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シリア:シリア軍が志願制への移行を本格化

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(提供:SANA/ロイター/アフロ)

 シリア政府が、軍の諸機構を再編し、シリア軍を志願兵に依拠する「職業的な」軍へ転換する試みを本格化している。2024年9月14日付『シャルク・アウサト』(サウジ資本の汎アラブ紙)は、この度シリアの国防省が布告した新たな志願兵との契約条件などにつき要旨以下の通り報じた。報道によると、国防省は2023年10月にも志願兵との契約制度を導入したが、それでは十分な数の志願者が得られなかったため、給与、賞与、諸手当、その他の待遇面での誘因を強化した新たな制度を布告した。今般布告された契約条件では、5年契約(1回の延長可)、10年契約(延長可)の2種類があり、いずれも32歳以下のものが対象となる。志願兵の月給は諸手当などが混みで180万シリア・ポンド(以下SP)~200万SP(1ドル=1万4800SP)で、これは政府機関の高級職員の月額45万SPに比べてかなり高額だ。ちなみに、シリアでは5人家族の1カ月の生活費として1200万SP以上が必要と考えられているので、国防省による志願制・契約制の導入は軍の要員や将校の生活水準の改善を目的としたものということができる。また、志願兵には出動手当、住居手当、通信手当、戦闘任務手当、、結婚手当、勤務年ごとのボーナス、勤務年数を満了した場合の兵役・予備役免除など数々の特典が与えられ、こうした特典も志願者にとっては誘因となる。

 シリア軍は、新たな契約制度の導入を職業的な軍へと転換するための戦略に沿って進めていると説明しており、今後2年で数万人と契約を締結する方針である。その一方で、シリア軍が従来の徴兵と予備役の動員に依拠する軍からの転換を図っているのには、より実利的な理由がある。第一は、2011年以来のシリア紛争で、従来の軍があまり役に立たなかったことだ。紛争勃発前、シリア軍は現役と予備役で各々約30万人を擁する大規模な軍だったが、紛争が激化するにつれて死傷者の増加だけでなく個人レベルでの離反や逃亡に苦しめられた。また、数千人の人員が7年を超える兵役についているなど、社会生活に甚大な支障が生じている。シリア軍からの離反や逃亡、徴兵忌避は、イスラーム過激派を主力とする「反体制派」に与するためのものというよりは、兵役につくことによる生命・身体への危険や召集兵の待遇の悪さを嫌った結果と思われ、現在のシリアでは徴兵年齢(18歳~40歳)の男子の流出・逃亡が深刻な問題となっている。また、正規軍の弱体化を補うため紛争の期間中に高報酬や志願者の出身地近くでの勤務を誘因として人員を募る民兵組織が無数に編成されたが、こうした組織・人員を正規軍の機構や通常の政治過程に取り込んで動員解除することも重要な政治課題となっていた。民兵を正規軍や政治過程に取り込む試みについては、拙著『シリア紛争と民兵』に詳述した。また、去る7月に実施された人民議会(国会に相当)議員選挙の当選者の顔ぶれを分析すると、議会も民兵の動員解除や取り込みで重要な役割を果たす機関だということもわかる。

 シリア軍が志願制への移行を図る実利的理由の第二は、アラブ諸国との関係改善である。紛争や徴兵から逃れた者たちの逃亡先にはアラブ諸国が含まれるが、アラブ諸国をはじめシリア人の逃亡先となった諸国で彼らの長期滞在・永住化を歓迎している国は、残念ながら世界中を見渡しても一つもない。特に、国外に逃れたシリア人(男性)の大半は兵役・予備役制度の違反者であり、彼らは期間後に懲罰されたり、帰還早々軍に動員されたりすることを恐れてシリアに帰還しようとしない。シリア難民・避難民問題に苦慮するアラブ諸国としては、逃亡やシリアへの帰還忌避の大きな理由の一つと考えられている兵役・予備役の問題を、「職業的な」シリア軍への転換によって解消し、難民・避難民の帰還を促進したいのだ。シリアとアラブ諸国との関係改善は、2023年5月に華々しく宣言されその後各国の外交団がシリアに復帰する等「象徴的な」措置が続く一方で、難民・避難民の帰還をはじめとするシリアの復興・復旧につながる具体的な成果は乏しい。これは、アラブ諸国がシリア紛争やシリアとの関係断絶によって生じた諸問題を解消するにあたり、まずシリア側に措置を取らせ、それに応じて何か措置をとるという態度に終始しているためだ。シリア軍の志願制への移行はこうしたやり取りの一環だといえるが、移行は数年単位で進むと思われるため、シリアとアラブ諸国との関係改善は多少加速したとしても相変わらず「ゆっくり」したペースになることが予想される。

 シリア軍が徴兵制から志願制へと移行することは、対象となる人員が多数になるためシリア社会に大きな影響を与えることが予想される。その一方で、志願制に移行した後のシリア軍の規模や志願者の給与や特典の財政的裏付けなど、制度の変更に関する重要情報は公開の場ではほとんど出回っていない。過日指摘した伝統産業の衰退の問題などに好影響を与えることを期待しつつも、目が離せない重要問題が一つ増えた、という印象だ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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