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「必ず日本一になる」幼い頃からの夢を叶えたオートレーサー森且行選手の原点とデビュー当日の異常事態

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
2020年11月、日本選手権オートレースで優勝した森且行選手(提供:JKA)

 2020年11月3日、オートレースの日本一決定戦「SG第52回日本選手権オートレース」優勝戦(10周回=5100メートル)でデビュー24年目の森且行選手が優勝した。森且行選手はかつてアイドルグループであるSMAPのメンバーとして活躍していたが、1996年5月にSMAPを脱退し、オートレーサーに転身した。

「楽しいです、とにかく。

 僕にはオートレースしかない、というのは、わかります。

 ただひとつ、日本一になれていないことだけは、

 迷惑を掛けた仲間たちに、必ず日本一になるっていうふうに言って出てきたので、とにかく日本一だけはなりたいですね。

 チャンスに気付けるような感覚を身に付けてれば、いつか、たぶん、チャンスは来ると思うんですよ。」

 デビューから20年経った頃、CMでこのように話していた森選手。

 日本選手権では抜群のスタートを決めた後、ライバルが落車する中、めぐってきたチャンスを堂々とつかんだ。

 筆者は、競馬の取材活動の中でギャンブル繋がりという縁もあり、森選手は何度か取材している。アイドル時代、オートレーサー候補生時代、デビュー後と立場が変わったタイミングでそれぞれお会いする機会に恵まれたが、それぞれの立場での森選手の姿を見られたのは幸いだった。

 今回は、森選手がオートレーサーとしてデビューした日のことをスポーツ雑誌Numberに書いた記事を掲載する。

 

 中央競馬はグレード制導入後、GI、GII、GIIIと格付けをしているが、公営競技には「SG(エスジー)」と呼ばれるGIの上の最高位格付けが存在する。11月3日、森選手が制したSG・日本選手権はSGの中でも名誉ある価値の高いシリーズだ。

 森選手は養成所時代から「子供の頃から憧れの世界に入っただけ」「日本一のレーサーになりたい」と話していた。2020年11月3日、まさにその夢を、しかも地元である川口オートレース場での開催で叶えた。心から祝福したい。

 また、競馬の話を交えているので、文中にナリタブライアン、ヤシマソブリン、エアダブリンといった競走馬の名前が出てくる。そのまま掲載するので、当時の競馬を知る方は懐かしみ、知らない方は彼らについて紐解いてほしいと思う。

■森且行 オートレース日本選手権優勝!日本一に!/川口オートレース公式チャンネル

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「本当に逢いたかったんだ」オートレーサー転身を隠すアイドルと女性騎手との対談

 1996年3月4日。

 あるラジオ番組の収録でデビュー直後のJRA女性騎手と森且行が顔をあわせた。生活指導の厳しい競馬学校での出来事を話す騎手に対し、森はずいぶん熱心に聞き、時には細かく質問もしていた。

 そして、収録の最後にひとこと、森はつぶやいた。

「本当に逢いたかったんだ」

 それから、数週間後。スポーツ紙が一面で森且行がオートレースの選手候補生の二次試験に合格したことを告げた。逆算すると、収録当日は試験の結果待ちの状態。そのことを周囲に隠していた時期だった。それに気づいた時、初めて森が女性騎手に「本当に逢いたかった」と言った意味がわかった。

■森且行「5人といるのが楽しかった。」/ fieldcasterjapan

 森とオートレースの付き合いは古い。

「幼稚園の頃から親父にオートレース場に連れられてきた。オートレーサーになるのは子供の頃の夢だった」

 と、森は大きな瞳をキラキラさせながら話す。森の叔父は川口オート四天王のひとりである篠崎実選手と親友で、本人が生まれる前からオートレースは森家にとって身近な存在だった。

 思い出のレースは「昭和59年の和久田正勝選手の11連勝、昭和61年の阿部光雄選手のオールスター優勝」だという。シブい。森は昭和49年生まれなので、当時は10歳、12歳だ。熱心なファンである父親に負けず劣らず、本人も相当なオートレース通だったのだ。

子供の頃から通った川口オートレース場でのSG優勝。ウイニングランで感慨深い表情を見せる森且行選手(提供:JKA)
子供の頃から通った川口オートレース場でのSG優勝。ウイニングランで感慨深い表情を見せる森且行選手(提供:JKA)

デビュー戦、臨時増設された単勝窓口

 1997年7月7日、日曜日。

 埼玉県川口市は早朝から前代未聞の喧騒に包まれていた。JR西川口駅から川口オートレース場へ向かう無料送迎バスを待つ長蛇の列には、いつもどおり車券を買いに行きたいオジサンと森クンの雄姿を一目みたい女性たちが交互に並んでいる。同じように乗り合いタクシーを待つ列も、途方にくれるほど長い。

