ベッコアメインターネットが生んだ日本のインターネット黎明期
KNNポール神田です!
このニュースに、心がキュンとなったオトナは多かったと思う。
今から22年も前の「ベッコアメ」の登場は、日本で最初のネットベンチャーの登場だったからだ。
東芝のエンジニアだった尾崎憲一さんが、当時のアクセスプロバイダーの値段の高さに頭にきて、自分で使える金額をイメージして、サラ金から30万円を借金をして、インプレスの「インターネットマガジン」の創刊号(1994年09月)に広告を出稿した。社名はなんとも不思議な「ベッコアメ」。年会費を集めてからスタートする事業だったので、広告を見たユーザーたちの年会費でサーバー設備などを買い足したという。今でいうところのクラウドファンディングだ。不思議なことにサービス開始を、まだかまだかと待っていたことを覚えている。いや、一歩間違うと、夜逃げしなければならなかったビジネスモデルだった。
当時、インターネットの商業利用は開始されておらず、アカデミックで非常に限られた人たちだけのオープンなネットワークだった。
インターネットの専門誌が唯一「インターネットマガジン」だったので、インターネットに関する情報が欲しい人は読み漁った。
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インターネットマガジン バックナンバー
筆者もHTMLの解説の付録本をボロボロになるほど読み漁って、ウエブサイトを作った記憶がある。ダイヤルアップでアクセスするツールも、まだマイクロソフトもアップルも提供していない時代だ。モデムを経由して、聞き慣れないconfig.pppやTCP/IPなんたらを組み合わせて、ようやくブラウザ「モザイク」をダウンロードして、wired.comやplayboy.comのサイトにたどりつき感動した。メディアを介してではなく、直接エンドユーザーが、DNSによって変換されたIPアドレスのあるサーバーにリクエストを送り情報を取得できることに感動した。もちろん電話代がかかるので、インターネットにアクセスしたら何をするのかのToDoリストを紙に書いてからアクセスした。当時のデータベースも従量課金だったから、電話回線経由のインターネットの時間課金も一緒であり、まるで、タクシーに乗っているような気で料金を気にしながらネットにアクセスしていた。当時の一番の夢は、専用回線が家にある暮らしだった。T1ライン(1.5Mb)が100万円/月を超えていた。いまは100GBが5000円/月の時代だ。
ベッコアメはホスティング事業としてとても魅力的だった。大手にはない常に「ユーザー視点」があったことにより、30万円のサラ金から始まったサービスは3年後の1997年には、年商24億円の企業へと成長した。
筆者は、ベッコアメではなく、NECのビッグローブになる前の「メッシュネット」というサービスを利用していた。しかしだ。官僚的なサービスはセキュリティを考えてか、すごいサイトの更新方法だった。
HTMLを書いた文書を3.5インチのフロッピーディスクで、メッシュネットへ郵送で送る。切手を貼って送るアナログメールだ。木曜日までに到着したフロッピーは、月曜日になるとサーバーで公開される。月曜日にメッシュネットの担当者さんから、サーバーにHTMLが公開されました…となんと、電話がかかってきて知らせてくれるというウソのようなホントの時代だった。ネットのコンテンツをフロッピーの郵便で送り、電話で公開を知るという話は、日本のインターネットの黒歴史の一つといえるだろう。それでも、世界のどこからでも、www.knn.com というURLを打つだけでこちらの情報が提供できることに、メディアが震撼する感動を覚えた。当時は、Japan.orgというドメインを筆者が管理しており、三文字ドメインもいっぱい取得できた時代だった。beatles.or.jpやらいろんなドメインを持っていた。まさかドメインが販売できるようになるのもインターネットの黎明期のビジネスだった。
インターネットマガジンの付録には、日本のネットワーク図が毎号掲載され、その毎号伸びていくネット路線図の中に日本のインターネットの広がりを可視化することができた。当時、インターネットの情報を得るには、検索でググる訳にはいかなかった。ググるためには、まずは、ヤフーがネットスケープのサーバーにヤドカリする必要があり、大きくなったヤフーに検索エンジンとして、グーグルが採用されるまで待たねばならなかったのだ。
では、どうやって、人々は検索したのか?
それはインターネット雑誌を購買してURLを直打ちするのだった…。
インターネットの電話帳のようなURL紹介本の大ブームとなるのだ。インターネットが普及すると、まずはその情報を学習するために、書籍や雑誌、セミナーがブレイクする。ヤフーやアマゾンがベンチャーとして成功している理由を誰もが知りたがってそんなビジネスがブレイクする。誰もが、ヤフーやアマゾンに続けということで、「ホームページブーム」が訪れる…。日経新聞が「ブックマークのホーム」のことをなぜか「HP」と表記してから日本では、ウェブサイトは、なぜか「ヒューレット・パッカード」と勘違いされるミスリードを犯してしまった。ウェブサイトを「HP」と言っても世界の人にはまったくわからない。
中小企業の社長たちが、xxx.co.jpというドメインを取得し、会社概要の紙のパンフレットをそのままウェブサイトとして掲載した。リアルオーディオで、社長が「ようこそ我が社のホームページへ!」と一声しゃべるのがやたらと流行った。GIF画像がクルクル回るとか…。当時のサイトはやりたい放題だった。
DTPのオペレーターたちがウェブ制作会社を名乗り、AdobeのPhotoshopやIllustratorを使える人はウェブデザイナーと呼ばれた。DTPがデフレ化するなかで、ウェブ制作ビジネスはインフレ化した。
そんななかでベッコアメはネットユーザーに愛されてきた。しかし、大手のNECやニフティの参入、外資のAOLなどによって、日本のインターネット黎明期のブランドとして深く記憶の中で生き続けるブランドとなった。
こんな日本の黎明期の話、まだ22年しか経由していないにもかかわらず、誰にも理解してもらえなくなる前に、少し、想い出してみた…。みなさんも、ネットの黎明期に何が起きたか知っている、戦中派として、当時の記憶を想い出してみてほしい。また、性懲りもなく、筆者は、VRやAIで、本当のインターネット時代が来ると思い、いまからワクワクしている。メディアの歴史を紐解くと、30年経過して本当の姿になるからだ。
ベッコアメの尾崎社長のような、ベンチャーがまたこの時代にも登場してくることだろう。