニヤフ首相は国内で「人質解放より軍事作戦を優先させている」という批判も招いている。

 とすると、すでに殺害された人質の遺体を返還するようハマスに圧力をかけるため、イスラエルがパレスチナ人の遺体を相次いで一方的に返還しているとしても不思議ではない。

 その場合、ハマスはそれをあえて無視してネタニヤフ政権を揺さぶり、併せて「イスラエルの非道ぶり」を宣伝するための材料に使った、という見方もできる。

 もちろん、これは推測の域を出ず、今後の検証に委ねられる。

 その一方で、現段階でほぼ確実なのは、イスラエルもハマスも遺体を手段として用いているということだ。

 近代以降、あらゆる力をふり絞る戦争は「総力戦」と呼ばれてきたが、さすがに遺体まで利用されることは稀だった。この点でもイスラエル=ハマス戦争の悲惨さをうかがえるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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