 やむを得ず、途中まで歩いて路線バスに乗った。普段なら座れるはずだが、やはりこれも満員状態。あとでタクシーの運転手さんに聞いたら、この日は川口市全体が渋滞していたという。

 森且行のオートレースデビューは、それほどの大騒動を巻き起こしていたのだ。

 オートレース場に着いても、やはり雰囲気はいつもとまったく違った。スタート地点とゴール地点近くの金網際は女性でごった返している。場内を一望できる場所から全体を眺めたら、スタンドの上から下までが人、人、人で埋め尽くされていた。

 驚いたのは、単勝の窓口が増設されていたことだ。競馬と違い、オートレースで単勝車券はあまり売れず、売上の大部分を連勝式が占める。しかし、この日の森の単勝車券は相当な売れ行きが予想されたため、いつもなら1つしかない単勝の窓口がこの日は3つに増やされていた。そこには毛筆で"単勝式"と書かれた紙が貼られており、いかにもその場を凌いだ感じがありありとうかがえた。

 にもかかわらず、締め切り時間に間に合わず森の単勝車券が買えなかったファンもいたそうだ。"森且行、オートレーサーデビュー"の盛り上がりはそれほど予想を超えていたのだ。

■森且行選手、SG優勝後の囲みインタビューあり・2020年11月03日[オートレース]デイリーハイライト|WINNER / autofficial

爆音を掻き消す歓声、「森はひとりの選手なんだから静かにしろ!」

 そして、いよいよ森選手が登場、という瞬間、誰もの予想を超える事態が起きた。彼が試走のために走路に出たその瞬間、

「きゃぁぁぁぁぁぁー!!!!!」

 女性たちの絶叫がバイク8台分の爆音を掻き消してしまったのだ。

 オートレースに使われるバイクの音は"爆音"と呼ばれるほど相当な迫力であり、本来その音だけでも耳が痛くなるほどの衝撃がある。しかし、彼女たちの絶叫はいともあっさりそれを上回ってしまった。しかも、筆者が聞いた場所は彼女たちが陣取るスタンドより走路にかなり近い位置だったのに。

 いつもレースを見ている日本小型自動車振興会の方でさえ、

「いやぁ、凄い。こんな経験ありませんよ」

 と驚いていたほどだ。オートレースの世界にとって、これがどれだけの異常事態であるかは理解してもらえるだろう。

 平成2年、アイネスフウジンがダービーに優勝した時、東京競馬場に騎手・中野栄治を讃える「中野コール」が沸き起こった。古くからの競馬ファンは「ここはコンサート会場じゃないんだゾッ」と怒っていたが、この日の川口オートファンも似たような心境だったのではないか。

 実際、

「森はもうSMAPじゃなくて、ひとりの選手なんだから、静かにしろ!」

と、女の子に苦言を呈したオジサンもいた。オジサンにしてみれば、自分の聖地を奪われた心境だったに違いない。

2020年11月、SG日本選手権を優勝後の表彰式の様子(提供:JKA)
2020年11月、SG日本選手権を優勝後の表彰式の様子(提供:JKA)

「子供の頃から憧れの世界に入っただけ」

 この日の走路温度は65度。筆者は走路と同じアスファルトの上にいたが、靴底から熱さがジンジンと伝わってきた。しかも、真夏日。いくら汗をかいてもすぐに乾き、日干しになってしまいそうなほど、暑い。

 こういう日はタイヤがスリップしやすく、先行有利のレースになりやすい。オートレースは選手の成績や技量に応じて、スタート位置にハンディキャップを設ける。ハンデゼロで先行する森選手には有利な天候だ。予想紙の印を見ても、大半が森に本命を打っているほど、メンバーもハンデも有利と見られていた。

 結果はご存じのとおり、森選手は見事に逃げきって、優勝。

 レースは生きものである。いくら有利とみられていても、実際に勝つのは決して簡単ではない。まして、デビュー戦にもかかわらず、これだけの大注目の中で行われたのだ。慣れた選手でも心理面に影響が出て不思議ない状況だ。

 しかし、森は勝ちきった。新たな道のプロとしての第一歩を無事に踏み出すことができたのだ。

 そして、その瞬間。森の師匠である広瀬登喜夫選手は目を赤くしていた。広瀬は「汗が目に入っただけですよ」とにこやかに笑うが、それが嬉し泣きであるのは明白だった。まだ、レーサーの卵に過ぎない選手の世話を任せられ、結果を求められたのだ。並大抵のプレッシャーではなかっただろう。

2020年11月日本選手権、先頭に立って周回する森且行選手(提供:JKA)
2020年11月日本選手権、先頭に立って周回する森且行選手(提供:JKA)

 レースが終わると記者会見が始まった。

「こんにちは!失礼シマース!」

 森選手は大声で会見会場へ入場。この世界に入ってからの彼は、自身のことを「自分」と呼び、大声で挨拶する習慣が身についていた。

 会場には芸能記者も多く、SMAPがらみの質問をしてくる社も少なくなかった。すると、森選手は戸惑うのか、下唇を咬む表情で言葉少なに、もう自分は芸能界とは関係ないことを強調する。顔も下向き加減で、落ち着かないのか頻繁に右手で鼻をさする表情がもどかしそうだ。

 森選手の表情が緩むのは、オートのベテラン記者たちからレースについての具体的な質問が飛ぶ時だ。焼けた肌に映える大きな目をクリクリとさせて、自分の技術の未熟さを語りながら、でもやはりデビューレースの優勝が嬉しいのか、両手を組んで伸ばしながら、表情を緩め続けていたのが印象深かった。そして、

「子供の頃から憧れの世界に入っただけ」

「日本一のレーサーになりたい」

 と、熱く熱く話していた。

 "日本一"とは、もちろんSGレース優勝である。

 振り返ってみれば、この日は悲願達成の多い一日だった。

 阪神競馬場ではマーベラスサンデーが宝塚記念でGI初制覇。巨人・清原和博はプロ入り後初めて甲子園でホームランを放った。公営競馬では、高速道路を走って有名になったスーパーオトメが初勝利をあげていた。

■森選手の養成所時代 スピードに賭けた青春~オートレース選手25期養成ビデオ / autofficial

■1997年 宝塚記念 優勝馬マーベラスサンデー

「長い目で見守って欲しい」と話していた森且行

 翌々日の2戦目。デビュー戦に比べるとスタート直後のスピードの乗りが悪く、周回もやや大きめで、本人、周囲ともにやや不満の残る内容だった。だが、それでも最後まで先頭で走り抜いてしまえば勝ち。結果で全てが判断されるのだから、デビュー2連勝は見事な成績だ。

 決してヤラセでも、花レースでもない。これはオートレースを熟知する関係者、ファンたちが皆、口を揃え、強い口調で言うことだ。

 そして、取材をすればするほど、彼のオートレーサーとしての相当に明るい将来を期待する声が多く聞かれた。記者歴21年「日刊オート」の記者は、

「競馬でいえばナリタブライアンにはなれないけど、ヤシマソブリンやエアダブリンにはなれる、ってとこかな。

 お世辞じゃなくて上手いよ。デビュー戦にしてはタイムも優秀だしね。もちろんまだまだ課題が山積みだけど、最高のレーサー人生のスタートを切ったと言っていい」

 と、待望の新人選手の登場を喜んだ。

 予想屋歴30年の"第2ヤマちゃん"は、

「センスはいいねぇ。基本がシッカリしてるよ。初戦はエンジンの調子も良さそうだったけど、2戦目はドドド(エンジンが安定せず、強い上下振動が起きること)でイマイチかな。ハンデが縮まってきてどうかだけど、今後Aクラス(最上位クラス)入りしてもおかしくない選手だよ」

 と、褒めちぎった。

 そして、森選手の訓練を終始見届けてきた養成所の所長である加藤さんは、一流レーサーになるための課題として次の2点をあげた。

「自分に妥協しない」

「常に向上心を持ち、自分の現状に決して満足しない貪欲さを持つこと」

 人は弱いもの。調子がよくなると、つい自分を見失ってしまう。いくら高い位置に立っても、その位置に満足したら間もなく墜落するだけだ、と言う。

「広瀬だって56歳になっても妥協せずに向上心を持ち続けている。いつまでも明日につながるレースをしてもらいたいですね」(加藤さん)

 森且行の戦いは始まったばかり。森自身も「長い目で見守ってほしい」と話している。いつか夢のSG制覇を果たし、名実ともにオートレーサーの第一人者になる日がくるのを心待ちにしている。

 そして、彼がもう"元アイドル"ではないことも忘れてはいけない。前職を捨てて新たな出発を果たした、立派なプロなのだ。

■オートレースCM 森且行「夢を追う」篇 / autofficial

文中、敬称略。初出Number 1997年7月31日号に掲載した記事に加筆修正しました。

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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